ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

谷津智里 今日、あの海辺の街に出会う 気仙沼市移住GUIDE BOOK 気仙沼市移住・定住支援センターMINATO

2021-09-06 15:43:12 | エッセイ


 発行は、気仙沼市、短編小説の体をとった移住ガイドブックである。谷津さんは、編集・ライティング・小説とクレジットされている。なるほど、ネットで見ると、1978年生まれ、明大文学部から東京の出版社に勤め、ご主人の出身地である宮城県白石市に移り住んで、フリーランスの編集者として活躍の方、ということになるようだ。妙なクセがなく読みやすい、過不足のない端正な文章をお書きになる。公的機関の発行するガイドブックであるから、これは重要なポイントとなる。プロのライターのお仕事である。
 表紙の裏に、

「この本には、実際の気仙沼市を舞台にした小説が書かれています。人生の岐路に立った一人の女性が、見知らぬ街との出会いを通して自分の思いに触れていく様子を描きました。
 この本を開いたみなさんが、自分らしい選択に出会うことを祈って。」

と記されている。
 都会で生まれ育ち、気仙沼を知らなかった女性が、気仙沼に出会い、気仙沼の人々と出会うことによって、本当の自分を発見し、本来の住むべき場所を発見するという物語である。有り体に言えば、若者に気仙沼への移住を促す宣伝材料ではあるが、その意図は、もちろん、隠されてはいないもののオブラートに包んで、おしゃれにソフトに口当たり良く料理されている。
 果たして気仙沼が、それに値するまちであるのかどうか?
 この問いは、二重の意味で問われなければならない。一つは、現実の気仙沼がそういうまちであるかどうか?そして、もう一つには、この小説に描きだされた街がそういうまちたりえているかどうか。
 目次を開いて、プロローグは、こう始まる。

「今、私の目の前には海がある。夏の太陽が反射して、きらきらと眩しい。少し先には大きな真っ白い漁船が10隻以上、ひしめき合うように繋留されている。船の上のほうには細い柵やハシゴやアンテナみたいなものが縦横に走って、白いジャングルジムみたいだ。光を増幅する真っ白な漁船たちに目を細めながら、汗ばんできた指先で帽子のツバを少し下げた。」

 こういう光景は、最近だと、『おかえりモネ』で、テレビの画面を通して見せてもらっているが、改めて、その美しさに圧倒されている。もちろん、気仙沼で生まれ育った人間として、私の手前味噌ではある。
 第1章は「東北の田舎町」。

「新卒で就職した会社の同期だったかなえが、突然「仕事を辞めて地元に帰る」と言い出した。…横浜で育って都内に就職した私には、かなえの言った「地元に帰る」という言葉がどこか物語のように響いて、リアリティが無かった。」(7ページ)

 友人のかなえ、この名前は、気仙沼出身の女の子には相応しい名前である。(実際にかなえちゃんという人は何人もいるが、その実際のかなえちゃんたち、とはとりあえず別。)
 気仙沼湾は古く、人々がそう呼び習わしていたというよりは、文語的な美称というべきだろうが、鼎ヶ浦(かなえがうら)と呼ばれてきた。地域の小中高の校歌にも多く歌われている。その名の由来とか、政治家小山鼎浦のことも、ここでは本筋にならないので省略する。
 今は、男女共学校としての気仙沼高等学校となった、統合前の県立の女子高の名称が鼎ヶ浦高等学校であった。男子校だった気高(けこう)と、女子高の鼎(かなえ)、まちのひとびとは、こう呼び習わしている。(なぜ気仙沼女子高ではなかったかというと、定時制併設で、そちらが男女共学だったから、というのもここでは蛇足。)
 この体で行くと、気仙沼出身の男子は、「けこう」などという名前はふつうはないし、「かくる」がいいかな、とかなるが、それはまあちょっと、などという話題も、蛇足なのでこれ以上発展させない。

「ここは気仙沼湾のいちばん奥で、内湾エリアと呼ばれているらしい。フェリー乗り場に面して新しい商業施設が整備されていて、海を見ながらデッキを歩けて気持ちがいい。こんなおしゃれなところが東北の田舎町にあるなんて想像もしなかった。異世界に紛れ込んだみたいで不思議な気持ちになる。」(7ページ)

 気仙沼のまちを、横浜育ちの女の子に、こんなふうに見てもらえるなんて、夢のような話である。半世紀も前の私は、横浜の山下公園や、港の見える丘公園の山手地区を、異世界に紛れ込んだように夢見心地で歩いていた。横浜に、どこか、懐かしい故郷の海辺を重ね合わせてもいた。当時は、気仙沼を横浜になぞらえるなど、だれも思いつかないことであった。私の、横浜への憧れであることは間違いないが、同時にほとんど思い上がりでもあった。思えば遠くへ来たものだ。いつのまにか、話が逆転してしまった、らしい。

