ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

小熊昭広編集/発行 詩誌回生 ひ号 2021年8月23日発行

2021-09-20 20:21:15 | エッセイ
 今回の“ひ”号は通算45号であるが、2020年4月発行の第42号となる“み”号については、このブログで紹介していた。『回生』は今では珍しい〈いろは〉で号数を振られている。
 先日“ひ”号が届いた日に封を開けて読み始めたら、勢いがついてそのままほぼ読み終えてしまった。
 実は、詩というのは、基本的になかなか読みづらいものであって、読み通すにはそれなりの心構えが必要になる。心の準備、というべきか。詩一般のことというよりは、現代詩というジャンルに特有のことかもしれない。詩書や詩誌を贈っていただくと、ふつうには、表紙をめくってちらっと見て、ではあとで、と閉じてそのままになってしまうケースが多い。なにかうまく息継ぎができず苦しくなってくる、みたいな。
 ただ、これは、出版後一定の時を経て評価が定まったものと違い、リアルタイムに玉石混淆というべきか、好みかそうでないか、分からないまま読み始める、ということであれば、当然のことなのかもしれない。
 今回の『回生』は、詩については、息苦しくなること無く読み通し得た。読み通しうる作品が並んでいた、ということになる。希有なこと、なのかもしれない。

【中村正秋氏「失速」】
 冒頭は、小熊氏と並ぶもうひとりの発行人である、中村正秋氏。私はまだお目にかかる機会に恵まれていない。作品は「失速」。その題名に関わらず、逆に、読む勢いが加速されたようである。
 第Ⅰ連を引く。

「昔ここには都市があった
 嬉びと愛に満ち溢れ
 光がすべてを照らしていた
 昔 ここには都市があった
 都市の名も知らなければ
 誰が住んでいたのかもわからない
 昔 ここには都市があった
 そう私は記憶している
 そして ここからすべてが生まれてきたことも
 私の記憶は古くはない
 つい いましがたまで
 都市は音楽に満ちていて
 そして 言葉は不信だということも
 不信心な者たちが
 そこここで顔をはらして祈っていることも
 私の記憶は古くはない」(4ページ)

 ページの末尾に、詩集『失速都市』よりと注記されている。
 失速都市とは、失われた楽園にほかならないだろう。しかし、「言葉は不信」で、「不信心な者たちが…祈っている」という。これは、存在したことがなかった楽園、あらかじめ失われた楽園、なのかもしれない。一見楽園のように見えた都市が、実は決して楽園ではなかった。しかも、その楽園もどきすら失われてしまった喪失。ここには、詩人の哀しさがある。哀調がある。中村氏は、哀しい詩人である、と私には思われる。喪失の詩人と呼ぶべきであるかもしれない。
 ちなみに、詩集からと注記があるということは、この詩はこの号のために書き下ろされた作品ではないということになる。

【金子忠政氏「裏山の猿」】
 金子忠政氏は「裏山の猿」。まず、第Ⅰ連と2連。

「裏山の森に張られた電線から
 啀合い打ちつかみ
 くんずほぐれつ、
 木々へ駈け昇り
 校舎のトタン屋根へと降り移って……

 (見晴らしは相変わらず良くない)
 じっと佇み
 (何ノ オハシマスカハ 知ラネドモ)
 何かわけのわからないものを滾らせ
 のべつまくなし言い立て
 いきなり次から次へと叫びはじめた
 その群れに、
 眼をしばしばさせ
 露の中へ爛れていく」(6ページ)

 “啀合い”は、“いがみあい”、らしい。なるほど。
 第一連の校舎は、谷あいの廃校の校舎に違いない。猿たちの有様は、軽快で滑稽である、というよりも、というべきか、と同時に、というべきか、どこか哀しい。
 最終連は、活字のポイントを落とし、二文字分ほど字下げしている。

