ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する皆さまにお届けするブログです

U2 - Pride (In The Name Of Love)(1984年の洋楽 Part49)

2020-12-17 22:18:09 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart49はU2の"(Pride) In The Name Of Love"。
最高位は12月15日付の第33位。年間チャートは圏外でした。

U2の記念すべき初めての全米Top40ヒットがこの曲"(Pride) In The Name Of Love"です。
ビルボードでは()が「Pride」の方についていましたが、アルバムでは"Pride(In The Name Of Love)"となっておりましたので、その表記にします。

さて、U2、「ついにU2を紹介する時代になったか!」という、この曲のヒットは私にとっては感慨深いものでした。
思えば、この1984年は、PrinceにGeorge Michaelの大ヒット、さらにはこの直後のMadonnaと、新しい時代のヒーローが次々に出てきた年でしたが、U2というと、さらにその次の新たなスターの登場でした。

U2ですが、アイルランド出身のロックグループ。初めは6人組だったようですが、すぐにBono、The Edge、Adam Clayton、Larry Mullen Jr. の4人組となり、現在までその4人でメンバー交代もなく活躍しています。

1980年にファーストアルバム『Boy』をリリース、母国アイルランドから始まり、徐々にイギリス、ヨーロッパへと人気が広がり、サードアルバム『War』がついにイギリスで1位を記録する大ヒットとなります。

そして4枚目のアルバム『The Unforgettable Fire』からのシングルがこの曲"Pride(In The Name Of Love)"です。
曲の作者は作詞がBono、作曲はU2メンバーです。この曲は「キング牧師に捧げる歌」でありました。
プロデューサーは元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノと、ダニエル・ラノワ。
緊張感あふれる新しい時代のロックミュージックでした。
コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーナ・イーストン Sheena Easton - Strut(1984年の洋楽 Part48)

2020-12-10 20:57:51 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart48はSheena Eastonの"Strut"。
最高位は11月24日付の第7位。年間チャートは1985年の第46位でした。

さて、Sheena Eastonですが、イギリススコットランド出身の女性ボーカリスト。
デビュー曲"Modern Girl"がイギリスでヒット、その後アメリカでは"9 to 5 (Morning Train)"の方が先にヒット、なんと初ヒットでNo.1を記録、年間チャートでも12位の特大ヒットとなります。

Sheena Eastonですが、まずはポップス系の明るい曲、"9 to 5 (Morning Train)"と"Modern Girl"が2曲連続でヒットします。
その後はバラード路線、"For Your Eyes Only"が、映画音楽ではありましたが、最高位4位の大ヒット、その後に出た"You Could Have Been with Me"は最高位15位とあんまりヒットはしませんでしたが、バラードの名曲でした。
彼女の曲は、ノリの良いポップス、そしてバラードと、両方でヒットしました。私としてはどちらかというとバラード系の曲が好きだったですが、ポップス系の曲にもとっても良い曲がありました。その中の1曲がこの曲"Strut"です。

1984年にリリースした彼女6枚目のアルバム『A Private Heaven』からのファーストシングルが"Strut"。
このアルバムからイメージチェンジしましたね。元気なポップス路線から、妖艶な大人のポップスへのチェンジだったでしょうか。
このイメージチェンジは成功し、久し振りの年間チャート50位以内に入るヒットとなりました。

さて"Strut"ですが、この曲を作ったのはなんとCharlie Doreなんですね。実は、この日の記事では、"Strut"ではなく別の曲を紹介する予定でしたが、音時さんの記事でこの曲の作者がCharlie Doreだと知ってしまって、それならばこの曲、紹介するしかありませんね。

そう、Charlie Doreといえば全米Top40ファンの間では有名な一発屋です。
1980年に"Pilot of the Airwaves"という曲で、最高位は13位、年間チャートは77位のかなりのヒットとなりました。
こちらをご覧くださいませ→→→
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サミー・ヘイガー Sammy Hagar - I Can't Drive 55(1984年の洋楽 Part47)

2020-12-03 22:32:26 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart47はSammy Hagarの"I Can't Drive 55"。
最高位は11月24日付の第26位。年間チャートは圏外でした。

Sammy Hagar、ソロのギタリスト・ボーカリストというよりも、ヴァン・ヘイレンのボーカリストとして有名ですね。
ヴァン・ヘイレンの大ヒットアルバム『5150』や『OU812』は彼のボーカルです。

Sammy Hagarは私のブログでは2回目の登場、1度目は初めてのシングルTop40ヒット"Your Love Is Driving Me Crazy"です。
元々はモントローズのボーカリストとして1973年にデビューしました。それらのことは"Your Love Is Driving Me Crazy"の記事をご覧ください。

さてこの曲"I Can't Drive 55"です。
邦題は「非情のハイウェイ55号」。なかなか面白げな題ですね。
曲の作者はもちろんSammy Hagar、プロデューサーはTed Templeman。私のブログでも何度も登場している名プロデューサーです。The Doobie BrothersやVan Halenなどなど、数えきれないくらいの大ヒットアルバムを手掛けています。

Sammy Hagarの8枚目のアルバム『VOA』からのシングルカットなのですが、実はこのアルバムからのファーストシングルは"Two Sides of Love"で、この曲はこの年1984年の8月18日から3週間連続の38位を記録しています。紹介し忘れちゃいましたね。
そのアルバムからの2枚目のシングルがこの曲です。
実にSammy Hagarらしい、明るくワクワクするような楽しい曲ですね。