「デッキを歩いて、ガラス張りのカフェをのぞく。大きな錨のマークの掲げられたそのカフェは、天井が高く開放的だ。若いお客たちが海を眺めながらくつろいでいる。その奥で、かなえが忙しそうに働いている。」(7ページ)

 この描写は、横浜ではなく、いま現実の気仙沼の光景である。
 ここから、風待ちエリアの登録有形文化財の米店の建物や、南町のモダンなショッピングモールなどなど、主人公は、気仙沼のまちを散策していく。
 魚市場前のみしおね横丁も、震災後ここ数年でオープンした、貨車のコンテナを改造した風の個店をウッドデッキでつないだ、なかなか面白いスペースであるが、夕刻、かなえと待ち合わせをしたその場所で、たまたま出会った若者たちが、かなえの友人であった。

「「あの、気仙沼に友達がいて、港のところのカフェで働いているんですけど」
「え、誰ですか?」
「小野寺かなえです。
「ああ、かなえ!」
若者席がざわついた。」
「知ってるんですか?」
「知ってる、知ってる。気仙沼は狭いからね。」」(11ページ)

 バイトを終えたかなえがやってくると、

「若者たちの顔を見て、かなえの笑顔がもう一段階、明るくなる。
「あずさちゃんとお友達になったとこ」
グループのひとりが言った。
「ならよかった!じゃあみんなで飲もう!」(11ページ)

 そうそう、主人公の名前はあずさ、という。梓弓のあずさである。これも、気仙沼市唐桑町舞根の畠山重篤氏の『森は海の恋人』に関わって、語りたいことはあるが、ここでは省略。ちなみに小野寺は、気仙沼では最も多い名字。あと、熊谷、佐藤、斎藤…

 第2章「正解」でも、ある移住女子、きっぷの良い美人である民宿の女将さん、「つばき会」という女性の団体のメンバーなど魅力的な人物が紹介されていく。
 移住女子のひかりがこんなことを言う。

「気仙沼のひとは私のこと、たくさん来る学生のひとりじゃなく『木下ひかり』として接してくれたんだよね。」(22ページ)

「…ここに来たら自分になれる気がしたの。…正解ばかり探してた気がするんだけどね。…最初から正解があるんじゃなくて、正解は、人のつながりの中で作っていくものなんだ、って、気仙沼にいると思えるの。仙台にいた時とは、ぜんぜん違うよ。」(23ページ)

 正解は、あらかじめ与えられるものではなく、自分たちで作っていくものなのだ、と。気仙沼というまちは、そういうことに気づかせてくれる場所である、と。

 第3章「気仙沼の女性」では、『産業まつり』の協賛イベントであり、「つばき会」が担う「みなとでマルシェ-市場で朝めし、」というコーナーの紹介もある。

「つばき会の人たちは、…ものすごく忙しいはずなのに、明るいし、前向きだし、偉ぶったところが少しもない。…彼女たちは経営者でもあり、雑用もこなしながら現場の調整も実行も自分から動いて、年下にも慕われていた。」(29ページ)

 ところで〈市場で朝めし、〉というネーミングは、糸井重里氏であったはず。さすが、糸井氏、思わず唸らされる傑作である。
 第4章「見知らぬ光へ漕ぐ」では、唐桑の若い牡蠣漁師の夫婦、農業の体験、シェアハウス、ペンターン女子のこと。小説には、ペンターン女子という言葉は出てこないが、気仙沼の特に唐桑半島に魅せられて、Iターン、Jターンしてきた移住女子のことである。上に登場したひかりちゃんもそのひとり。「ペン」というのは、peninsula(英語で半島)のpenにターンをくっつけた造語である。

 この章に、安波山からの景観の描写がある。

「…遠くに広がる太平洋からジグザグと手前に入り込む湾の形、右手には魚市場や新しい商業施設、その周りの古い街並みが見える。左側は外洋に向かって丘陵が伸び、そのさらに向こうに大島が山並みとなって続いている。湾を横断する橋を吊るための柱が2本、両岸から天に向かってまっすぐに立ち、その向こうには本土と大島を結ぶ橋のアーチも見えた。…湾内には、3艘の船が波の尾を引きながらゆっくりと動いていて、岸壁に繫留された船たちと呼び合っているかのようだ。」(41ページ)

 震災のずっと前からのリアス式海岸の変わらない景観、青い空と森と海、漁船の立ち並ぶ岸壁、そこに最近の三陸縦貫道の気仙沼湾横断橋、大島架橋と人工の構築物が付け加えられて、そういうなかを漁船が波の尾を曳いて出港していく。そこに明るい希望はある、というべきだろう。
 ところで、冒頭の二つの問いは、どうなったか、というと、そうだな。私自身、このまちに住み続けて、このまちのことを書き続けているが、私が「正解」を、ここでお読みの皆さんに提示できるわけではない。ぜひ、この冊子を読んで、気仙沼にお出でいただいて、自らの正解を、探訪してほしい。あるいは、創作してほしい。そして、その中から、だれか移住したい、という方が現れれば、望外の喜びだ、とは言っておこう。


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