大学に入って、教養課程の社会科学入門だったと思うが、ゼミ形式のものがあって、単なる講義形式のものと違って、ふむ大学らしいと喜んで受講した。で、レポートを書くのだが、担当の先生が、学問的な抽象的な議論を書けという。ま、論文風に。そう言っても、みんな、自分はこう思うみたいな作文になってしまうのだが、それではいけないと。
社会科学といって、具体的に何を学んだのかすっかり忘れてしまったが、実際、刺激的で面白かった。記憶によれば。
しかし、実際、レポートを書く段になると、どうにも論文は書けない。まあ、当たり前だ。ノウハウもないし、その前に、論文にすべき抽象的な思考もない。
具体的にどんな中身を書いたのかはすっかり忘れたが、まずは、ひとつのこだわりを書かざるを得なかった。私はどう生きていこうとするのか、その中で、学問は、自分にとってどういう意味を持つのか、みたいな。結果、レポートとして「作文」を提出した。
大学卒業後、しばらくしてから、東大教養学部の先生方の書いた「知の技法」だったか、あれは随分勉強になった。
でも、まあ、今でも、プロの学者ではないし、抽象的な議論は得意じゃない。ありていに言ってあんまり興味もない。相変わらず、じゃあ、「ぼくはどう生きるのか」という自問のところにぐだぐだと留まっている。
さて、内田樹氏が、ツイッターで「バブルのときのような狂騒的な消費活動がまた始まることにうんざりして、ささやかな抵抗を試みている。その結果としての「いわゆる」経済活動が停滞している。その一方で、GDPではとらえられないかたちでの贈与や互酬のシステムはゆっくり形成され始めている。僕にはそんな感じがします。」と書いている。(11月28日)
市場におけるモノやサービスの等価交換から、昔風の贈与や互酬をより重視する立場へのシフト。
また、内山節氏が、日本NPOセンターの機関誌「NPOの広場」2011№63(特集新しい公共の『新しい』を問う)の巻頭インタビュー「手をのばしたところに自分たちの治める世界がある―住民自治と新しい公共」の中で、大船渡では、地元の人を軸に連携している人たちと株式会社をつくって、そこでできたものをその会社をとおして販売していくことにした。株式会社だけれども、利益優先会社でもないし、年々経済成長しなければいけない会社でもない。大船渡の人たちの暮らしの世界を再建するために、外と内が資本家として出資しあっていくわけで、一種のソーシャルビジネスといってもいいですね。」と書いている。
市場原理の優先、利潤追求、成長神話から、贈与、互酬の重視、さらに共同体の復権という流れ。
お金儲けに明けくれ、過度な競争にさらされた社会から、身の回りの小さな共同体の中でお互いに助け合って生きていく社会へ。
スローフードの運動も、そういう流れの中にあるはず。
内田、内山氏のみでなく、中沢新一、平川克美、岩井克人、玉野井芳郎、そして、柄谷行人、宮台真司もか、ぼくが好んで読む学者、思想家は、この点で、みんな同じことを言っている、とぼくは理解している。東浩紀氏は、今ちょうど「一般意志2.0」を読んでいるけど、微妙に違うかもしれない。
ところで、吉本隆明は、現在の高度資本主義は行きつくところまで行かないと次の段階には行かないのだと言っているのだと思う。原発への考え方を見ても。人間が、意のままに次の新しい段階に行こうと思っても行けるもんじゃない、と悲観的だ。現実の社会主義国家のなれの果てを見て、そう言っている部分はある。でも、今の資本主義のあり方は、あながち悪いことだけでもないよ、とそうも言っている。
ぼくは、地方公務員で、サラリーマンだ。小さな街場の板金職人の息子で、田畑はひとつもない。(自分の家も土地もない。)漁民でもない。生存に必要なモノをつくることは一つもせず、行政サービスという間接的なサービスに従事して、毎月給料をもらって暮らしている。
震災後も改めて、地方における雇用の大切さを観じている。自ら生存に必要な食糧を生産できず、お金のかたちで給料を得て暮しているひとびとがたくさんいる。
生活に必要なモノやサービスを生産し供給して、市場でお金に変えて、そこから給料をもらうことで生活を成り立たせているひとがたくさんいる。というか、給料に限らず、現金収入を得てという意味では、農家、漁家を含めて、ほとんど全員がそうだ。
ま、こんなことは改めて言い立てるまでもない当たり前の話なのだが。
この気仙沼で、田畑と沿岸の魚介類のみで生き延びられる人数は、多く見積もっても数千人の規模でしかない。大型の漁船漁業があり、工業的な水産加工業があり、それで、七万人の人口を維持してきた。
震災で、千人以上の方が亡くなり、職場を失って転職、転居し、現在、実際に住んでいる人口は、どのくらいまで減っているのだろうか?
