塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

オートマティズムの明暗を考える

2013-09-21 23:42:28 | 日記
 フェルナンド・トーレスがチェルシー移籍後暫くの間、自分勝手な動きで周囲を混乱に陥れていると批判された事があ
ります。

 香川真司もドルトムントの4-2-3-1にはすぐさま対応できましたが、ユナイテッドの基本布陣である4-4-2
には中々馴染めないでいます。

 つまり両者が躓いている背景には

 「前の所属先で身についた動きが、新天地でもつい出てしまう」
 「新しい動きを身に着けるには、以前身に着けた動作を振り払う必要がある」

 というむずかしさがあります。

 例えば僕もそうで、大売出しやセールの際に通常とは異なるレジで伝票記入をしていると、頭の中では思っていても、
何故か伝票に自分の部署やレジの内容を記載してしまうのです。

 つまりそれだけ

 「日々の習慣」

 というのは身に沁み込んでいるわけです。

 サッカーで言えば「オートマティズム」であり、だからこそ移籍した選手たちは新しいクラブでのオートマティズムを
すぐに理解する必要があるのです。

 チェルシーではトーレス、バが控えていたにも関わらず、ドイツ代表のシュールレとサミュエル・エトーが加入し、今
季はレンタルにはならないと思われいたルカクも、エバートンにレンタルしています。

 トーレスはともかくバはディ・マテオ政権で中核を担っていましたし、リザーブに置くのは勿体ないと感じます。

 トーレスとバがもしかすれば、モウリーニョの描くオートマティズムを体現できていないのかもしれません。

 バがもしニューキャッスルに復帰すれば、大きな戦力向上になるような気もしますが、アンディ・キャロル同様、彼も
また過去に遺産なのでしょうか。
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僕が思うバルセロナの文脈

2013-09-21 23:31:36 | 日記
 マルティーノ新政権が発足し、ネイマールを加えたバルセロナはグアルディオラ、ビラノバ政権同様、ボールを常に保持して
相手ゴールを奪うサッカーを描いています。

 ワールド・サッカーダイジェストを読んでいる方なら、巻末のコラムでスペインを担当しているヘスス・スアレスがバルサの
サッカーを称賛し、故郷ガリシアのラ・コルーニャについて意見している事はご存知でしょう。

 その一方で

 「モウリーニョのサッカーに意味は無い」

 と切り捨てていますが、僕は全ての選手、指揮官が当たり前ですがバルサのような動きを目指す必要はないと思います。

 選手には常に

 「パス、ドリブル、シュート」

 という3つの選択肢が与えられており、この動きを的確に行う事で相手からゴールを奪い勝ち点3を積み重ねていく形になり
ます。

 その選択肢、そのための状況判断を伝えるのが指揮官の役目であり、モウリーニョには当然彼のやり方がありますよね。

 モウリーニョの言葉にいたく感動する選手、ランパードやジョン・テリーがいる反面、カカやシェフチェンコのように彼の言
葉をさほどと思わない選手がいることも確かです。

 言い換えれば、バルセロナのサッカーはあくまで

 「バルセロナの文脈」

 の中でしか達成させられないという弱みがあります。

 逆に言えばどんなに優れた技術を持ち、暖かい気持ちでファンに接する素晴らしい人格の選手でも、この文脈に引っかからな
いのであれば、確実に

 「除外」

 されてしまうのです。

 別に選択肢は幾つもあって良いと思いますし、逆にバルサが自分の首を自分で締めるリスクを背負っていることも確かです。

 今回はマルティーノという人材が得られましたが、バルサの文脈の中で仕事ができる監督は確実に限られており、むしろ監督
を選出する幅は、レアルとアトレティコと比較した際、極端なまでに狭まっていると思うのは気のせいでしょうか。
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僕が思う五輪代表の登用

