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ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

見田宗介 現代社会はどこに向かうか 岩波新書

2019-04-25 21:28:40 | エッセイ

 サブタイトルは、高原の見晴らしを切り開くこと。

 著者は著名な社会学者。東大名誉教授。真木悠介の筆名でも多くの著書をものしている。

 このひとは、実はあまり読んだことがなかった。どこか避けて通ってきた。たぶん、中沢新一が、東大の教員ポストに就く、就かないという話の時、教授会の中で、反対したほうの有力な教授だった。推薦した中心人物は、蓮實重彦教授(その後、東大総長)だったはず。

 真相は良く分からないのだが、なんとなく、当時、旧態依然としたアカデミズムの権化みたいに思わされたような気がする。浅田彰とか柄谷行人とか、中沢新一らがニューアカ(旧に対するニュー・アカデミズム)の旗手で、その新しい潮流に逆らう旧派のボス、みたいな語られ方をしたというか。悪役を担わされたというか。蓮實氏は、新たな潮流に掉さす正義の味方であったような。もちろん、こんなことは、いまの記憶で語っている戯言に過ぎない。

 社会学というジャンル自体、避けて通ってきたということではある。なにか、哲学になりきれない中途半端な学問みたいなイメージが払しょくしきれなかった。文学部の中に、文学や心理学と並んで、学科なり講座なりが存続していたからこそ、存続している学問分野であるが、要は、哲学があればいいのであって、社会学などと言うジャンルは必要ない、というふうに思い込んできた。いうまでもなく、社会学も、哲学から派生して生まれた学問分野である。その他のすべての科学分野と同様に。比較的新しく、19世紀に分立したものであるはずだ。

 ここ20年くらいだろうか、宮台真司や大澤真幸という思想家、専攻分野としては社会学者であった著者の本に親しむようになった。大澤は、もはや社会学者というよりは哲学者というべきなのかもしれないが。

 しかし、私の関心は、なんというか、純粋な学問としての哲学であったり、哲学史であったり、講壇哲学であったり、「哲学」学であったりということではない。大学の頃から、ずっとそうだった。

 私という人間がいかに生きるか、という問いが切実であった。そこから出発して、他の人間にも関心が及び、人間の社会、人間の世界、人間の歴史がどうであったかと、関心が広がって言った、といえばいいか。

 だから、ことのはじめから、社会学のほうまでふくみ込んだような哲学にこそ関心があったというべきなのだろう。経済学や政治学まで含みこみ、たまたま市役所に職を得たことも相まって、地方自治論もいっしょくたであるような。

 またまた、言ってしまえば、文学をも包括してしまうようなもの。あ、そうそう心理学、精神分析、そして、文化人類学も加えるべきだな。

 哲学、経済学、文化人類学、地方自治論、心理学、文学と、並べてみると、興味関心があまりにも拡散しているように見えるが、私の中では、それらは、バラバラなものではまったくない。私という、あるいは、あなたや彼らという人間とはいったいどういうものなのか、という統合された関心領域が、たまたま分化された学問領域の名を与えられているに過ぎない、というような。

 どうも「社会学」という独立した学問分野はない、というふうに思い込んでいる。いわゆる社会学の範疇を含みこんでこそ哲学であろうし、哲学的ではない社会学など意味がないといえばいいのか。

あ、そうか、社会を見て、社会を考えるに、統計学を駆使した実証的な科学たろうとするところに、哲学やらと区別された社会学の存在意義がある、ということか。エヴィデンスとか。なるほどね。まあ、このあたりは、ペンディングして、もう少し考え続けてみよう。

 専門的な学問分野に入り込む前の、旧制高校的な教養のレベルにとどまっているに過ぎないということでもあるか。

 さて、見田氏は、この書物をこう書き始める。

 

「現代社会は、人間の歴史の中の、巨大な曲がり角にある。」(はじめに ⅰページ)

 

