ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する皆さまにお届けするブログです

ヴァン・ヘイレン Van Halen - When It's Love (1988年の洋楽 Part36)

2024-09-12 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart36は、Van Halenの"When It's Love"。最高位は9月10日付の第5位。年間チャートは82位。No.1となった"Jump"、最高位3位の"Why Can't This Be Love"に続く3曲目のTop5ヒットとなりました。

Van Halenですが、70年代前半、天才ギタリストEddie Van Halen、リードボーカルのDavid Lee Rothらで、アメリカカリフォルニアで結成されたバンド。アメリカのハードロックバンドでは最も人気があるバンドです。

初のヒットは、1978年、キンクスのカバー"You Really Got Me" が最高位36位を記録。やっとTop40内に入ったスマッシュヒットでしたが、この曲のEddie Van Halenのギターには、度肝を抜かれました。それまで聞いたことがない、衝撃的なギターでした。

そのVan Halen、彼ら6枚目のアルバム『1984』が大ヒット、シングルの"Jump"が、5週間のNo.1、年間チャート6位、ハードロックバンドとしては、異例の特大のヒットとなります。

そのVan Halenですが、人気絶頂のアルバム『1984』を最後に、デイヴィッド・リー・ロスがバンドを離れ危機に直面しましたが、デイヴの代わりにSammy Hagarが加入、7枚目のアルバム『5150』を作成し、アルバムは、初のチャートNo.1を記録、ファーストシングルの"Why Can't This Be Love"も、最高位3位の大ヒット、メンバーチェンジは大成功となりました。このアルバムからの3枚目のシングル、新しいバンドを象徴するようなロックバラード"Love Walks In"については、こちらをご覧ください→→→

1988年、続く8枚目のアルバム『OU812』をリリース、最初のシングル"Black and Blue" は最高34位で空振り、これはまずいんじゃないかと思ったのですが、この曲"When It's Love" の大ヒットで安堵しました。

"When It's Love"の曲の作者は、メンバー4人の共作。この曲は私の大のお気に入りの曲です。『5150』では、Eddie Van Halenはギタリストというよりも、キーボード奏者?と思うほど、シンセサイザーが目立っていましたが、この曲のギターソロは Eddie Van Halenですよね。サミー・ヘイガーのボーカルも、2作目にしてヴァン・ヘイレンのボーカリストとして馴染んだ、カッコいい曲でした。

このアルバム『OU812』ですが、1985年にヴァン・ヘイレンを脱退したデイヴィッド・リー・ロスのアルバムが『Eat 'Em and Smile』→「奴らを食って、笑ってやる」と、ヴァン・ヘイレンに宛てたメッセージだったそうですが、それに対するヴァン・ヘイレンの『OU812』→「Oh, you ate one, too」→「ああ、お前も同じものを食ったのか」との答えだったとのことです。どこまでホントかはわかりませんが。
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パット・ベネター Pat Benatar - All Fired Up (1988年の洋楽 Part35)

2024-09-05 18:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart35は、Pat Benatarの"All Fired Up"。最高位は8月27日と9月3日付けの第19位。年間チャートは圏外でした。

Pat Benatarといえば、ソロの女性ロッカーの先駆者。同じく女性ソロロックアートストでは、スージー・クアトロが一足早く人気となり、70年代初めにはアルバム、シングルがヒットし始めますが、Pat Benatarはそれより遅れて70年代後半、1979年に、ファーストアルバム『In the Heat of the Night』をリリース、このアルバムがいきなり大ヒット、シングル"Heartbreaker"が23位を記録、アルバムも最高位12位を記録するヒットアルバムになります。 

1980年に、続く2枚目のアルバム『Crimes of Passion』をリリース、アルバムチャートで第2位を記録する大ヒットになり、シングルの"Hit Me with Your Best Shot"が最高位9位と初のTop10ヒットとなります。

さらに、1981年の彼女の3枚目のアルバム『Precious Time』が、ついにアルバムチャートNo.1を記録、シングルも、83年のライブアルバム『Live from Earth』からのシングル"Love Is a Battlefield"と、84年の5枚目のアルバム『Tropico』からのシングル"We Belong"がともに第5位を記録する彼女の最大のヒットとなりました。

