塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

今カタール代表に未来はあるのか

2013-05-18 23:27:56 | 日記
 フィリップ・トルシエが日本代表監督としての契約を終えた後、渡った先はカタールでした。

 もう手許には無いのですが、光文社がかつて発売していたスポーツ誌「VS」の中に、田村修一氏が手掛けるトルシエのカタ
ールでの日々が連載されていました。

 当然カタール代表でも、彼はフラット3のライン・コントロールで主導権を握ろうと、選手たちにその効果と練習方法を伝え
るのですが思うようにいきません。

 「ここでもう3メートル、ラインを押し上げよう」

 トルシエがそう指示しても、最終ラインは一向にラインを押し上げでオフサイド・トラップを掛けようとしないのです。

 つまり、日本代表と比較した際、当時のカタール代表は脆弱であり、フランス人の意図する戦術を頭の中に描くことが出来ず、
同時に戦術遂行能力にも欠けていたのです。

 カタールがワールドカップを開催するのは9年後。

 長いようですがそんな事はないはずです。

 日本も1997年、がむしゃらに汗を流したのはワールドカップに流れる不文律を破る事ができなかった為です。

 「開催国はそれ以前にワールドカップ予選を勝ち抜き、本選に出場経験がある」

 つまり、日本はジョホールバルでイランを殴り倒すことが出来たからこそ、面子を護ることが出来た上に2002年の準備に
取り組むことが出来ました。

 カタールに残された機会も、かつての日本同様あと一回しかありません。

 アル・サドやアル・ガラファでプレイすることも大切ですが、日本や韓国、そして欧州でプレイする選手が増えることが、や
はり今後のカタールには必要でしょう。

 確かに帰化政策は一定の効果がありますが、若年層の育成と海外リーグでの経験が、代表強化の両輪になる事は間違いありま
せん。

 僕がカタール代表の協会幹部ならば、9年後が空恐ろしいと感じるかもしれません。
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ベッカムは選手としても素晴らしい存在だった

2013-05-18 01:23:49 | 日記
 そして何より、ベッカムは選手として素晴らしい資質を備えていました。

 「残酷なまでに美しい」

 と右脚からを放たれるクロスボールは、イブラヒモビッチ、インザーギ、そしてロナウドにニステルローイと、彼の同僚となった
各国代表FWに多くの得点機会を与えました。

 「果たして彼はレアルで活躍できるのか?」

 と2004年の夏、マドリードに到着したベッカムを、記者は訝しげな視線で見ていましたが、僕は随分失礼なことをいうもの
だと感じました。

 イングランド代表の主将であり、老舗ユナイテッドの中心人物だった人間が加入するのですから、もっと敬意が与えられても良
いと思えたのです。

 ベッカムが最高の輝きを見せるライトハーフには、既にルイス・フィーゴが在籍していましたから、メディアはこの補強策を

 「無意味である」

 と感じたのでしょう。

 中盤の底にはあのクロード・マケレレが存在するも、自分をぞんざいに扱うレアル首脳陣を見限り、チェルシーに去っていきま
した。

 ですからシーズンが始まると、誰よりも走り懸命に汗を流すベッカムを、メディアもファンもこれまでとは異なった視点で評価
するようになりました。

 彼らがしばしば口にする「マドリディスモ」は、仲間、そしてクラブの為に汗を流さない選手受け入れないのです。

 美しい外見とは異なり、ジャージとスパイクを泥だらけにし、朗らかな対応をするイングランド代表は、49億円という高額な
移籍金に見合う活躍を見せたといっても良いでしょう。

 僕はPSGの青ジャージは、思いのほか似合っていると思います。

 今頃ナイキ・ジャパンだけでなく、日本中の専門店が彼のジャージについて多くの問い合わせを受けているでしょうし、パリの
ファンも彼の姿が見られないのは残念に思うはずです。

 彼の滞在がわずか半年であったとしても
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ベッカム、現役引退を表明する

2013-05-18 01:12:04 | 日記
 ベッカム引退の余波は日本にも広まり「ひるおび」「ニュースZERO」が、彼の足跡を辿っていました。

 では選手としてデイビッド・ベッカムの神髄はどこにあったのでしょうか。

 1・レアル、ミラン、LAギャラクシー、そしてPSGと海外に出向くことを躊躇しなかったこと。

 ベッカム以前にもスティーブ・マクマナマン(レアル・マドリード)ポール・ガスコイン(ラツィオ)そして代表主将も
勤めたデイビット・プラット(ユヴェントス、サンプドリア)など、海外移籍の例はありました。

 ベッカムがレアルに移籍した翌年の2005年にはマイケル・オーウェンも加入し

 「3人のバロンドール(ロナウドとフィーゴ)を抱えるレアル!!」

 と随分騒がれたものですが、ベッカム以外の3選手は名脇役という形が印象深く感じますし、オーウェンは1年後には渡
英ししてしまいましたし、ガッザは飲酒問題もあり、体調管理が難しい側面を抱えていました。

 ですからアメリカに渡る事に対して

 「金に目がくらんだ」

 とどれだけ批判されようとも、ベッカムはその真意を曲げませんでしたし、パリでもレアルでもリーグ優勝することが出
来ました。

 シーズン中でありながら、渡米することを公表していしまいファビオ・カペロから干されたあの時でさえ、ベッカムが練
習を休むことはありませんでした。

 彼の姿を今、レアルのファンは思い出していることでしょう。

 2・イングランド出身選手の印象を覆す

 イングランドの選手というのは、ガッザにしてもジョージ・ベスト(イングランドではないのですが)にしても、どうし
ても飲酒に加え、ろくな食べ物を試合前に食べていないという印象がありました。

 良く言えば個性的、悪く言えば単なる荒くれ者です。

 しかしベッカムは、その愛嬌のある英語のアクセントに加え、性別問わずに圧倒的な人気を得ました。

 その類稀なる容姿と服装は常に耳目を集めましたが、一方で彼には人々の視線を集めても気にならないだけのゆとりがあっ
たことも、輝いた理由のひとつでしょうね。
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