 最初の曲がり角は「古代ギリシャではじめての「哲学」が生まれ、仏教や儒教が生まれ、キリスト教の基となる古代ユダヤ教のめざましい展開があった」二千数百年前のことだという。

 いま、そのときに次ぐ、第2番目の曲がり角にあるというのだ。

 第1番目の曲がり角をもたらしたものは、

 

「…ユーラシア大陸の東西に出現し急速に普及した〈貨幣〉の経済と、これを基とする〈都市〉の社会の勃興であり、それまでの共同体の外部の世界、〈無限〉に開かれた世界の中に初めて投げ出された人びとの、底知れぬ恐怖と不安と、開放感だった。」

 

 〈貨幣の経済〉と〈都市の社会〉の勃興が、その後の世界史の展開をもたらした。それが、近代、現代にまで成長を続けた。小さな共同体を破壊しつづけた、ということになるのだろう。

 

「貨幣経済と都市の原理が、社会の全域に浸透したのが「近代」である…無限に発展する「近代」という原理はやがて、二〇世紀後半の〈情報化/消費化社会〉において、完成された最後のかたちを実現することになる。あらゆる障壁を打ち破りながら進展しつづけるこの「近代」という原理、その最後に純化されつくした形としての〈情報化/消費化社会〉は、それが全世界をおおいつくした〈グローバリゼーション〉というまさにその事実によって、ここに初めて、この無限の発展の前提である環境と資源の両面において、地球という惑星の〈有限性〉と出会うこととなる。」

 

 しかし、現代にいたって、その成長が行きどまる。無限の大きさに見えた地球のサイズが、有限な限界として立ち現れる。

 

「…人間は地の果てまでも自然を征服し、増殖と繁栄の限りを尽くし、この惑星の環境容量と資源容量の限界にまで到達する。人間はどこかで方向を転換しなければ、環境という側面からも、資源という側面からも、破滅が待っているだけである。」

 

 見田宗介は、こういう世界認識に立ったうえで、社会学者らしく、統計でみていく。

 第1章の2「「近代家族」のシステム解体」という項目で、

 

「四〇年間の青年の精神の変化の大きい項目を示した表3において、もっともめざましい変化を示している領域は、「近代家父長制」のシステムとこれを支えるジェンダー関係の意識の解体、というべき領域である。」(24ページ)

 

 表3というのは、NHK放送文化研究所が、1973年以来、現在まで50年近く、5年ごとに行ってきた「日本人の意識」調査から、見田が拾い上げてまとめたものである。ここでは、詳細は省くが、日本では、この間、家族が解体し続けてきたということである。

 

「「近代家父長制家族」の解体ということにつづいて注目される変化は、「生活満足度の増大」ということである。…物質的な「経済成長」の基本的な課題は、すでにほぼ達成されているということを示している。」(26ページ)

 

 後ろの方、第6章「高原の見晴らしを切り開くこと」で、見田は、こう書く。

 

「わたしも家出して食べるものも食べられなかった時代には、何かよいアルバイトはないかと、経済欲でぎらぎらしていた。…単純に基本的な生活条件の確保という問題であるに過ぎない。/このことをうらがえして言えば、どんな人間も性格がよくてもわるくても、基本的な生活のための物質的条件が確保されれば、それ以上の経済などにはあまり関心をもたないものである。」(127ページ)

 

 実際に、気仙沼あたりでも、最近の若者を見ていると、ぎらぎらとした利潤追求だとか、仕事優先というのではない価値観で生き始めているひとびとが多くなっているように見える。震災後、都会から気仙沼に移住してきた若者たちを含め。それは決して悪いことではないはずだ。

 

 いま現在、また新たに貧困が大きな問題となっているが、なんと言えばいいのだろう、貧困が問題になる方向へ転換してしまった、のではあるのかもしれないが、社会総体の絶対量みたいなところでは、まだ、貧困ではない、ということだろうか。