85年には7枚目のアルバム『Seven the Hard Way 』をリリース、このアルバムからは、"Invincible"が最高位10位、"Sex as a Weapon" が最高位28位のヒットシングルとなります。こちらをご覧ください→→→

その後、しばらくアルバムが出ない時期が続いて、どうしちゃったのかなぁ、と思っていたところ、1988年になって、3年ぶりにリリースしたのが、彼女の8枚目のアルバム『Wide Awake in Dreamland』で、このアルバムからのシングルがこの曲"All Fired Up"です。

"All Fired Up"の曲の作者はオーストラリアのカントリーロックミュージシャンのKerryn Tolhurst。実はこの曲、Kerryn Tolhurstが中心メンバーのグループRattling Sabresがオリジナルなのです。

Pat Benatarの1979年の初のTop40ヒット"Heartbreaker"ですが、、当時、女性ボーカルのロックで、こんなにかっこいい曲は初めてだったと思います。そんな衝撃的な曲でしたが、それから約10年、Pat Benatarが積み上げたトップ40ヒットはこの曲で15曲目となりました。残念ながらこの曲が最後のTop40ヒットになりました。

こちらがオリジナルのオーストラリアのカントリーロックグループRattling Sabresの"All Fired Up"。カントリーっぽくもない、かなりロックな曲でした。
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グロリア・エステファン Gloria Estefan & Miami Sound Machine - 1-2-3(1988年の洋楽 Part33)

2024-08-22 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart33は、Gloria Estefan & Miami Sound Machineの"1-2-3"。最高位は8月20日付の1週のみの第3位。年間チャートは62位。No.1となった"Anything for You"に次ぐヒット、バンド2曲目のTop3ヒットとなりました。

Gloria Estefan and Miami Sound Machineですが、アメリカフロリダで結成されたラテン系ポップバンド。なんといってもバンドの中心は、キューバ系アメリカ人ボーカリスト「グロリア・エステファン」です。

70年代中ごろから、「Miami Sound Machine」として活動を開始、ラテン系ミュージックのアルバムをコンスタントに発表し、ラテンアメリカでは人気バンドとしての地位を確立していきます。

1985年に発表した彼ら9枚目のアルバム『Primitive Love 』が初めてビルボードのレギュラーチャートにも登場、シングルカットされた"Conga"が最高位10位を記録する初のTop40ヒット、このアルバムからは合わせて4曲のTop40シングルが生まれ、アメリカでのメジャーなラテンポップバンドとして認められるようになります。

1987年には、続く10枚目のアルバム『Let It Loose 』をリリース、このアルバムも前作を上回る大ヒットとなり、このアルバムからは、最高位5位を記録した"Rhythm Is Gonna Get You" を皮切りに連続してTop40ヒットが生まれ、4曲目のシングルカット曲"Anything for You"で、ついにNo.1を記録、アルバムも最高位6位、年間13位となる大ヒットアルバムとなります。"Anything for You"については、こちらをご覧ください→→→

"1-2-3"ですが、アルバム『Let It Loose 』から5曲目のシングルカット曲、5曲目にして最高位3位を記録する大ヒットになりました。曲の作者はGloria Estefanと、バンドドラマーのEnrique Garciaの共作。

5曲目のシングルではありましたが、この曲は、しっとりとしたバラードソング"Anything for You"から一転、ポップで明るいラテンミュージック、これぞ「ラテンポップ」、覚えやすく、これはヒットするでしょう、と聞いてすぐ思った曲でした。5曲目のシングルに、このヒット性の高い曲を持ってくるところに、この頃のGloria Estefan and Miami Sound Machineの勢いを感じました。日本でも大ヒットしましたね。
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ムーディー・ブルース The Moody Blues - I Know You're Out There Somewhere(1988年の洋楽 Part32)

2024-08-15 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart32は、The Moody Bluesの"I Know You're Out There Somewhere"。最高位は8月6日付の第30位。年間チャートは圏外でした。