「世界を転倒させたければ
 底なし奈落の冷酷を宿し
 泣きたくなるほど不可解になり
 逆立して歩け
 あしうらをつけるように
 まなうらを土につけ
 同時にあしうらで空を突き刺し
 顔を無理に消すように
 号泣してみよ」(7ページ)

 校舎の立地する集落は、昔は、賑やかだったのだろうが、いまは、人口が減少して、若いもの、子どもたちの姿はほとんど見られないに違いない。ひょっとすると猿のほうが数が多いのかもしれない。ここでもひとの集住する里が失われつつある。喪失がある。号泣するほどの哀しさがある。

【やまうちあつし氏「花泥棒」】
 やまうちあつし氏は「花泥棒」。
 まず1連目と2連目。

「丹精込めて育て上げた
 ユリの花を奪われ続けた被害者が
 加害者に言う
 「あなたはユリしか目に入らないのか」

 「ユリしか目に入らない」」(8ページ)

 で、4連目。

「余計なことをしないでほしい
 盗んだユリがいいのだよ
 いいや
 それでなきゃダメなのだ
 俺の熱情を甘く見るなよ
 おまえは俺を告訴しろ
 そうでなくては割に合わない
 社会から抹殺したまえ
 それくらい
 お前のユリは美しかった」(9ページ)

 被害者は、丹精込めた美しい花を奪われる。加害者は、美しいものを剽窃する欲望に突き動かされているが、しかし、その実、社会から抹殺されたがっている、のではないか。いや、既に社会から抹殺された、無視された存在であることを、再確認したいだけなのかもしれない。「余計なことをするな」、「告訴しろ」と言い立てるのは、強がり、でしかないのだろう。これもまた、喪失の詩である。

【真野絵里加氏「岸部の言語」】
 真野絵里加氏は「岸部の言語」。

「彼女は、海辺に聳え立つ高層マンションに住んでいたが、彼女の子は自分の母のことを人魚の生まれかわりではないかと疑うことがあった。」(12ページ)

 と、読み始めて、ここの文字が、ふつうのものではないことに気づく。特に「と」の字の書体。昔風の書体である。そういえば、小熊さんは、このところ、毛萱街道活版印刷製本所と号して、活字による印刷を試みていらっしゃる。このブログでは、書体の再現はもちろんできない。今回の『回生』の印刷自体、ご自分で行われたのだろうか?そうではなくとも、詩作品について、自分で拾った活字で版下的に作って、印刷会社に依頼して印刷製本を行ったということだろうか?今号には印刷所の記載がない。
 古い書体の使用は、詩作品自体の印象にも大きな影響をもたらしているように思われる。

「それは母の波打つ茶色い髪やほそい腕が、彼の持っている絵本に出てくる人魚姫に似ているから、という理由ももちろんあったが、毎日の散歩で浜辺を歩くとき、彼女があまりにも海をじっと見つめつづけるので、他のひとにはない強い思いが海にあるのでは、と思うのだった。」(12ページ)

 と、12ページから始まり24ページでまで占める長さである。散文詩なのだろうが、短編小説のようでもある。彼女の視点とその子の視点から描かれるファンタジーである。夫、父親はあくまで第三者としか描かれない。海辺の高層マンションと、足下の海辺自体を舞台として描かれる、濃密な母と子の密着の物語である。
 以下は、末尾。

「最近、この子は他の子と違う言葉を使いたがります。それで他の子どもや、私にも、意味が通じなくて困っています。
 幼稚園の先生から呼び出されてそう告げられると、はい、と彼女は答えた。ぼんやりしていた。夫からも同様のことを言われていた。
 キミが教えている言葉なの?そうでないなら、勝手な言葉をつくって、他のひとにもそれを強要するなら、ちょっと考えものだな。このまま普通の幼稚園に入れていていいものか。言葉に問題があるとしたら、どこか専門家を探したほうがよいのかもしれない、と夜の食事の終わった席で夫は口を紙ナプキンでぬぐいながら彼女に言った。
 専門家、と彼女はただ繰り返す。専門家?
わたしと彼とのあいだに入ることのできる専門家などいるわけがない。

