塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

南長野における飲食とゴミについて

2015-04-08 10:58:48 | 日記
 僕は異端なのでしょうね。

 長野パルセイロが新スタジアムを遂に完成させたものの

 「売店の食事は改善の余地がありすぎる」
 「駐車場問題が尾を引いている」

 と、評判が施設に比例していません。

 僕は独り身の気楽さで自由に徒歩、シャトルバスを選んでいますが、確かにくもり空の時は悩み須けれども、大人数と個人では選択肢が異なる事は確かです。

 売店に関して言いますと

 1・量と値段と味
 2・火が使えない事で出店側が提供する料理が限られる
 3・ゴミをどう処理すべきか

 という3点に集約される模様です。

 僕が弁当を持参するのは、列に並んで買えない(品切れ)、試合開始に間に合わないというリスクを回避するためですが、最大の理由は

 「商店街で買おうか」

 というものです。

 スタジアムでは、ほとんどの方が飲食を売店の食事で賄うと考えます。

 つまり商店街を利用することが

 「この店で買おう」
 「この店を訪ねたい」

 という目的意識があって始めて成立します。

 利用客だって売店と比べたなら、圧倒的に少ないと思いますし、地理の問題もありますから。

 僕も利用するのは駅前の「マツキ」「中山菓子店」くらいのものですが、何かしら利用することで店が、ああ、良かったと思えるのであればそうれで良いと思っています。

 自分が持参した飲食のゴミは自分で持って帰るわけですから、何の問題もありませんしね。
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僕が捉えるジバニャン人気の背景

2015-04-08 01:43:31 | 日記
 僕が務めているスーパーでいちばん先に配属されたのはおもちゃ売り場でした。

 もし今でもおもちゃ売り場で働いていたら」
 
 「妖怪ウォッチ」

 の爆発的人気に頭を抱えていたでしょうし、お客から常に指摘される「公平な販売方法」を日々模索していたかもしれません。

 当時からトミカやポケモン、ラジコンに仮面ライダーなど、人気商品の中でも限定品、クリスマス直前入荷など、ブランドの販売方法に頭を悩ませていましたが、今もそれは変わらない様子です。

 もし僕が父親であるならば、率先して妖怪ウォッチのおもちゃを買っていたかもしれませんが。

 サッカーファンであれば、ゲームを開発するレベル・ファイブがアビスパ福岡と関係があることはご存知ですよね。

 一方で

 1・方言を巧みに取り入れている
 2・声優さんとキャラクターが完全にマッチしている
 3・猫好きもきっと関心があるだろう

 という3点は容易に想像できます。

 しかし、一番大事なのは

 「悲壮感が無い」

 点でしょうか。

 Jリーグでは財政難のクラブがファンに募金を呼び掛けますし、その代表例が大分トリニータです。

 つまり募金をしている側の心には、どこか募金をしたという優越感、良い事をしたと言う感覚が一方的に残りますが、それは僕も同様です。

 妖怪ウォッチの主人公「ジバニャン」は、車に引かれて命を落とし「地縛霊になったネコ」だからジバニャンという名前なのだそうです。

 僕も猫を飼ってきましたからわかりますが、飼いネコとの別れは本当に寂しいもので、それは猫に限らず他の動物も同様ですね。

 しかし、地縛霊となったジバニャンの表情から、悲壮感は一切感じられませんし、だからこそその設定が寂しいにもかかわらず、子供たちが夢中になっている、そんな気がします。

 サッカーでも悲壮感が漂う試合結果があります。

 そんな時ことから元気を出すような、逆転の発想が必要だと言える気がします。
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サッカーは民主主義を代弁する

2015-04-08 01:28:17 | 日記
 民主主義の世界では言論と表現の自由が認められています。

 サッカーが世界規模で親しまれているのは、この民主主義と酷似している為だと感じます。

 つまり、玄人だろうが素人だろうが

 「今、自分が感じた事」
 「仮に自分の意見が的を得ていなくとも、発言が出来る意義」

 が見られますよね。

 先日お話した僕の父の言葉も同様です。

 「そんなに日本代表監督選びが難しいのならば、なでしこの佐々木監督を指名すれば良いじゃないか」

 玄人からすれば突飛な意見も、大いに歓迎されるべきでしょうし、専門筋はこうした意見を小馬鹿にすることなく、こうした意見もあるのだなと肝み銘じるべきでしょう。

 僕を贔屓にしていただいているお客の中で、ブラジルサッカーに精通している方がいます。

 実際にブラジル在住の経験を持ち、今でも当時の友人とブラジルと日本サッカーについて意見を交わすと聞きました。

 そこでその方曰く

 「カズが2部とは言え48歳でプレイしていることは、日本のレベルが低い事を意味する」
 「だって普通、48歳の人間がプロで活躍できるリーグなど、そうあるわけないだろう」

 なるほど、こういう見解もあるのだなと思いますし、何て発言だ、失礼だ!と目くじらをたてるのは尚早でしょうね。

 誰だってカズが日々節制し、練習を真剣に取り組み、試合に出る準備を怠らない。

 その点は「アンチ」も認めているはずです。
 
 一方で48歳の選手が現役で続けられるとすれば、バスケットだとうがアイスホッケーだろうがテニスだろうが、確かにレベルを問われることが間違いないと言えます。

 こうした議論が交わせること、賛同する、反対する、こうした醍醐味もサッカーの面白さです。
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