塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

世界が払うセレソンへの敬意

2013-09-20 23:38:11 | 日記
 ブラジルサッカーに負の遺産がある一方で、皆が彼らに敬意を払っていることも事実です。

 2012年は日本代表も彼らと対戦し、0-4の大差で完封負けを喫したものの、本田のように終了後には満足げな表情を
浮かべていた選手もいます。

 ザッケローニ監督に限らず、対戦国の監督は

 「セレソンに敗れたのだから仕方が無い」
 「我々は彼らと互角以上の競り合う時間帯もあった」

 と、セレソン相手には真正面からぶつかることを許されますし、敗れても相手がセレソンと言う形で免罪符すら与えられま
す。

 この懐の大きさと世界中に広がる抜群の知名度、そして何時いかなる時でも優れた名手を生み出すブラジル・サッカーは、
やはり途方もない大きな存在と言えます。

 ワールドカップでも伝統国のファンが自国の代表以外で唯一袖を通すのが許されるのが、この

 「カナリア色」

 のジャージであり、アンブロから契約を勝ち取ったナイキにすれば、最高の形になったといえるでしょう。

 90年代中期、ナイキはアディダス、プーマと比較した際、まだまだサッカーの世界では新参者でしたが、セレソンとの契
約締結は大きな飛躍をもたらします。

 ライバルのアルゼンチンは一時期リーボックを着用するも、すかさずアディダスが巻き返したのは、ブラジルをナイキが支
援するならば、アルゼンチンはアディダスが支援すべき。

 そんな考えがあったのかもしれません。

 アディダスは94年、98年もアルゼンチンをサポートしていましたから、契約は案外順調に進んだのでしょうか。

 ナイキとして悔やまれるのは、メッシの移籍でしょうか。

 バルサで彼が頭角を現した2006年、彼の足下にはスウッシュが輝いていましたが、今では誰もが認めるアディダスの顔
です。

 「君の祖国は僕たちアディダスが支援しているよ」

 メッシの耳元でアディダスはそう囁いたと聞きましたが、ナイキにとっては一枚上手の交渉術だったに違いありません。
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果たしてブラジルサッカーは変わったのか

2013-09-20 22:50:09 | 日記
 「父を無事返さなければ、俺はアメリカに行かないぞ!!」

 94年ワールドカップ前、ウルトラCの声明文を発表したのはエースのロマーリオでした。

 彼もまたお父さんをワールドカップ前に誘拐されており、どうやったら無事に会えるのかという知恵を絞った挙句、発した
言葉が冒頭の物です。

 1970年以来の世界制覇を目指すブラジルにとって、大エースの戦線離脱ほど痛いものはなく、ロマーリオは無事に父親
と対面します。

 しかし、この再会劇を今思うと、滑稽に見えて仕方が無いのですが。

 最初から誘拐という無様な行動を起こす間抜けがいなければ、こんな出来事は生まれるはずがないからです。

 負の遺産その3 ペレですら強盗と対面する。

 「ペレだが」

 この言葉を発しながら車から降りてきたペレを見るなり、強盗団は平謝りながら退散したそうですが、ペレですら強盗から
は逃れられないという重い事実。

 ちなみにロベルト・カルロスが車を運転しながらラジオ出演した際、強盗と出くわした形を

 「実況中継」

 したことは有名ですが、一体ブラジル社会というのはどうなっているのでしょうか。

 負の遺産その4 クラブの財政はいつもめちゃめちゃ

 バスコやフラメンゴなど、ビッグクラブの財政は常に逼迫しているのは有名ですが、今後この点が改善されることはあるの
でしょうか。

 選手の対する給料の支払いを期日に行う事は、「プロクラブ」として最低限の責任かと思いますが。

 僕は思うんですね。

 日本は別にサッカーで世界一にならなくてもよいから、腹いっぱいご飯が食べられて文盲の人間が基本存在せず、ほったて
小屋に暮らす人間がいない方が良いと。

 例えサッカーが素晴らしくとも、文盲で契約文章が読めず代理人とクラブの支配下に置かれたガリンシャの例を見ても、ブ
ラジルの姿勢は今も何ら変わらないと思えますから。
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ブラジルサッカーの持つ負の遺産とは