「えいら、しゃるんべ?」と岸部で子は言って、彼女を見上げ、にっこり笑った。彼女も笑い返して、ふたりのあいだだけに通じる言葉を返した。心底、幸せだった。」(24ページ)

 と、この作品は終わる。
 この場面で、「母」は、その夫から距離を置かれている。しかし、なんという夫だろうか?妻を、子を人間として見てはいないようだ。抑圧者であり、部外者ですらある。そういう夫婦関係であり、親子関係である。いびつなものと見える。
 子の語る「えいら、しゃるんべ?」とは、無意味な言葉である。指示内容として伝わるものは何もない。しかし、ここには母子の交流がある。子の、母と交流したい意志だけは明確である。私はここにいる、と、母に向かって意思表示する。そして、他を寄せつけない。父すらも。
 これもまた、排他的な、喪失の物語である、というべきだろう。
 どこまでも美しい物語である。
 ところで、岸部とは、ふつうは、人名にしか使わないはずだ。岸辺の校正漏れではなかろうか?沿岸部とはいうが、普通名詞として岸部とは使わない。それで、詩行が美しくなっているというなら良いのだが。

【金子忠政氏の尾形亀之助論】
 金子忠政氏の「★亀之助の三つの詩集と戯れる 『色ガラスの街』・第三回」は、26ページから62ページまでの長編評論。連載三回目である。冊子の半分近くを、この一編で占める。
 私は未だ、尾形亀之助とは出会い損ねている。
 金子氏は、冒頭に、亀之助の「五月の花婿」を引いている。ここでも、詩行部分の書体は、古い活字様のものである。懐かしく、美しい。

「青い五月の空に風が吹いている

 陽ざしのよい山のみねを
 歩いている ガラスのきやしな人は
 金魚のようにはなやかで
 新しい時計のように美しい
 
 ガラスのきやしやな人は
 五月の氣候の中を歩いてゐる」(26ページ)

 (引用中の「きやしな」には傍点が振ってある。読み方は「きゃしゃ」であろう。)
 金子氏は、この詩を、次のように読み取る。地の文は、一般的な書体に戻る。

「まばゆい光に満ちた詩だ。五月の光そのもの。…「ガラス」という言葉を紙の上に置くことそれ自体が詩人にとって最も重要だったのだろう。「ガラス」という言葉の持つイメージによって、ただそれだけによって、五月の、あふれる陽光を強烈化しようとすること、それこそが詩人にとって重要だった、に、ちがいない。」(26ページ)

 なるほど。ここでいうガラスは、現代建築の外装に多用される無機的で均質で硬質な資材とは全く違うものだ。大量生産の工業製品ではなく、マニュファクチュアの時代の、歪んだ不均一の、無機物でしかないはずなのに、どこか有機的な、温かい素材。いや、ぼてっと分厚い手工業品ともまた違うようだ。技術の進展に伴い、薄く均質な材料に進化しつつある途上の、鋭利さをはらみつつどこかまだぬくもりを残した材質。
 ふっくらと丸く、上縁の青い金魚鉢は、当然に連想されるが、もっと薄くて壊れやすいものだろう。直線的な三角錐の断面の細いシャンパン・グラスだろうか。戦前のガラスは、今のように薄くても頑丈なものではない。美しく儚いものである。
 と、ここで読ませていただいて、私が亀之助と出会い直す時が近づいているのかもしれない。まずは、この回の金子氏のこの評論を読み通すことか。

【秋網まさお氏「おと」】
 秋網まさお氏の「おと」。

「気配のキューブがふくらみ
 音がこぼれ落ちる
 体のなかをモグラが匍匐し、ちいさな物語が後を追う
 平たい暮らしは息を交わす」(64ページ)

