ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する皆さまにお届けするブログです

アニタ・ベイカー Anita Baker- Giving You The Best That I Got(1988年の洋楽 Part49)

2024-12-20 07:27:12 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart49は、Anita Bakerの"Giving You The Best That I Got"。最高位は12月17日付の第3位。年間チャートは第10位。最高位3位ながらロングヒットで年間チャート上位に入る大ヒットでした。

Anita Bakerですが、アメリカオハイオ州出身のR&B歌手。デビューは70年代後半、ソロとしてのファーストアルバムは、1983年の『The Songstress』、R&B界ではヒットアルバムとなり、シングルも何曲か、R&Bチャートに送り込みます。そして、1986年にリリースしたのがセカンドソロアルバム『Rapture』、このアルバムで彼女の人気に火が付き、初のヒットシングル”Sweet Love”が最高位8位。レギュラーチャートでも大ヒットを記録しました。こちらをご覧ください→→→

"Giving You The Best That I Got"ですが、ソロ3枚目のアルバム『Giving You the Best That I Got』からのファーストシングルカット。ソウルフルなボーカルで切々と歌い上げるソウルバラード。ジャズっぽい雰囲気もありますね。
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アイヴァン・ネヴィル Ivan Neville - Not Just Another Girl(1988年の洋楽 Part48)

2024-12-12 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart48は、Ivan Nevilleの"Not Just Another Girl"。最高位は12月10日付の1週間の第26位。年間チャートは圏外でした。

Ivan Nevilleですが、アメリカ・ニューオーリンズ出身のシンガー・ソングライター。Top40ヒットは、この曲のみの一発屋ですので、ご存じの方は少ないとは思いますが、アーロン・ネヴィルの息子、というと、ビックリすると思います。アーロン・ネヴィルといえば、60年代から活躍するR&Bシンガーで、80年代には、リンダ・ロンシュタットのアルバム『Cry Like a Rainstorm, Howl Like the Wind 』に参加。このアルバムに収録された"Don't Know Much"が最高位2位、"All My Life"が最高位11位の大ヒットになりました。この2曲はまだ私のブログには登場していませんが、来年には、もちろん登場すると思います。

"Not Just Another Girl"の作者はIvan Neville自身。プロデューサーは、なんと、ウエストコーストロック系ミュージシャンのDanny Kortchmarが務めています。Ivan Nevilleのソロでのデビューアルバム『If My Ancestors Could See Me Now 』からのシングルカット曲。

Danny Kortchmarプロデュースだけあって、このアルバムへの参加ミュージシャンは、Danny Kortchmarが、ギターやキーボード、サックスまで担当していますし、ギターのWaddy Wachtel やドラムスのJeff Porcaro、ボーカルには、お父さんのAaron Neville 、1曲だけですが、Bonnie Raitt、J.D.サウザーの名前も見えます。

"Not Just Another Girl"ですが、これぞアメリカンロックといっていい曲です。声がヒューイ・ルイスに似ていますが、曲もヒューイ・ルイスっぽいです。この曲、映画にも使われたようで、映画は『My Stepmother Is an Alien』邦題「花嫁はエイリアン」というSFコメディ映画だそうですが、映画自体はほとんどヒットしなかったとのことでした。
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デュラン・デュラン Duran Duran - I Don't Want Your Love(1988年の洋楽 Part47)

2024-12-05 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart47はDuran Duranの"I Don't Want Your Love"。最高位は12月3日と10日付の2週間の第4位。年間チャートは89年の第62位でした。

Duran Duranですが、70年代後半にイギリスバーギンガムで結成されたロックバンド。レコードデビューは1981年、まずは母国イギリスと日本でヒットします。

アメリカでは、セカンドアルバムの『Rio』からのシングルカット"Hungry Like the Wolf"がいきなり最高位3位記録、さらに次のシングル"Rio"もヒットし、世界的な大人気グループとなります。

3枚目のアルバム『Seven and the Ragged Tiger』からは3曲のTop10ヒットが出て、3枚目のシングルカット曲"The Reflex"がついに全米No.1、さらに、映画007『美しき獲物たち A View to a Kill』の主題歌"A View To A Kill"が2曲目のNo.1。"A View To A Kill" についてはこちらをご覧ください→→→

その後、ロジャー・テイラーとアンディ・テイラーがバンドを脱退、バンドは危機を迎えますが、残ったメンバー サイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ジョン・テイラーの3人で活動を続行、4枚目のアルバム『Notorious』からは、シングル"Notorious"が最高位2位を記録します。

そしてこの曲"I Don't Want Your Love" 、その3人のメンバーで作成された5枚目のアルバム『Big Thing 』からのファーストシングルです。曲の作者はSimon Le Bon、John Taylor、Nick Rhodesのその3人のメンバーの共作です。

この曲"I Don't Want Your Love"ですが、強烈なベースとドラムスのイントロで始まる超ファンキーなロック。3人になって、Duran Duranの曲も、ずいぶん変わりましたが、その人気は続いています。
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U2 - Desire(1988年の洋楽 Part46)

2024-11-28 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart46はU2の"Desire"。最高位は11月26日付の第3位。年間チャートは1988年の第56位でした。