漁業にしても、水産加工業にしても、市場における流通なしには成り立ちえない。市場における自由な経済活動のお陰で、この人口を維持してきた。こんなこともあえて言うまでのことではない。
こういう小なりといえども地場の産業の自由な市場での経済活動によって、人が暮らし、雇用が維持されてきた。そして、その延長上に国を代表する大企業の経済活動がある。地場産業も、ローカルなエリア内だけで営業活動が完結している訳ではない。フカヒレは空を飛ぶのだ。もちろん、マグロも。そもそも、気仙沼のマグロ漁船は、全地球的な規模で、マグロを漁獲してきた。
等価交換から、贈与へ、といっても、実は、そう簡単な話ではない。
もちろん、上にあげた識者のみなさんも、いまさら、社会主義でも共産主義でもないと考えていることは言うまでもない。(少なくとも既存のいわゆる社会主義国家で実現してきたような意味で。)資本主義的な自由な経済活動が有効であった、相当の役割を果たしてきた、という前提に立って、では、この先はどうあるべきか、を議論しているのであることに間違いはない。(多分。)ぼくが、いま、ぐだぐだと思い悩んでいるようなことは、当然の前提に過ぎない。そこから出発していることに間違いはないはずだ。
さてさて、現代の高度資本主義は、行きつく果てまで来てしまったのか、まだまだ、このまま、もうしばらく続いていくのか?
こういうことを言うのは不謹慎だが、吉本隆明氏がご存命の間は、大きな変革なくこの社会が続いているというのは間違いないのだろうと思う。実は、深いところで既に、大きく地殻変動が始まっているのだろうとも思うが。
ちなみに、念のため言っておけば、ぼく自身は、贈与、互酬が優位となる、共同体の復権した社会にシフトしていくべきだと考えている。それが理想であると。主体的にそちらの方向へ行動すべきだとも。
「市場」から「共同体」へ、といってもいいのか。ふむ。
社会科学といって、具体的に何を学んだのかすっかり忘れてしまったが、実際、刺激的で面白かった。記憶によれば。
しかし、実際、レポートを書く段になると、どうにも論文は書けない。まあ、当たり前だ。ノウハウもないし、その前に、論文にすべき抽象的な思考もない。
具体的にどんな中身を書いたのかはすっかり忘れたが、まずは、ひとつのこだわりを書かざるを得なかった。私はどう生きていこうとするのか、その中で、学問は、自分にとってどういう意味を持つのか、みたいな。結果、レポートとして「作文」を提出した。
大学卒業後、しばらくしてから、東大教養学部の先生方の書いた「知の技法」だったか、あれは随分勉強になった。
でも、まあ、今でも、プロの学者ではないし、抽象的な議論は得意じゃない。ありていに言ってあんまり興味もない。相変わらず、じゃあ、「ぼくはどう生きるのか」という自問のところにぐだぐだと留まっている。
さて、内田樹氏が、ツイッターで「バブルのときのような狂騒的な消費活動がまた始まることにうんざりして、ささやかな抵抗を試みている。その結果としての「いわゆる」経済活動が停滞している。その一方で、GDPではとらえられないかたちでの贈与や互酬のシステムはゆっくり形成され始めている。僕にはそんな感じがします。」と書いている。(11月28日)
市場におけるモノやサービスの等価交換から、昔風の贈与や互酬をより重視する立場へのシフト。
また、内山節氏が、日本NPOセンターの機関誌「NPOの広場」2011№63(特集新しい公共の『新しい』を問う)の巻頭インタビュー「手をのばしたところに自分たちの治める世界がある―住民自治と新しい公共」の中で、大船渡では、地元の人を軸に連携している人たちと株式会社をつくって、そこでできたものをその会社をとおして販売していくことにした。株式会社だけれども、利益優先会社でもないし、年々経済成長しなければいけない会社でもない。大船渡の人たちの暮らしの世界を再建するために、外と内が資本家として出資しあっていくわけで、一種のソーシャルビジネスといってもいいですね。」と書いている。
市場原理の優先、利潤追求、成長神話から、贈与、互酬の重視、さらに共同体の復権という流れ。