【前沢ひとみ氏「18才の時わたしはいちばん大人だった」】
 前沢ひとみ氏の「18才の時わたしはいちばん大人だった」は、明日18歳になる誕生日の前日に書いた設定である。
 最終連に、この一行がある。

「今夜12時が過ぎたら、もう二度と死ぬまで17才は来ないのだ」(75ページ)

 17歳、セヴンティーン、seventeen、dix-sept ans。
 17歳、南沙織、大江健三郎、アルチュール・ランボー。私が17歳の頃にも、17歳というのは、なにか特別な年齢だった。私にとっても、17歳でなくなることは、重大な出来事だった。いったい何が特別だったのだろう? 今となっては、どうもよく思い出せない。
 冒頭に戻る。

「自分が汚いかたまりのように思えてならない。
 他のひとはきれいだ。
 なぜきれいかというと、素直に生きているからだ。好きなものは好きだと言い、嫌いなものは嫌いだという。わたしのように好きなものを無理強いして、嫌いなものにしようとしない。わたしの言っている言葉は、みんな空虚だ。心が同意して出た言葉ではなく、頭の中で考えた感情を無視した作った言葉だ。大地がほしい。」(72ページ)

 好きなものを無理に嫌いになろうとするとは、どういうことだろうか?だが、〈言う言葉がすべて空虚だ〉というのは、すべての詩人にあまねく共有される思いに違いない。
 私が記す言葉も、空虚でないようなものはひとつもない、と言ってしまいたい。実質を穿ちたいと願うのだが、いつも空虚な空振りに終わっている、と恐れている。
 第4連に、モーパッサンが出てくる。

「モーパッサンの『死のごとく強し』を読んだ。…
 わたしにはよく分からない。初老に入りかけの男が若い娘に恋をした。それも熱烈な形で。わたしには恋の心理がほとんど分からない。…
 小学生の頃に、親戚のおじさんに恋のようなものをした。そのおじさんとはその日初めて会った。わたしをやさしく見た。どういう経緯だったのか、おじさんとわたしは自転車に乗ってどこかへ急いでいた。…おじさんの背中にギュッと身体をくっつけていると、胸のあたりに温かいものが溢れた。心地よかった。そして少し悲しいような気持ちになった。おじさんを好きだと思った。…」(74ページ)

 これもまた、追憶の、喪失の物語である。

【小熊昭広氏「ロボット」】
 小熊昭広氏の「ロボット」は、連載の3回目だろうか?

「変な数値が
 川面を泳いでいる」(96ページ)

 変な数値とは、つまり、ロボットであろう。抽象的な理念的な人工的な構成物。

「部品に
 綺麗も汚いもありません
 ただモノが機能するだけです。
 …
 あなたに
 選択の権限はありません
 そのときそこにあったものが
 あなたの部品になる
 そういう仕組みです」(106ページ)

 14ページにわたる作品の、末尾には、続くと記される。生身の肉体を失う、妄想の物語であり、これもまた喪失の物語である。


【回生について】
 後記にあたる、末尾のランダム・メモリーにページ数のことが触れられ、「このところ五十二頁、八十二頁、九十六頁と雑誌の背が膨らんできています」とある。今号は、109ページまで振られている。個人編集の雑誌としてはほぼ限界に近い分量ではないか?
 『回生』という誌名の由来と思われるエピソードが語られている。

「精神科の疾患を抱えておられる方の回復のことをリカバリーと表現したりします。それは、ただ単に以前の健康な体に回復することだけでなく、病をきっかけに新しい生き方を得て自分らしく生きるという意味を含んでいます。ある方はそれを「回生」と和訳していました。」

 末尾において、タイトルの由来を語り、喪失からの再生を語る、となるわけか。なるほど。
 今号では、活字の書体の面白さ、書体の違いが読み通すエネルギーにもなりうることをも発見させていただいた。


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