塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ポルト、バイエルンに鮮やかな上手投げ!!

2015-04-18 00:42:27 | 日記
 この一戦が両国国技館ならば、決着の瞬間数多くの座布団が舞ったのでしょうね。

 僕はただ結果を読んだだけですがポルトがバイエルンに勝利したことは、関脇が横綱を破って土をつけたようなもの、と僕は解釈しています。

 大相撲も常に横綱、大関が賜杯を得るわけではありません。

 関脇が優勝する時もありますし、小結や前頭が敢闘すれば、ファンはおおいに満足しますし、何より土俵の話題が増えますよね。

 もしポルトが2004年以来3度目の優勝を果たせば、それはまさに偉業といえる成果であり、回数だけで言えばユナイテッドとインテルに肩をならべ、チェルシー、ドルトムントの1回を、かなり引き離す形になります。

 2004年はポルトだけでなく

 モナコ、指揮官でデシャン、主力はモリエンテス、ジュリ、エブラ
 ラ・コルーニャ、指揮官はイルレタ、主力はフラン、マウロ・シルバ

 と言うある種の

 「大穴」

 がひしめいた時代でもありました。

 ポルトが幾分不幸だと感じたのは

 1・モウリーニョの退任
 2・トヨタカップが最後のカードというメモリアルだったにも関わらず、対戦相手がオンセ・カルダスということで、日本のメディアが軽く扱う

 という側面があった為です。

 でも、ポルトのような関脇が、横綱を差し置いて優勝したならば、リヨン、セルティック、アンデルレヒトなど、他の関脇クラスにも、恰好の発奮材料になると感じます。

 それでも4強進出はまだ決定したわけでは無い。

 この点も忘れてはいけません。
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メッシとロナウドの共演が実現?

2015-04-18 00:31:01 | 日記
 UEFAがNBAオールスターのような、娯楽性のある試合を考えているようですね。

 ファンもメディアも

 「いよいよロナウドとメッシが共演するのか?」

 と興味を抱いていますが、これは本家でいうマジック・ジョンソンとラリーバードの間柄と似ています。

 前者がLAレイカーズ、後者がボストン・セルティックスという、東西の老舗にドラフト指名された瞬間から、NBAのテレビ視聴率が右肩上がりで急上昇し、同時に両チームの対戦はNBAの代名詞になります。

 今から考えると不思議な話ですが、当時のNBAにもモーゼス・マローンはジュリアス・アービングなど、有名な選手が存在したものの、麻薬や古びたアリーナなどで、さほどの人気が無かったのです。

 マジックもバードも、当初はお互いをよく思っていなかったと言います。

 それはレイカーズとボストンが、その多くがNBAファイナルで戦う宿敵であったこともそうですし、両者は大学時代から競り合ってきた間柄だったのです。

 その両者が急接近したのが、契約するコンバースの靴

 「ウエポン」

 の広告に起用されたためです。

 ウエポンは今でもコンバースを代表する靴ですが、この出会いでいがみ合いが溶け、お互いが敬愛する形に変化したんですね。

 ナイキとアディダス
 レアルとバルサ

 ブランドもクラブも宿敵同士というメッシとロナウドが、折り合いをつける事は難しいと言えます。

 一方でスラムダンクの花道と流川のように、最後でがっちりかみ合うような、そんな姿をファンは見たいと思いますし、逆にある種の平行線であるほうが自然、と言う気もします。
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不可抗力と言う言葉を探る

2015-04-18 00:17:34 | 日記
 「不可抗力」と言う言葉があります。

 僕はこの意味を、「自分が犯したミスではないが、自分が責任を取らざるを得ない状況」と訳します。

 客商売で言えば

 1・お客のミスによる返品(サイズが違う、色が気に入らない、おまけにレシートも無ければ購入日の記憶すら無い)
 2・メーカーによるミス(納品の段階で既に品がが汚れている、値札が付いていないなど)
 3.悪天候による商品入荷の遅延

 などが代表例です。

 誰だって、人様のミスで自分が頭を下げる事が

 「こんちくしょう!!」

 と思うでしょうが。

 サッカー監督だって、この不可抗力と毎日戦っています。

 日本人からすれば

 「審判の判定にあんなに凝らなくても良いのに」
 「誰もが間違う時があるなあ」

 と思いがちです。

 しかし、契約と解雇が表裏一体である欧州サッカーでは、自分の采配が判定で覆されたならば、自分へ解雇という言葉が迫ってくる気がしてならないのでしょう。

 また、選手の退場も同様です。

 マジシャンでもない限り、どの選手が退場をくらうようなラフ・プレイを相手にお見舞いするか、想像が付きません。

 これがエリック・カントナやジョーイ・バートンなら話はわかりやすい。

 しかしティエリ・アンリのハンドやマラドーナの神の手など、自分(監督)や審判が茫然とするような話で敗れる事になれば、ぐうの音も出ないでしょう。

 不可抗力はサッカーでも実生活でも見られる光景ですが、サントリーのレモンジーナに代表される人気商品が買えいない事も、不可抗力になり得るのでしょうか。
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