 ひょっとすると、ベクトルは貧困の方へ舵を切ってしまったのかもしれないが、きちんとした対策を講じれば、まだ回復可能だ、と捉えるべきなのか。

 そうか、高原か。この書物のタイトルは「高原の見晴らしを切り開くこと」である。これ以上の成長はなし得ないが、高度を保った平原=高原にこそ、私たちはいるのだ。

 貧困については、慎重な検討が必要なところで、個別の貧困について、そして、その総量が増えているのだとすればなおさら、政治として、社会として適切に対応しなくてはならないことは言うまでもない。

 では、具体的にどうして、ということを、この場で端的に語ることは、困難なことである。この書物で、具体的なノウハウが示されるというわけではない。

 しかし、見田宗介は、書物の末尾近く、社会がどこに向かうべきか、その見通しを切り開く方法を提示する。

 20世紀初頭に、当時の社会の大きな問題を解決し、貧困を根絶しようとして、革命が実現した。しかし、それは、失敗に終わった。破綻した。「①否定主義、②全体主義、③手段主義」という3つの特徴をもった革命は、結果、失敗に終わった。(この3つについては、なぜだめなのか、書物の中で、相応に詳しく説明されている。)

 革命が破綻して、改めて資本主義の見えない壁が立ち現れた。それは、20世紀初頭にもあった、当時、ひとびとが打破すべきと見た壁そのものである。貧困と差別の壁である。その壁は、革命的に打破されなければならない。しかし、いま、求められる革命は、当時の革命と同じものではありえない。

 以下、見田による、変革の3つの公準についての記述を引く。長くなるが、これは読むべきものだと思う。そういう変革こそ、求められるものであると、私も思う。

 

「…新しい世界を創造する時のわれわれの実質的な公準は、次の三つであるように思われる。

 第一にpositive。肯定的であるということ。

 第二にdiverse。多様であること。

 第三にconsummatory。現在を楽しむということ。」(152ページ)

 

 この3点について、見田は詳しく述べて行く。

 

「肯定的であるということは、現在あるものを肯定するということではない。現在無いもの、真に肯定的なものを、ラディカルに、積極的に、つくりだしていく、ということである。その中で桎梏となるもの、妨害となるもの、制約となるものがあれば、権力であれ、システムであれ、この真に肯定的なものをこそ力とし、根拠地として、打破し、のりこえていくということである。」(153ページ)

 

「多様性。

 …明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。

 マルクスがcommunismというものを発想した最初の場所にはこの時代のドイツの奔放な青年たち、労働者たち、学生たちのプルシェンレーベン(千田注;若者とか学生の生の意のようである)、歓びと感動に満ちたコミューンたちの鮮烈な経験があった。…コミューンは小さいものでなければならない。権力を持たないものでなければならない。自由な個人が、自由に交響する集団として、あるいあ関係のネットワークとして、ほかのさまざまな価値観と感覚をもつコミューンたちと、互いに相犯さないものでなければならない。共存のルールをとおして、百花繚乱する高原のように全世界にひろがりわたってゆく、自由な連合体associationでなければならない。」(153ページ)

 

「consummatoryは、とてもよい言葉なのだが、どうしても適切な日本語におきかえられない。consummatoryはinstrumental(手段的)の反対語である。手段の反対だから目的かというと、それはちがう。目的とか手段とかいう関係ではない、ということである。〈わたしの心は虹を見ると躍る〉という時この虹は何かある未来の目的のために役に立つわけではない。つまり手段としての価値があるわけではない。かといって「目的」でもない。それはただ現在において、直接に「心が躍る」ものである。この時虹は、あるいあ虹を見るということは、コンサマトリーな価値がある。コンサマトリーという公準は、「手段主義」という感覚に対置される。新しい世界をつくるための活動は、それ自体心が躍るものでなければならない。楽しいものでなければならない。この活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないものでなければならない。解放のための実践は、それ自体が開放でなければならない。」(154ページ)

 

 どうだろう。私は、ここに書かれた3つの公準については、全面的に同意せざるを得ない。

 この3つの公準を人々が共有し、その方向に世界が変革されていくというのであれば、それは良きことであるに違いない。


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