これは、うを座の第5回公演「鳥の物語」の前に、地元紙に掲載してもらったもの。
われわれスタッフにとって、気仙沼演劇塾うを座の魅力は、舞台の上にのみあるのではない。
気仙沼地域の社会人のボランティア・スタッフが、身の丈に余るような大きな事業を、この五年間支え、続けてきた。美しく華やかな舞台をたくさんの方々にご覧いただき、公演が成功する。そのことなしに、もちろん、活動は続けることができない。
四回まで公演を重ねて、演技、ダンス、歌ともども、こどもたちは、より確かな技術を身につけてきたと、評価いただいている。
しかし、その裏で、ことしも、仙台公演成功のために、鈴木座長以下、奔走している。好きでやっていることに違いはないが、はたして、何人の方に、会場にお出でいただけるか、気の休まる暇がない。時に、疲れ、なにもかも放り出しそうになる。
日々の糧をつなぐ生業をこなしつつ、本業の責任を果たしつつの事業である。
大きな事業には努力が必要で、あるひとの努力は時として、他のひとを煩わせる。
しかし、われわれスタッフが、何もかも忘れ、喜びを得るのは、公演にむけて、稽古に励む子どもたちを観る時だ。
観客に媚を売るあざとさとは、対極にある、子どもたちの素直な立ち姿。生き生きとした台詞とダンスと歌。演技とは、感情の交流であること。
これが、壤晴彦流である。高度な技術は単なる技術ではない。
稽古場でのわれわれスタッフの喜び、これを、仙台の皆さんにお裾分けする、と言っては本末転倒であるが、何がしかの真実はある。
今回の「鳥の物語」第一幕は、「かささぎの話」、天空の、欧風に言えば、ベガとアルタイルのお話。七夕の仙台にふさわしく。第二幕は、「鵜の話」、地上の漁村と海底の竜宮にまたがるお話。直接に、気仙沼というわけではないが。華やかで美しく、笑い、泣き、救われる。仙台と気仙沼に、カササギたちのように、銀河を跨ぐ橋を架ける。
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