U2ですが、アイルランド出身のロックバンド。メンバーはボノ、ジ・エッジ、アダム・クレイトン、ラリー・マレン・ジュニアの4人組グループとして1980年デビューしますが、現在も、そのオリジナルメンバーは変わらず、活躍を続けています。

その音楽では、アパルトヘイトなどの人権問題や、薬物問題などの社会問題をテーマとし、メッセージ性の高い曲を次々と作り出してきました。

1980年、ファーストアルバム『Boy』をリリース、すぐに母国アイルランドで人気となり、2枚目、3枚目のアルバムと、ヨーロッパ全体に人気が浸透、その3枚目のアルバム『War』で、イギリスでついにNo.1アルバムとなります。

アメリカでの初のヒットは、1984年にリリースされた4枚目のアルバム『The Unforgettable Fire』、シングルカットされた"(Pride) In The Name Of Love"が最高位33位、アメリカでの初めてのTop40ヒットになります。

1985年には、ロンドンとアメリカフィラデルフィアを結んで行われた20世紀最大のチャリティーイベント『ライヴエイド』に出演、そのステージが全世界で中継され、クイーンと並んで、最高のパフォーマンスと評判となり、世界的に人気が高まります。

続いて1987年にリリースされたのが5枚目のアルバム『The Joshua Tree』、このアルバムからのファーストシングルが"With or Without You"で、チャートを駆け上がり、3週間のNo.1を記録、さらには、続くシングル"I Still Haven't Found What I'm Looking For" も2週間のNo.1、2曲連続の大ヒットを記録します。こちらをご覧ください→→→

このアルバムからはもう1曲、"Where the Streets Have No Name"が最高13位と、3曲のTop40ヒットとなり、アルバムは1987年の年間6位の大ヒットとなりました。

続くアルバムが『Rattle and Hum』で、このアルバムからのファーストシングルがこの曲"Desire"、バンド3曲目のTop3ヒットとなりました。

曲の作者はもちろんBono。この曲、え、U2?、とも思ったちょっとビックリの力強いロックでした。それまでのU2の曲は、新しいブリティッシュロックを象徴するような曲がほとんどでしたが、この曲はアメリカンロック系の曲、私としては、この曲がU2の曲の中で一番の曲でした。

アルバム『Rattle and Hum』ですが、U2のThe Joshua Treeツアーを記録に残しておこうということで企画が進められた映画のサントラ盤です。ただ、映画は全くヒットしなかったようです。アルバムは2枚組で、ライブ音源とともに、新曲が入った2枚組アルバム、映画はヒットしなかったですが、アルバムはアメリカ、イギリスともNo.1となる大ヒットアルバムとなりました。
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シンデレラ Cinderella - Don't Know What You Got (Till It's Gone)(1988年の洋楽 Part45)

2024-11-21 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart45は、Cinderellaの"Don't Know What You Got (Till It's Gone)"。最高位は11月19日付の1週間の第12位。年間チャートは圏外でした。

この1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズ、Vixen ⇒Cinderellaと、80年代にデビューした新しいメタルバンドが続いての掲載となりました。なかなか良い流れです。

そのCinderella、アメリカフィラデルフィアで結成されたヘビーメタルバンド、デビューは1983年、ボン・ジョヴィ の後押しもあり、1986年、ファーストアルバム『Night Songs』をリリースします。

そのファーストアルバム、まずはアルバムから火が付き、さらに、シングルも、セカンドシングルのパワーバラード"Nobody's Fool"が初のTop40ヒット、最高位13位を記録するヒットシングルとなりました。こちらをご覧ください→→→

このファーストアルバムからは、シングルのTop40ヒットは"Nobody's Fool"1曲だけでしたが、アルバムは特大のヒットとなり、最高位は3位を記録、年間チャートも8位の大ヒットアルバムとなりました。このファーストアルバムからのシングルは、PVが3部作となっていて話題となりました。最後にシングルカットされた"Somebody Save Me" のPVには、なんとJon Bon Jovi とRichie Sambora が出てくるのですよね。音時さんのブログをご覧ください→→→

続くセカンドアルバムが1988年にリリースされた『Long Cold Winter』。このアルバムからのシングルがこの曲"Don't Know What You Got (Till It's Gone)"。曲の作者は、バンドの中心メンバー、リードボーカル・ギターのTom Keifer です。

この曲、「これぞパワーバラード」という曲。トム・キーファー の迫力あるボーカルは、まさにヘビメタ・パワーバラードにはぴったり、ちょっとだけですが、"Nobody's Fool"を超える、バンドの最大のヒット曲になりました。

シングル"Don't Know What You Got (Till It's Gone)"のヒットにより、アルバムは、シングルを上回る大ヒット、最高位こそ10位ですが、年間チャートには、1988年の54位、89年の27位と、2年連続年間チャートインする大ヒットアルバムとなりました。

このアルバムですが、ドラムスが、アルバムのクレジットにはメンバーのFred Couryと記載されていますが、実際には、元ジェフ・ベックグループ、元レインボーのCozy Powell が担当しているようです。
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