2013-09-20 22:40:18 | 日記
 ワールドカップ5度の優勝。

 ペレとガリンシャを筆頭に、守備と攻撃を問わず数多くの名手を生み出してきたブラジルは、欧州列強が戦術を磨く恰好
の相手であり続けています。

 「ブラジルを倒すにはどうすればよいのか」

 欧州は常にこのお題目を掲げて新戦術に取り組んできた歴史を持ち、だからこそ1974年ワールドカップでオランダが
2-0の完封勝利を飾ったことは

 「エポックメイキング」

 な出来事でした。

 マリオ・ザガロはこの敗戦の痛みを常に胸にしまい込み、だからこそ1998年ワールドカップでオランダにPKで勝利
し、決勝進出を決めると涙を流してしまったのです。

 しかし、ブラジルサッカーは常に脚光を浴びているわけではありません。

 僕だけでなく、特にブラジルサッカーに心酔している人間こそ、ブラジルサッカーが現在でも抱えている負の側面を訴える
必要があります。

 負の遺産その1 選手はファンの強迫を受け、移籍を余儀なくされることがある。

 近年ですとロベルト・カルロスがそうですね。

 コリンチャンス・ファンからコパ・リベルタドーレス敗退の責めを負わされる形が脅迫となり、自身の安全が保障されない
事を悟った彼は、アンジ移籍を決断します。

 ブラジルではファンが脅迫をして選手の精神が追いつめられるという事件がしばしば見受けられますが、高給取りだとか代
表選手と括りではなく、もうすでに

 「人権問題」

 に発展していることを、脅迫している側はわからないのでしょうか?

 負の遺産その2 選手の家族が誘拐される可能性あり

 ロビーニョとリカルド・オリベイラ。

 ふたりの元ブラジル代表は身内が誘拐され、生きた心地がしない時期を過ごした経験を持ちますが、こういうことを本当の
悪夢と言うのでしょうか。

 選手の家族が誘拐される事件は、ブラジルだけでなくアフリカでも見られますが、サッカー選手が裕福だというある種の
固定観念が招いているようにも思います。

 
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レイソル、チャンピオンズリーグ4強へ

2013-09-20 00:45:17 | 日記
 柏レイソルが自力で4強進出を果たしました。

 準決勝の相手は広州恒大で、FWクレオの古巣ということでも何か因果関係が感じらますね。

 もし仮にモロッコの地でアジア王者に輝いた柏レイソルと、欧州王者に輝いたクラブに日本人選手が在籍して戦うことに
なったなら。

 遠いモロッコの大地でクラブ・ワールドカップが行われていることを残念に思う反面、大きな楽しみも生まれます。

 「開催国枠」

 で出場しサントスと戦う機会を得たレイソルの出場は2011年。

 3年でもし2回の出場履歴が得られたなら、それは本当に凄いことで世界規模で見れば彼らが日本で最も知名度のあるク
ラブになるかもしれません。

 現実欧州王者に輝けるのは、香川が在籍するユナイテッド、そしてメッシのハットトリックでアヤックスを完封したバル
セロナ、、そしてレアルあたりでしょうか。

 しかし仮に

 「日本人選手同士の戦い」

 よりも、例えばバルサ対柏の方でも充分なニュースバリューはあります。

 傍から見ていて

 「バルサは強いなあ。」
 「レアルもバルサの前では分が悪いな」

 と感じていても、実際日本人選手と指揮官が戦った例はないわけですから、世界の最先端を知る為には絶好の機会になる
でしょうね。

 これも今の段階では全てが仮定の話で、レイソルは今後もJ1のチャンピオンズ・リーグを掛け持ちします。

 少なくともレイソルの動向は、例えジェフのファンでも気になるでしょうし、僕もしばらくはレイソルに動向に注視したい
と思います。

 パルセイロは監督、選手の間柄でレイソルに好意を持つ方がいますし、アジア王者に輝いた際は長野からも祝福の声があが
る事でしょう。
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今季が楽しみなチャンピオンズ・リーグに参加する日本人選手たち

2013-09-20 00:30:23 | 日記
 香川(ユナイテッド)内田(シャルケ)本田(CSKA)そして宮市(アーセナル)

 過去ここまでの有力クラブで日本人選手がチャンピオンズ・リーグに出場した例は無く、今季は日本でもこの大舞台に
注目するファンが多くなるでしょう。

 今季はワルテル・マッツアーリ政権が好調なインテルが出場権を得るでしょうし、従来通りの結果を上記クラブが達成
できたならば、統計上は5名がチャンピオンズ・リーグに参加できます。

 本田は2014年1月、再度ミランが接触を試みると言われています。

 もしミランよりもCSKAの方がチャンピオンズ・リーグで上位を狙える状態ならば、案外残留の線もあるように思え
ます。

 チャンピオンズ・リーグに登録してある以上、アレグリ監督は本田を戦力として捉えることが出来ないためです。

 ただ本田からすれば、この大舞台よりも

 「ロシアから他国への移籍」

 の方を重要視している側面もありますが、スルツキ監督が日本代表のエースを気に入っている事は間違いないですしね。

 2011年、内田のシャルケとインテルの長友が直接対決をした際、大きな興奮が生まれましたが戦った本人たちはむ
しろ、さっぱりした表情を浮かべていたのが印象的でした。

 つまりふたりからすれば

 「周囲が騒ぎ過ぎているだけ。
  この光景は数年後、普通の状態になる」

 と見越していたのでしょうし、事実そうなりつつあります。

 2002年の小野、2003年の鈴木、2006年から8年までの中村など、2000年代にも日本人選手がチャンピオ
ンズ・リーグに出場してきた歩みがあります。

 その川のせせらぎが、大きなうねりになろうしている今、日本人選手の転換期なのかもしれません。
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