お金儲けに明けくれ、過度な競争にさらされた社会から、身の回りの小さな共同体の中でお互いに助け合って生きていく社会へ。
スローフードの運動も、そういう流れの中にあるはず。
内田、内山氏のみでなく、中沢新一、平川克美、岩井克人、玉野井芳郎、そして、柄谷行人、宮台真司もか、ぼくが好んで読む学者、思想家は、この点で、みんな同じことを言っている、とぼくは理解している。東浩紀氏は、今ちょうど「一般意志2.0」を読んでいるけど、微妙に違うかもしれない。
ところで、吉本隆明は、現在の高度資本主義は行きつくところまで行かないと次の段階には行かないのだと言っているのだと思う。原発への考え方を見ても。人間が、意のままに次の新しい段階に行こうと思っても行けるもんじゃない、と悲観的だ。現実の社会主義国家のなれの果てを見て、そう言っている部分はある。でも、今の資本主義のあり方は、あながち悪いことだけでもないよ、とそうも言っている。
ぼくは、地方公務員で、サラリーマンだ。小さな街場の板金職人の息子で、田畑はひとつもない。(自分の家も土地もない。)漁民でもない。生存に必要なモノをつくることは一つもせず、行政サービスという間接的なサービスに従事して、毎月給料をもらって暮らしている。
震災後も改めて、地方における雇用の大切さを観じている。自ら生存に必要な食糧を生産できず、お金のかたちで給料を得て暮しているひとびとがたくさんいる。
生活に必要なモノやサービスを生産し供給して、市場でお金に変えて、そこから給料をもらうことで生活を成り立たせているひとがたくさんいる。というか、給料に限らず、現金収入を得てという意味では、農家、漁家を含めて、ほとんど全員がそうだ。
ま、こんなことは改めて言い立てるまでもない当たり前の話なのだが。
この気仙沼で、田畑と沿岸の魚介類のみで生き延びられる人数は、多く見積もっても数千人の規模でしかない。大型の漁船漁業があり、工業的な水産加工業があり、それで、七万人の人口を維持してきた。
震災で、千人以上の方が亡くなり、職場を失って転職、転居し、現在、実際に住んでいる人口は、どのくらいまで減っているのだろうか?
漁業にしても、水産加工業にしても、市場における流通なしには成り立ちえない。市場における自由な経済活動のお陰で、この人口を維持してきた。こんなこともあえて言うまでのことではない。
こういう小なりといえども地場の産業の自由な市場での経済活動によって、人が暮らし、雇用が維持されてきた。そして、その延長上に国を代表する大企業の経済活動がある。地場産業も、ローカルなエリア内だけで営業活動が完結している訳ではない。フカヒレは空を飛ぶのだ。もちろん、マグロも。そもそも、気仙沼のマグロ漁船は、全地球的な規模で、マグロを漁獲してきた。
等価交換から、贈与へ、といっても、実は、そう簡単な話ではない。
もちろん、上にあげた識者のみなさんも、いまさら、社会主義でも共産主義でもないと考えていることは言うまでもない。(少なくとも既存のいわゆる社会主義国家で実現してきたような意味で。)資本主義的な自由な経済活動が有効であった、相当の役割を果たしてきた、という前提に立って、では、この先はどうあるべきか、を議論しているのであることに間違いはない。(多分。)ぼくが、いま、ぐだぐだと思い悩んでいるようなことは、当然の前提に過ぎない。そこから出発していることに間違いはないはずだ。
さてさて、現代の高度資本主義は、行きつく果てまで来てしまったのか、まだまだ、このまま、もうしばらく続いていくのか?
こういうことを言うのは不謹慎だが、吉本隆明氏がご存命の間は、大きな変革なくこの社会が続いているというのは間違いないのだろうと思う。実は、深いところで既に、大きく地殻変動が始まっているのだろうとも思うが。
ちなみに、念のため言っておけば、ぼく自身は、贈与、互酬が優位となる、共同体の復権した社会にシフトしていくべきだと考えている。それが理想であると。主体的にそちらの方向へ行動すべきだとも。
「市場」から「共同体」へ、といってもいいのか。ふむ。
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