塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

1シーズン通じて戦うこと

2013-09-14 22:41:29 | 日記
 1シーズン通して戦うならば、当然「波」に注意せねばなりません。

 それは前半戦最の結果を出した大宮が、現在では新しい指揮官の下で戦っていることをみればわかりますし、それは
他のクラブにも言える事です。

 代表との兼ね合い
 選手の疲れを考慮して

 こうした意味あいでの中断ならば致し方ないと思えますし、監督と選手も素直にうけいれられます。

 しかし、リーグそのものの運営方式でその流れ、良い、悪い関係なく流れが断たれるようであれば、理不尽のように
思えます。

 強豪でも下位クラブでも、この調子の波をなくすことで勝ちを得ようとしています。

 ジュビロのようにこの悪い波を払う動きにでたクラブもあれば、大分のように監督交代をしないクラブもあります。

 それはクラブの方針ですから、僕は見守るだけですけれども、短期ではこれに見られるシーズン通じての面白さ
に欠けると感じます。
 
 ワールドカップ、アジアカップのような短期の戦いに、2ステージ制によってよりたたかいやさを感じる選手は
増えるとしたら、それは確かに有効かもしれませんが。 

 そうでなければ、欧州と同じ1シーズンが有効だと思いますが。
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2ステージ制のいい所を探る

2013-09-14 21:27:29 | 日記
 エスパルス対グランパスエイト戦で、2ステージ制について反対弾幕が見られたとの事。

 昨夜「すぽると」が2ステージ制について特集したので注意深くみたところ、84パーセントのファンが無関心である
との事。

 では反対者はマニアという形なのでしょうか。

 2ステージ制にすると年間10億円の収入がふえるそうです。

 僕はこの金額はさほど多くないようにみえますが、大東チェマンからすればかなりの増収なのでしょう。おう

し しかしこの額で方式変更するのは無理があるように見えますし、策は出尽くしていないとかんがえるのは僕だけではな
いと思います。

 2ステージ制に変更して得することは何でしょうか。

 僕が思う点は以下の通りです。

 1・勢いで優勝できる

 前半戦のアルディージャの例ですね。

 もし2ステージ制度ならば彼らが優勝したでしょうし、監督交代も無かったといえます。

 前期失速したクラブが、中断をはさんで立て直しをはかり、後期に挑むことは可能といえます。

 2・移籍時期がわかりやすい

 J1の移籍期間が大変わかりにくいと感じます。

 ですから開幕前と中断期間の2回、期間を設けることで明確な動きが出来るなら、これは大変理解しやすい形におりなると
思います。

 Jには新鮮さという点で難しい側面があったならば、よりわかりやすさを求められるのですが、1シーズン制はひどく簡単
にみえますが、ちがう物なのでしょうか。
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サッカーで大切な要素「調和」

2013-09-14 01:16:56 | 日記
 「調和」

 サッカーでも服装でも、一番な肝心な点はこれに尽きると思います。

 サッカーでは2006年ワールドカップ日本代表のように、先発とサブの間に意識の開きがあり、同時に指揮官を軸に裏方
の方がどんなに鼓舞しようとしても、まとまらないまま終えてしまうことさえあります。

 抜きんでた才能を持ち、彼らなら日本代表ここにあり!という戦い方をしてくれるに違いない、周囲はそうとらえていたの
ですが。

 服装も同様で高額品が見栄えを約束するわけではありません。

 むしろ自分の体形に合わないブランド品よりも、セール品や量販店の品で体に合っていた方が、よほど見栄えは良いもので
すしね。

 欲を言えば

 「国内生産で自分の体形にあったもの」

 が良いのでしょうが、廉価版では難しいといえます。

 しかし、国産品でも合わないと思ったならば買う事は控えた方が良いですし、国産品をかって職人の皆さんに元気になって
貰おう!という心意気は良いのですが。

 スター選手でも調和がとれたならば、これほど素晴らしい存在はありません。

 ロナウジーニョとジョー、ふたりのブラジル代表経験者がコパ・リベルタドーレスを獲得し、クラブ・ワールドカップに
出場することは大きな喜びを与えました。

 それは両者がキャリアの晩年を迎えていることもそうでしょうが、

 「周囲を活かす、周囲に活かされる、指揮官と適切な関係を築く」

 という事ができるようになったためでしょうか。

 グアルディオラが就任の際、ロナウジーニョは不要と言った例があるように、練習に集中すると言う事はそれだけ凄い事
ですし、ジョーがマンチェスター・シティ在籍時は、単なる駒のひとつという形が強かったのでしょう。

 調和を生み出すには時に自分を抑える事が必要ですが、だからこそ日本人選手がドイツで重用されるのでしょう。
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