2013-09-21 00:16:03 | 日記
 アテネ五輪出場を決める際、常に語られた言葉がります。

 「アテネ経由ドイツ行き」

 がそうですね。

 しかしジーコは五輪代表とユースの戦力を顧みる事が無く、自分が指揮するA代表と自信が抜擢した選手、例えば加地や玉田
が新戦力として起用されるも、五輪代表では駒野と茂庭だけが2006年本大会に出場しただけでした。

 しかも茂庭に至っては

 「田中誠が故障したための追加招集」

 という、理由が後ろ向きであったことも確かです。

 でも、僕は五輪の2年後に訪れるワールドカップよりも、6年後の本大会に照準を合わせた方が良いと思うようになりました。

 と言いますのも、現在のA代表の主力は3戦全敗で罵倒された、北京五輪の選手たちだからです。

 例えば背番号10を背負った梶山は、パナシナイコスから大分トリニータに移籍しましたが、僕は彼がA代表に招集される力
はあると思っていますし、最近は招集外になっている、広島の水本も同様です。

 つまり2年という期間では、

 「選手の伸びしろ」

 がまだまだ思うような形で周囲に発揮できないのではないでしょうか?

 ならば2012年の五輪代表も、2014年よりは2018年ロシア大会の方が目標としては現実的かもしれませんし、逆に
山口や権田は2014年も視界に入れて良いでしょう。

 五輪代表のA代表招集は、A代表の指揮官の胸の内も大きく影響します。

 オシムとトルシエは若手の登用に積極的でしたが、ジーコは常にA代表の利益を守る形で指揮をとりました。

 ザッケローニ監督が扇原、鈴木、そして齋藤を起用し、大迫にも注視していますが今後の状況はまだまだわかりません。

 2016年の五輪代表はベガルタの手倉森監督の就任が濃厚ですが、A代表との関連はどうなるでしょうか。
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ダービーで最も問われるものを考える

2013-09-21 00:04:57 | 日記
 僕のように客商売をしていますと、大売出しやチラシ商品特売などお客様が遠方からも押し寄せる機会があります。

 でも事前に販売方法を確認し、よく眠って当日を迎えても思うように仕事に入れない時があります。

 それはあまりの混雑で自分が任された時間より以前に人間から、思うような状況説明を得られないと言う事もあれば、もの
凄く忙しかったのに一瞬お客様の波が引けて、一瞬集中力が途切れてミスをしそうになる。

 そんな時もあります。

 サッカーで均衡状態や劣勢の際、指揮官は途中出場の選手で流れを変えようとします。

 しかし途中出場の選手にこそ、誰もが理解できる適切な言葉で仕事を説明しなくては、むしろ交代が状況を更に悪化させて
しまう可能性もあります。

 つまり、監督の意図を途中交代の選手が上手く飲み込めないままピッチに立ってしまうと、彼の混乱が全体に波及してしま
いかねない為です。

 ダービーも同様でしょうね。

 ダービーこそ試合の入り方が大事で、その為には監督とコーチは徹底して選手の体調とメンタルを見極めて先発の11人を
決めなくてはいけません。

 ダービーというのは日本はまだしも、下手をすれば

 「ファンの暴動と警察の介入」
 「敗れた方のファンが暴れてスタジアム周辺の治安が一気に悪くなる」

 というマイナスの側面があります。

 ファンは不満足でしょうが、ドローで終わった際の選手と周辺住民の安堵感は痛いほどわかりますし、どちらもファンから
痛罵されることもなく練習に集中できます。

 例えばモウリーニョはレアル時代、クラシコで0-5という敗北を喫し、バルサファンからの嘲笑とレアルファンからの罵
声というダブルパンチを見舞われたことがあります。

 「たかだか1試合に敗れただけだ。
  がたがた騒ぐなよ!」

 彼はきっとそう思ったでしょうね。

 普通はまさにその通りで、ダービーでの勝利は通常と同じ勝ち点3ですし、数字上は何ら変わることはありません。

 しかし、ファンの感情までをも操ることができる指揮官はおらず、だからこそモウリーニョもクラシコの対策を練る形に
なったと言えます。
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