さてこの曲、邦題には「ハイウェイ55号」となっていますが、どうもスピードが55マイルということみたいです。シングルのジャケットを見ると、制限スピード?でしょうか。


さて、「55」で思い出すのは、Sammy Hagarとは全く関係ありませんが、イーグルスの"Ol' '55"。アルバム『On the Border』に納められた曲で、シングルにはなりませんでしたが、名曲中の名曲だと思います。私のイーグルスベストの中で、第4位に入れた大好きな曲です。
邦題は「アタマをフィフティファイブ」ではなく、「懐かしき '55年」。"Old 1955"のことで、1955年のこと、55年型シボレーのことでもあるようです。車が関係するのは"I Can't Drive 55"とも通じてますです。
コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kenny Rogers with Kim Carnes and James Ingram - What About Me?(1984年の洋楽 Part46)

2020-11-26 23:30:08 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart46はKenny Rogers with Kim Carnes and James Ingramの"What About Me?"。
最高位は11月17日付の第15位。年間チャートは年度の途中でもあり圏外でした。

さてこの3人のコラボレーション、これが実現するとは驚きでした。
3人ともラブバラードのスペシャリストといって良いでしょう。さらにはデュエットのスペシャリストとも言えますね。
それだけラブバラード、デュエットソングの大ヒットをたくさん持っている3人が結集した曲でありました。
Kenny Rogersですが、デュエットソングでは、Dolly Partonとの1983年の2週間の1位、"Islands In the Stream"があります、こちらをどうぞ→→→
Kim Carnes についてはもちろん"Bette Davis Eyes"のウルトラヒットがありますが、1980年に4位を記録したKenny Rogersとのデュエット"Don't Fall In Love With A Dreamer"。こちらをどうぞ→→→
そしてJames Ingram、Patti Austinとの1983年の2週間の1位の大ヒット"Baby Come To Me"があります。こちらをどうぞ→→→

さて"What About Me?"、ラブバラード・デュエットのスペシャリストが集まったのだから、コテコテのラブバラードになりますよね。
あまりにやりすぎと思うかたもいらっしゃるかもしれませんが、やっぱり良い曲なのです。
曲の作者はKenny RogersにDavid Foster、そしてなんとRichard Marxの3人の共作です。

Richard Marxですが、ご存知の方が多いと思います、後に大ヒットを連発するロックスターですが、初めてのヒットは1987年に最高位3位を記録した"Don't Mean Nothing"ですから、この時点ではまだまだ無名の時代でした。
そのRichard MarxをKenny Rogersが取り上げたのですね。Kenny Rogersのアルバムには他にも曲づくりに参加し、バックボーカルも務めています。
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トミー・ショウ Tommy Shaw - Girls With Guns(1984年の洋楽 Part45)

2020-11-19 20:53:20 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart45はTommy Shawの"Girls With Guns"。
最高位は11月17日付の33位。残念ながらTop40には3週のみの小ヒットでした。

さて皆さん、このPart45は予想どおりだったでしょうか、やっぱりDennis DeYoungの後、Tommy Shawをスルーするわけにはいきません。
Styx活動停止後のソロ第一弾で、Tommy Shaw唯一のソロTop40ヒットがこの曲"Girls With Guns"です。

さて、Tommy Shaw、Styxへの加入は1976年、Styxの6枚目のスタジオアルバム『Crystal Ball』からになります。
いきなりのアルバムタイトル曲"Crystal Ball"は彼の作品で、リードボーカルも彼がとっていました。
この"Crystal Ball"、Tommy Shawのアコースティックギターの弾き語りの出だしから一転、ロックに変わります、凝った曲でしたね。シングルヒット向きではなかったですが、今でも大好きな名曲でした。

Tommy ShawのStyxの曲の中での一番のヒットは1981年の最高位9位の"Too Much Time on My Hands"だったでしょうか。
私は彼の曲の中では"Fooling Yourself (The Angry Young Man)"が一番好きでした。1978年に最高位29位とあんまりヒットしなかったですが、Styxらしい曲ではありました。

そのStyxも、やっぱりデニスとトミーでは路線が全然違いますよね、11枚目のアルバム『Kilroy Was Here』を最後に1984年に活動を停止します。
そしてリリースしたTommy Shawのソロアルバムが『Girls With Guns』、タイトル曲がファーストシングルとしてTop40入りいたしました。
曲はもちろんTommy Shawの作。曲調はStyxの曲とは違い、ストレートなポップロック。やっぱりトミーはこんな曲が作りたかったのでしょうか。デニスとの両立は難しかったのでしょうね。

ソロ活動の後、トミーはテッド・ニュージェント、ジャック・ブレイズ(元ナイト・レンジャー)、マイケル・カーテロンとともに、ダム・ヤンキースを結成、シングル"High Enough"が1990年に3位を記録する大ヒットになります。
現在、Tommy Shawはオリジナルメンバーのジェイムズ・ヤングとともにStyxのメンバーとして活動を続けています。


こちらは2016年のStyxの公演、オーケストラとの共演コンサートでの"Girls With Guns"です。こちらのアレンジは、Styxらしくって、気に入っています。


本文にも書きましたが、こちらがTommy ShawがStyxに参加しての初めてのシングルカット曲"Crystal Ball"。この曲はヒットしませんでしたが、今この曲を聞くとTommy ShawがStyxに参加してホント良かったんだなぁと思います。Styxの音楽に厚みが増したというか、新しいStyxに生まれ変わったのだと思いました。文句なく名曲でした。このアルバムの後、Styxが大人気バンドになっていった切っ掛けになったと思います。
コメント (53)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする