谷川俊太郎の最新詩集。20年7月30日の発行で、手元にあるのが、11月15日の第3刷である。何部刷っているのかは分からないが、やはり相応に読まれているということにはなるのだろう。
2編目の「香しい朝」は、(62のソネット以前)と記され、1951.4.4の日付の未発表作品のようである。あとは、不明のものもあり、2010年以降のものが、抜けている年もあるが、年あたり1~2編ほど、19年初出が多く、20年に入っての発表が2点という構成になっている。
冒頭は「あさ」(6ページ)。すべてひらがなによる作品である。
「めがさめる
どこもいたくない
かゆいところもない
からだはしずかだ
だがこころは
うごく」 (第1連)
と詩は始まる。健康な、無事な朝である。目覚めて、意識が動き始める。
「めがみる
ゆきがふっている
みみはきく
かすかなおと
ひとじちが
いきをしている
どこかで
いま」(第2連)
突然、ひとじち、と記される。人質である。詩人自身の、東京の自宅での目覚めのはずであるが、どこかの遠い国のことが、イメージとして立ち上がる。平穏な日本の朝であるが、同時に、世界のどこかには〈人質〉がいる。戦火に巻き込まれたひとびとが存在している。どんな戦争で、どんな場所で、どんなありさまで人質が捉えられているのか、詩人が詳しく描くことはない。人質が息をしていると書くだけである。しかし、私たち読者は、想像させられる。シンプルな名詞一つで、イメージを送り込まれる。その場所に送り出される。現在の世界のありようを再び認識させられる。
谷川俊太郎は、確かに、こんなふうに言葉を使う。
詩は、書き手の持っている世界のトータルなイメージの中から今ここに置くべき言葉を引き出し、読み手の世界のトータルなイメージの中に言葉を置く。読み手のなかで、その言葉が目覚めたように作動し始める。書き手のなかでも、目覚めて作動したからこそ、同様に、読み手のなかでも動く。詩というのは、そういうものである。
言い換えれば、詩の言葉は、つねに文脈の中にある。書き手の文脈の中にあり、同時に、読み手の文脈の中にある。書き手の文脈と読み手の文脈が、一つの言葉によって同時に震えたときに、詩は成就する。感動が産み出される。
豊かな文脈を持つ読み手は、それだけ深く詩を読み込むことができる。
しかし、谷川俊太郎は、そういう読みなれた読者に詩の言葉を届けると同時に、初々しい読者たちの、それぞれの世界のなかでも輝きを発する言葉を届けることができる。そういう稀有な詩人である。
「だれでも
しっている
いきものはいつか
しぬ
……」(第3連前半)
人間は、いつか、必ず死ぬ。ものごころつけば、ほどなく、人は死ぬべきものと気づく。詩人は、いま、無事な肉体で生きていることを喜びながら、死んだ後のことも想像する。
「しんだあとの
ときへと
こころは
うごく
からだに
しばられながら
からだを
よろこんで
どこも
いたくない
あさ」(第5連)
「からだは
ここにいて
こころは
うごく
どこまでも
いつまでも」(第6、最終連)
米寿を迎えた詩人が、肉体の死を予感し少しづつ受け入れようとするとともに、精神は自由に時空を駆け続けようとすると書く。それは、どこか魂の不死を願うことであり、詩が、どこまでもいつまでも、どの国のどんな人にも届いていくことを夢見ているということでもあるだろう。決して押し付けるということではない。届く人には届く。
谷川俊太郎は、この地球の、いやひょっとすると宇宙の永遠のなかに存在し続けるに値する詩人である。二十億光年の彼方に孤高に光を発して。
二編目は「香ばしい午前」(10ページ)。1951.4.4と日付が振られている。詩人が19歳の時。私が生まれる前の詩である。
「まるで怠惰な川のように僕は静かな雨を降るにまかせている。ある時は暖く、ある時は濁って、ある時は凍り長い間……。開拓者達が駆け去ってしまうと焚火が残る……。その火に映え、その煙にむせ、その灰に僕は涙を流す。」(第1連)
「しかしある美しい午前、僕は目を覚ます。世界に似た夢から。そしてロケットのように美しい姿勢で僕の意志が生まれる。滅ぶことを知っている、そしてその上に戦うことを知っている美しい意志が生まれる。…」(第2連)
詩集冒頭の詩は、70年前の、出発したばかりの未成年の詩人への、現在の詩人からの応答であった。
あとがきには、
「作者の年齢が書く詩にどこまで影を落としているが、あまり意識したことはないが、自作を振り返ってみると、年齢に無関係に書けている詩と、年齢相応の詩を区別することはできるようだ。米寿になったがベージュという色は嫌いではない。二〇二〇年六月」(108ページ)
と記されている。
最後にちょっとだけ余計なことを書くと、米寿を色のベージュに喩える駄洒落はそんなに洒落てはいない。が、多くの人を微笑ませる効用はある。
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