塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

大相撲にならうジャインアント・キリングの例

2015-04-15 00:19:38 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェスト2015年2月19日号の92ページで、フランスカップにおける大物食いの記事が見られます。

 執筆者のフランソワ・ベルドネ氏が語るように、2000年にカレーが決勝に進出した際は、日本でも関係各誌が大きく報道した事を覚えています・

 フランスが欧州屈指の柔道大国であるのは、日本人が弁慶と義経から連想する

 「小が大を打ち破る」

 爽快感を国民全体が把握しているから、と見受けられます。

 パルセイロが2013年の天皇杯でギラヴァンツ北九州を破り注目を集めましたが、本当の意味でジャイアント・キリングが成立するのは、やはりJFL以下のクラブが4強や決勝に残ってから用いる言葉。

 のような気もします。

 近年大相撲は横綱が敗れることもあり、座布団が国技館を舞うことがしばしばあります。

 でも、僕が幼少時、横綱に土がつくことは本当に大問題であり、だからこそ最上位である横綱は負ける事も、休場することも許されない、まさに頂点に君臨するための資質が問われていました。

 貴乃花がまだ高花田の時、千代の富士を破った一番は今も語り草です。

 これこそ、世代交代、ジャインアント・キリングの代名詞だと僕は今でも思います。

 この一番、僕はテレビを見ていたはずですが、さすがに

 「えらい事が起きた」

 と思いましたね。

 我が家は無くなった祖母と父がファンであり、お隣のおじいさんも同様でした。

 ですから千代の富士が仮に敗れると、うめき声や大声が聞こえてくるほどの一大事であり、千代の富士に限らず当時の横綱、大関が背負う重圧は相当な物でした。

 僕は最近サッカーに限らず、相撲、清酒、お茶などの日本が生み出してきた文化にいくらかの関心があります。

 それは

 「日本の事を知らなさすぎる」

 と言う自戒でもありますし、同様にリーグだけでなく幅広く日本のサッカーも観てみたいとも感じています。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後に思う、パルセイロに抱く親近感

2015-04-15 00:10:38 | 日記
 父の時代は大学に進学する事例が少なく、その点を考慮して僕が幼少時から資金を貯めてきた事は事実です。

 また、父が非常に秀でた能力を持つ事は、母だけでなく親戚、同僚も認めるところで、サッカーで言えばクライフとジョルディ、ダニー・ブリントとダレイ・ブリントのように、比較されている面はある気がします。

 だからこそ

 「俺がお前の時は家庭をもって、こんなに仕事をこなしてきた」
 「お前の大学資金はこれだけ費やした」

 と指摘されても、黙るしか方法がないのです。

 不出来を指摘されて、その上で

 「言いたいことがあるなら言え」
 「不満があるのなら言えよ」

 と言われても、仕方がありませんし、毎日マイナスの事を言われて「自信を持ちなさい」と言う発言は、明らかに言語矛盾しています。

 ダービーだとか、1部と2部というのは、こういうものなのでしょうね。

 例えばバイエルンはブンデスリーガで優勝を逃せば失敗と言う意味で、他のクラブの首ねっこを掴んでいますが、一番掴まれているのはドルトムントでもシャルケでもありません。そう、

 「1860ミュンヘン」

 ですよね。

 アリアンツ・アレナは当時両クラブの共同資産でしたが、1860ミュンヘンの手におえるものではなく、所有権はドイツ王者の譲渡しています。

 エスパニョールもカタルーニャにありながら

 「クラブにレアルの冠が付く」
 「カタルーニャにありながら、中央集権に依存している」

 と、カタルーニャの自治を求める人物、そしてバルセロナに関して、成績面に関しては押し黙ることしかできませんが、デ・ラ・ペニャのようにここが安住の地になったバルサ経験者もいます。

 僕がパルセイロが好きなのは、今までスタジアムが無いだとか、観客数がさほどではないという物質的な側面よりも

 「山雅に関して太刀打ちできる材料が多くは無い」

 と言う点で似ている、そんな感じもします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭を抑えられる事、自分の不出来を考える

2015-04-15 00:01:47 | 日記
 39歳ともなれば男女問わず親となり、同時に自分の両親も養っている年齢ですよね。

 僕だって給料の一部は渡していますし、3度の食事は基本我が家で食べるようにしていますが、内心「恥ずかしい」「忸怩足る気持ち」は持ち合わせています。

 言い方を変えるならば

 「首ねっこを掴まれている」
 
 と言う形でしょうか。

 両親に厄介になっている以上、基本僕から何かしらの要求を出す事はまずありませんし、両親は僕の不出来の部分を改善するよう求めますが、これに反論することはまずありません。

 サッカーに限らず、欧州ではとにかく自分の意見が正しい、相手に受け入れられるかどうか、この2点を考慮する以前にとにかく話をしまくる、こんな話をよく耳にします。

 日本人選手が良くもらすのは

 「とにかく彼らは自己主張をする」
 「そして考えられないのが、終われば肩を組んで帰ってゆく」
 「我々には考えられない光景だ」

 という物です。

 日本人の感覚で言えば

 「雨降って地固まる」

 という物に近いのでしょうか。

 僕個人は押し黙っている事が多く、どうやらこの態度が更に怒りを買っているようです。

 自分の不出来を自分で承知するのはともかく、過去の自慢話や兄弟や同僚との比較をされても、ただうつむいていると言う方は、僕の他にも案外多いようにも思えますがどうでしょうか?

 今季ならばディ・マリアのように、一度不振に陥った選手に

 「お前にこれだけの金額を使った」

 というのは、やはりアンフェアだと思います。

 クラブ間のやり取りに選手は減給していませんし、その点を批判されても金銭に関しては取り返しがつきませんから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする