塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーで数字に表れない要素

2015-04-23 01:53:38 | 日記
 サッカーでは数字が大きく物を言います。

 GKで言えば無失点終える「クリーン・シート」、FWであれば当然ゴール数が大きな指数となり、MFではアシストの多さが実績となります。

 全盛期のロナウドですら、ゴールが2試合無いだけで

 「バカ野郎!い給料もらってんだろうが!!」

 と罵声を浴びせられたものです。

 と言うことはエウゼビオやゲルト・ミュラー、レフ・ヤシンというワールドカップの名手たちも、時には数字で判断され、称賛も批判も全身で受けてきた歴史があると言う事ですね。

 でも、気迫や球際の強さのような、ある種の

 「精神論」

 は数字では表記できません。

 レイソルの吉田監督が

 「この5日、良い練習と休息ができた」

 と語ったように、充実した練習と食事、睡眠が選手の体から疲労を取り除き、充実したメンタルに導く事が当然です。

 選手がゴールを奪う、鮮やかなタックルでボール奪う、これらは数字だけでなく、映像でも確認できますからね。

 球際の強さ、表情に現れる喜怒哀楽。

 これらはプロ化以降、意味の無い練習、水分補給すらご法度であったアマチュア時代の悪の権化のような存在なのかもしれませんが、あと一歩、脚を伸ばすには根性、気迫、怒声というような精神も必要。

 のように思えます。

 これらをまとめると

 「自分の責任は気概を持って守り通す」

 ということに結び付くように思えます。

 時には僕たちも、数字、映像以外で選手を見つめる事が大切ではないでしょうか。
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最新号のエリアの騎士は、あの場面と酷似か

2015-04-23 01:29:34 | 日記
 昨日発売の週刊マガジンの中で、エリアの騎士に興味深い場面が出てきます。

 それは

 1・前半を0-3で終え、江の高が苦戦していること
 2・縦のラインとそうでないポジションでの経験値が違いすぎる
 3・後半は布陣を3-4-1-2に変更し、相手をかく乱する形に出た事。

 これ、2005年のチャンピオンズ・リーグ決勝と酷似している!

 そう思えたのです。

 トルコで初めて行われたチャンピオンズ・リーグ決勝。

 前半を3-0で折り返したミランファンは、既に2003年以来の優勝が確定的と楽観する一方、コップたちは沈痛の面持ちでハーフタイムを過ごしていました。

 ラファエル・ベニテスは布陣を3-4-1-2に切り替え、45分をうっちゃる気配のミランに対し、最初からスパートをかけます。

 (ワールド・サッカーダイジェスト2005年6月16日号を参照。
  前半は4-4-1-1でリバプールは臨み、後半開始からライト・フルバックのスティーブ・フィナンをディトマー・ハマンに切り替える形)

 ですから現実でも漫画でも

 「相手が思いもよらない、大胆な戦術変更」

 は、時に大きな成果をもたらすのでしょう。

 逆に言えば、それだけの変更を示唆できる

 「監督の肝っ玉」

 も問われるのでしょうが。

 3-4-1-2はトップ下とウイング・ハーフが守勢に回ら蹴れば、2トップと共に非常に効果的な攻撃が出来ます。

 ミランも3-0の状況では、両サイドの強力なプレスをかける必要もない、そう感じたでしょうし。

 今思えば、ジェラードが獲得した、最後のビッグタイトルになってしまいましたが。
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