塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ファーガソン退任の一方で、移籍を繰り返す選手たち

2013-05-09 00:39:59 | 日記
 引退を表明したアレックス・ファーガソンのように、最初の逆風を乗り越えてひとつのクラブに留まり続けた猛者もいれば、
万人が認める技術と感覚を持ちながらも移籍を余儀なくされる選手もいる。

 サッカーが持つ一面のひとつです。

 ボージャン・クルキッチ。

 メッシと同様に近未来のバルセロナを背負う人物を評され、デルボスケ政権でスペイン代表にも招集された彼が、ミランと
の契約が進ます、ハンブルクへ移籍すると囁かれています。

 例えばロベルト・アクイラーニのように

 「故障が多くまずはコンディションを整える事が先決」

 と、相次ぐ移籍の理由がはっきりしていれば、さほど悩むことは無いのかもしれませんし、フィオレンティーナという環境が
どうやら彼には向いているようです。

 逆にボージャンのように、指揮官グアルディオラから万全の信頼を得られず、クラブはダヴィド・ビジャというスペイン代表
の中核を獲得するなど、僕が彼ならば

 「自分の問題点が一番なのか、周囲の環境がそもそも問題なのか」

 で随分悩む形になったでしょう。

 これ以上のレンタル移籍は彼のキャリアを台無しにする可能性がありますし、ハンブルクへの移籍話が進んでいても慎重にな
る必要があります。

 バルセロナ、ローマ、そしてミラン

 異なる感覚を持つイタリアへの移籍は、ルイス・エンリケがローマに携わったからもあるでしょうが、その支柱が1年もたな
かったことも誤算だったでしょう。

 僕はボージャンの場合、中規模クラブで毎日レギュラーとして活躍できるクラブを視野に入れるべきだと思いますが、ベティス
やエスパニョールならばスペインが最適のようにも感じます。

 「バルセロナ出身のボージャン」

 と他人が囁くのを、この際気にしないようにすることも、心を安定される要因だと感じます。
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新しい環境に馴染むこと、かつての日本人選手とメディア

2013-05-09 00:19:35 | 日記
 僕のスーパーにも新入社員がやってきて、新鮮な空気を与えてくれています。

 僕は自分から名乗り出る方ですが、サッカーでも実社会でも新しい環境に溶け込めるか、自分を認めて声をかけてくれる
人間がいるかは大きな心労です。

 僕は新人だろうが経験者であろうが、他人をいじめる、排除することに関心は無く、むしろこれらをされてきた事が多い
ように思います。

 早く馴染んでもらう方が、明らかに戦力として計算できるわけですから、辛辣な言葉を吐いても仕方がありません。

 サッカーでは

 1・移動バスと更衣室の座席
 2・選手の在籍期間

 で、クラブ内の序列が認識できますし、新人移籍組はやはり謙虚な気持ちで練習に挑むのが一番です。

 でも、新人を煙たい、面倒くさいと思う気持ち、わからないわけではありません。

 質問に答えていたなら自分の手が止まってしまいますし、客商売は時に自分の判断、言い換えれば悋気応援に対応しないと
行けない場面が多い為、判断力を身につけてもらうには、時に本人が

 「痛い目」

 を見て肌で学習すべき瞬間がある為です。

 逆に新加入選手ではなく、周囲の問題も存在します。

 カズと中田がそれぞれジェノア、ペルージャに在籍していた際、両者を幾重に覆う日本のテレビカメラを、イタリア人は摩
訶不思議に眺めていましたし、特にスコーリオの苛立ちは有名でした。

 つまり、日本人選手の海外移籍の実例が少なく、各社がカズ、中田に集中して取材を行う形になった為で、言い換えれば

 「日本サッカーの後進性」

 を覆すための移籍が、メディアによってその後進性が暴露されるという最悪の形となりました。

 ブラジルやアルゼンチンンのように、移籍が当たり前であれば個人にこれだけ集中する必要はありません。

 確かにロナウドにリバウド、クレスポなど突出した選手がいたことも確かですが、当時の選手を取り巻く環境は異常でした
ね。
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