ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

秋山律子氏と山下雅人氏の短歌

2013-04-29 02:22:56 | エッセイ
 今は同じ気仙沼市だが、当時でいえば隣町出身で、この地方は、高校が男女別学だったので同じ学校になったことはないが、今は、統合して共学の高校になったから、同級生であるといってもいいさる女性と、最近、ネット上で知り合って、あの子とかこいつとか、あれこれの共通の同級生の消息やら、また、中央の仏文出ということで、私が若干は仏文とか現代思想とかをかじったこともあって、話の継ぎ穂も悪くないなかで、彼女が好きなふたりの歌人の作品を送っていただく成り行きとなった。

 秋山律子という歌人は、近藤芳美の「未来」同人らしく、齢七〇歳代の由、その第一歌集「カロッサの樹」から選んでいただいた。
 一読、美しい語彙がスムーズに流れていく。妙に引っかかるところ、違和感を持たせるところがない。これは、相当の力量を持った方である。

 「黄昏(たそがれ)の底に落としてしまいたるしろがねの鍵をさがしやまずも」

 これは、どんどん暗くなっていく夕方に、家の鍵を落としてしまったカギっ子の心細さ、さらにいえば恐怖そのものを歌ったうた、ではないのだろう。幼いころの思いを、成人となった今でも持ちつづけている、捨て去ることができずに抱えている。既に、切羽詰まった恐怖や焦燥はない。相当に距離を置いて、美しいとまで言えるようになった哀しさがある。
 実は、相当の力量があるとはいっても、もうひとつひっかるところがなく、読み飛ばしてしまうような歌、と批判するために、冒頭に近いこの歌を引いたのだが、改めて文字を追って書いてみるとその美しさにふっと魅かれてしまう。なるほど。

 一読目から、「父を捨て母を捨てたる幼年の夏の扉の草深かりき」という歌には、どきりとさせられていた。幼児が父を、そして母をも捨てるという事態は、通常有りうべきことではない。これはどうしたことだろうと。
 この歌と、もうひとつ、「タルコフスキー忌」と題された作品のうちのひとつ、

 「『ソラリス』を『ノスタルジア』を『サクリファイス』を『ぼくの村は戦場だった』を」

という実験的な作品は目についた。ぼく自身は、タルコフスキーの映画は観たことがないし、もちろん、ここにタイトルの掲げられた4つの作品も観たことがないから、この歌が具体的に何を言いたいのかは分からない。氏が、タルコフスキーに魅せられ、これらの映画を観て、深く動かされたということ以外には。しかも、この歌には、彼女自身のオリジナルな言葉がない。
 しかし、考えてみれば、ぼくらは、全くオリジナルな言葉を吐くなどということはできないわけである。全ての言葉はすべからく他人が語った言葉である。でなければ、言葉はひとに通じることがない。和歌には、古く「本歌取り」という手法があるようだが、この歌の技法も、まさしく本歌取りに通じるものだろう。優れて実験的な作品である。しかしまた、この作品は、全く全てをタルコフスキーに委ねてしまっていることも、確か。そのあたりは難しいところ、となるだろう。
 「父を捨て…」の歌は、後半の「夏の扉の草深かりき」が、前半の強さを十分に受け切れていないのではないだろうか?どう悪い、とは言えないのだが、一般的な情景描写を抜けていない恨みが残る、というべきか。

 さて、もうひとり、山下雅人氏。冒頭、

 「すれすれに水のうえ飛ぶ野つばめの胸に小さき虹は顕つべし」

 「顕つ」は恐らく「たつ」と読むのだと思う。
 これは、圧倒的な力がある。切迫感がある。雅びではなく、荒削りかもしれないが、個人の存在がある。
 1955年生まれだから、私よりも一歳上の方。
 現在の歌壇で活躍中の方の由。

 「ずぶ濡れの鳩に雨傘さしかざすわれの休日いづこも驟雨」
 「水の輪に水の輪重ね透明に広がりゆけるみづの悲しみ」
 「黄のあやめありのままなる黄のあやめ ほどよき距離を保ちがたしも」

 ここには、文学の歴史と、彼個人とがともに確かに存在している、と思う。ぼくの、余計な批評は触発されない。

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