The Moody Bluesですが、デビューは1964年のベテランロックグループ。この1988年8月のチャート、ベテランロックアーチストが頑張っています。この週No.1のSteve Winwoodをはじめ、エルトン・ジョンにシカゴ、先日記事に紹介したエリック・カルメンなどなど、皆さん60年代から活躍し、80年代に入っても新しい音楽を取り入れながら、ヒットチャート上位に進出して頑張っている偉大なアーチストたちです。

The Moody BluesのTop40への登場は、1965年に遡ります。デビューアルバム『The Magnificent Moodies』からのシングル"Go Now!"がアメリカでいきなり10位を記録、名前のとおりブルースロックでのヒットでした。

その後、長くバンドの中心として活躍することになるJustin HaywardとJohn Lodgeが加入、音楽性もプログレッシブロックバンドとして、60年代後半から70年代にかけて、Top40ヒットを重ねます。

1972年になって、これはセカンドアルバムに入っていた曲ですが、"Nights in White Satin"「サテンの夜」が突然チャートを駆け上がり、最高位2位を記録する大ヒット、このシングルヒットに合わせ、セカンドアルバムの『Days of Future Passed』が再びチャートを上昇し第3位、当時リリースしていた8枚目のアルバム『Seventh Sojourn』はついにアルバムチャートNo.1を記録、プログレッシブロックバンドとしては、異例の大人気バンドとなります。

その後しばらくヒットが出ない時期が続きますが、1978年には、"Steppin' In A Slide Zone"が最高位39位の小ヒット、さらにポップなロックも取り入れ、1981年に発表されたアルバム「Long Distance Voyager(魂の叫び)」がアルバムチャートでNo.1、このアルバムに収録された"Gemini Dream"も最高位12位を記録、久しぶりの大ヒットになりました。

その後もコンスタントにヒットを重ね、1986年にリリースした12枚目のアルバム『The Other Side of Life』から”Your Wildest Dreams”が最高位9位を記録、「サテンの夜」以来、なんと14年ぶりとなるTop10ヒットとなりました。”Your Wildest Dreams”はこちらをご覧ください→→→ 

この曲"I Know You're Out There Somewhere"ですが、続く13枚目のアルバム『Sur la Mer 』からのファーストシングル。曲の作者は中心メンバーのJustin Hayward。

この"I Know You're Out There Somewhere"ですが、前ヒット曲の”Your Wildest Dreams”の続編として作られたものだそうです。シンセサイザーを駆使しながら、重厚な音でありながら、穏やかで流れるようなロック、”Your Wildest Dreams”とともに、この頃のMoody Bluesを代表する曲となりました。
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ジェーン・ウィードリン Jane Wiedlin - Rush Hour(1988年の洋楽 Part31)

2024-08-08 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart31は、Jane Wiedlinの"Rush Hour"。最高位は7月30日付の第9位。年間チャートは残念ながら圏外でした。

Jane Wiedlinですが、アメリカ合衆国ウィスコンシン州出身のシンガーソングライター。というより、ガールズロック・ポップグループThe Go-Go'sのメンバー、リズムギター・バックボーカルを担当していました。

そのThe Go-Go'sでは、ソングライターとしても活躍、初のTop40ヒット"Our Lips Are Sealed"は、彼女とイギリスのロックグループファン・ボーイ・スリーのボーカリスト「テリー・ホール」の共作。こちらをご覧ください→→→

そのThe Go-Go'sは、85年に解散するのですが、その解散直前に、Jane Wiedlinはバンドを脱退、ソロ活動に入ります。

The Go-Go's出身でソロで活躍といえば、もちろんBelinda Carlisle、"Heaven Is a Place on Earth"でNo.1に輝くなど、大活躍ですが、そのBelinda Carlisleに続いてJane WiedlinがTop40に入ってきました。

Jane Wiedlinのソロ転向後の第一弾アルバム『Jane Wiedlin』は、アルバム・シングルともヒットしなかったようですが、1988年にリリースしたソロ第二弾アルバム『Fur 』からのシングルがこの曲"Rush Hour"で、Top10ヒットとなりました。

"Rush Hour"の曲の作者はJane Wiedlinと、ソングライターのPeter Rafelsonの共作。この曲、覚えやすく親しみやすいポップな曲、初期のマドンナっぽいところもあるでしょうか。
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