塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本、30日にブルガリア代表と対戦

2013-05-27 23:12:21 | 日記
 日本代表は5月30日、ホームにブルガリア代表を迎えます。

 しかし前回のヨルダン戦の前に行われたカナダ戦同様、仮に勝利したとしても本番で良い結果が得られるわけではあり
ません。

 ザッケローニ監督はまず親善試合とはいえ、東と工藤を先発で使うことは無いでしょう。

 それは最終ラインも同様で、例えば西川と伊野波を起用し化学反応、言い換えれば新しいコミュニケーションの成立を
確かめるという形が生まれると良いのですが。

 ザッケローニ体制以前より、日本代表はサッカーの伝統から矛盾する形で強化を行っています。

 その矛盾とは

 1・J1得点王とMVPが完全に阻害されていること。
 2・Jの上位クラブから選手が代表招集される気配がない
 3・アルディージャの青木、レッズの興ろきのように「旬」の選手を使う意識がない

 という3点です。

 よくジーコ時代にも

 「海外リーグの選手とJの選手との間に溝がある」

 と指摘されましたが、それは混在すれば防げたはずの批判なのですが、実際のところ解決の見通しが立たないまま、本番
を迎えてしまいました。

 アジアカップ中国大会の頃までは、久保、三浦、茶野に村井など、J1の選手も随分見られたものでしたが。

 ザッケローニも同様で、ベガルタの関口や当時広島に在籍していた槙野に森脇など、Jで好調を維持していた選手を招集
していたにも関わらず、最近はそうではありません。

 代表招集の権限が監督にあることを尊重するのは当然です。

 しかし現状はJの選手たちの流した汗に、報いているとは思えないのも事実ですが。
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グランパスエイト、中断期間で立て直しは可能か

2013-05-27 01:13:35 | 日記
 今頃グランパスエイトのGM、久米一正氏は一息ついていることでしょう。

 J1は1か月の中断期間に突入しますが、この間にグランパスエイトがどのような形で立て直しを図るか、僕は注目して
います。

 何故かと言いますと、僕は最悪久米GMが

 「ピクシー更迭」

 を打ち出さなければ、降格圏内順位を落としてしまうのではないかと考えた為です。

 グランパスエイトはヴェンゲル就任初年度の1995年、中断期間を利用して渡仏してキャンプを張り、監督と選手に間
に横たわっていた違和感を解消することで、元日の天皇杯獲得に至る躍進を遂げます。

 ですからこの期間にピクシーが処方箋を処方できたならば、グランパスエイトは再び調子を取り戻せると考えます。

 久米GMが仮に成績不振に伴い、シーズン終了後に自分とピクシーの退団を表明するのではなく、シーズン中に公表したな
らば、随分きつい反発があると思います。

 2度の天皇杯と2010年のリーグ優勝

 これらにいずれも関わっていたのがピクシーであり、グランパスエイトの代名詞であり英雄である彼の顔に泥を塗ることは
誰もが避けたいものです。

 かつてレッズがギド・ブッフバルトを監督指名した際、彼と共に戦った広瀬治氏が

 「ギドはクラブの英雄
  彼の顔に泥を塗ることは許されない」

 と厳しい表情で語っていたことを思い出します。

 つまり、クラブの主力が監督として戻ってきた際、選手間の結束力を高める効果は間違いなく期待できます。

 ただピクシー政権は今季で6年目に突入し、結束が逆に硬直化してしまい、柔軟さ、言い換えれば選手が闊達なプレイを披
露するゆとりが失われつつあるのかもしれません。

 外部である僕が意見を言うのは簡単ですが、当然ピクシーにか彼なりの考えがあるのでしょうが。

 (参考資料 週刊サッカーダイジェスト選手名鑑2013)
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異なるグラスルーツが集まる意義

2013-05-27 01:00:53 | 日記
 サッカーは不思議ですね。

 ファンの多くはクラブが本拠地を置く市町村の住人が殆どですが、コーチに監督、そして選手は基本根っこはそこにある
わけではありません。

 クラブが提示した報酬、練習環境を含むカテゴリー、そして地域社会貢献。

 自分が惹かれて決断した先にクラブと本拠地があり、そこに住む住人とエンブレムも下で戦うにつれ、自分の故郷とはま
た異なる社会への

 「帰属意識」

 が芽生えていきます。

 ファンも同じで、自分とは異なる根っこを持つ監督、コーチ、そして選手の為、それは言い換えればクラブの応援に結び
つくわけですが、自分の時間とお金を提供し、時に笑い、時に怒る。

 この感情の起伏はカンテラ出身者で先発に大半を賄うバルセロナや、

 「外国籍選手が多すぎる」

 と度々批判されてきたアーセナル、インテルにしても同様です。

 バイエルンが5度目となる欧州王者に輝きましたが、ゴールを奪ったのはふたりの外国籍選手、マンジュキッチとロッベ
ンでした。

 でもファンは下部組織で育ったラーム、もしくはシュバイニーがゴールを決めたらもっと嬉しかったかといえば、そうで
は無いと思います。

 バイエルンのジャージを纏い、同じエンブレムを身に着けたならば既に国籍と根っこは自分たちと同じと言う認識が生ま
れますし、それはJでも同様です。

 人間は感情的な問題から、選手と監督の決断に反発し、抗議行動を起こすこともあります。

 例えばレンジャーズとセルティック、バルサとレアル、スパーズとアーセナルなどはその一例ですが、これには日本では
垣間見る事が難しい経済と宗教、階級が絡んでいることも事実です。

 逆に根っこが異なるもの同士が団結して戦うこと。

 これは一見当然のように思えますが、僕は本当に凄い事だと思います。
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