塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

バルサ、リベルに完勝し世界王者に君臨

2015-12-21 00:39:28 | 日記
 僕は密かに

 「リベルが世界王者にならないかな」

 と考えていました。

 トヨタカップ時代から南米王者が日本で世界一になる事を目指していた話は有名ですし、バルサからすれば日本で負けてもたいした痛みは無い、と勝手に解釈したためです。

 結果はみなさんご存じの通りですが、これでは

 「欧州王者も南米王者も、2試合で優勝が決まることはアンフェアではないか」

 という反論を引っ込めるしかありません。

 広島のように開催国枠から勝ち上がってきたクラブは4試合戦ったわけですが、国内リーグ以外で海外クラブと戦う機会が少ない場合は、数をこなすことはメリットになります。

 一方で

 ファンの観戦費用が高く付く(海外からのほうが高いわけですが)
 選手の疲労と過密日程

 の問題もあります。

 バルサのほうが時差の克服、国内リーグとの兼ね合いを考えれば、3-0というスコアで完勝したことを思えば、既に

 「クラブ世界一を決めること」
 「欧州大陸以外から王者が生まれるのか」

 という議論が噴出すると思います。

 レアルからすれば

 10度のチャンピオンズ・リーグ優勝というアドバンテージがバルサに詰められてきており、市場を意識するよりも、

 下部組織の見直し
 ベニテス、モウリーニョに限らず、監督とGM、選手との不和をなくす

 ことが今後求められるはずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督にとって厄介な要素とは

2015-12-21 00:29:10 | 日記
 長野パルセイロは三浦新監督という、クラブとこれまで縁もゆかりもない人物を指名しました。

 でも、これは良い人選だったと今の段階では言えると思います。

 少なくとも

 過去2季連続届きそうで届かなかったJ2への昇格
 山雅との対比
 新スタジアムで昇格に待ったなし

 を考えれば、これらの「しがらみ」を目の当たりにしてこなかった人物のほうが、思い切った事が出来ると感じるためです。

 監督というのは、自分の殻を壊さないといけません。

 仮の話ですが、引退した大橋が数年後、ライセンスを取得して指揮官としてベンチに腰掛けたとします。

 「大橋さんの人柄は本当に素敵」
 「彼が長野の監督でうれしいよ」

 という声は当然挙がります。

 でも、監督というのは時に声を荒げ、審判に詰め寄り、試合の間はテクニカル・エリアまで絶えずでなくてはいけません。

 周囲からすれば

 「人が違ったようだ」 
 「あんなに穏やかな人柄だったのに、変わるもんだな」

 というやっかみや批判の声をあげたくなるでしょう。

 それは選手も同じですよね。

 つまり、監督はこのパブリック・イメージという限定された考えを打ち破る事、これが最初の登竜門だと感じます。

 特に名手が古巣に戻ってきたときは、やはりパブリック・イメージという殻を壊すことは相当しんどいと思います。

 日本ならジュビロの名波、F・マリノスの木村、海外ならニューキャッスルのシアラーがそうでした。

 シアラーは

 「監督はやりたくないね」

 と語っていたものですが、今は再び声がかかることを待ち望んでいるそうですから、たとえ解任、短期で終えても得るものが大きいということでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする