ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

12月24日(月)のつぶやき

2012-12-25 01:35:53 | 嫌いだ嫌いだ

そうそう、そうなんですよね。@InsideCHIKIRIN 実はあたしもそうだったRT @tomoyasuda: 昔、気付かずに勝った気でいた @itoi_shigesato: 交渉で主張を通すのは「借金をする」みたいなもの。あちこちで交渉ごとに勝っていると、あちこちで「自分に貸


今夜は、クリスマスイブ。バプテスト教会の市民クリスマスに、なんと、聖歌隊として参加してきた。妻のお付き合いというか。ぼくは基本的に仏教徒なんだけど。妻は尚絅短大のとき以来、キリスト教に親和的らしい。もちろん、原宗教的な厳粛さのなかで、謙虚に活かされていることに感謝しました。


讃美歌をコーラスで歌ったが、中に一曲、ソプラノからバスまで、1名づつ、男女各2名で歌うパートがあった。で聴きながら思ったのは、ベートーベンの交響曲も、世俗的な市民の音楽とは言っても、長いキリスト教音楽の歴史の先にあるものだったということなど。


考えてみるに、国家を歌う、式典等で国歌を歌うのは、キリスト教の教会で讃美歌を歌っていた歴史の延長にあるものではないか。日本の仏教や神道の儀式で、参列者全員で何か歌を歌うということはないように思う。国歌斉唱というのは、どちらにしろ明治以降に、西洋の習いを真似てはじめたものだ。


ぼくが仏教徒だと言うのは、幼いころからずっとそうだったということではなく、最近、(とは言ってもここ10年以上ではあると思うが)回心したのだ。



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