塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自己流であること、学び続ける大切さ

2015-12-20 22:12:48 | 日記
 世界文化社が刊行する男性誌に「メンズ・EX]があります。

 この編集部が定期的に別冊を刊行していることをご存じの方は多いと思います。

 その中で靴の手入れだけを特集したムックがあるのですが、買って読んでみたところ、完全に目から鱗の形でした。

 僕も靴の手入れの基本は、自分なりに解釈しているつもりでしたが、プロの世界ではこの「つもり」が一番厄介だということがわかりました。

 言い換えれば

 「自己流とプロの違い」
 「だからこそ、報酬が発生することで顧客が生まれ、満足する」

 事を痛感した次第です。

 Jクラブのホペイロも、ただ「この職業に就きたい」と思うだけでは、到底無理でしょうね。

 自己流と言えば、サッキのように

 「選手経験を持たない」
 「つまり、自分がプロコーチの教えを受けた事がない点を、どのようにとらえるか」

 は大きな論点だと感じます。

 欧州サッカー批評9号の中で、クロップがサッキに対して大きな感銘を受けたと掲載されていますが、映像分析、練習を生で見学するという実践を経ても、監督として職務を全うすることは難しいでしょう。

 だからこそ、彼らは

 「学び続けること」
 「そして解任を恐れない」

 事を肝に銘じていると感じます。

 それはモウリーニョも同様ですが、彼の場合は自分にプレッシャーを与え続ける事、これがタイムズのオリバー・ケイ記者が考える

 「モウリーニョの3年目問題」
 
 の正体かもしれません。
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片手落ちに陥るという危機感

2015-12-20 22:02:26 | 日記
 僕は漫画に疎いほうですが、漫画を好む方の心情はわかります。

 例えば今度映画化になる「猫なんて呼んでもこない」は、猫好きにはたまらない代物です。

 実業之出版が版元なのですが、初回分から大好評だったと聞きましたし、文章で描くよりもイラスト、漫画のほうが伝わりやすい側面はあるでしょうね。

 ただ、間違ってはいけないのはバランスです。

 海外の方が

 「電車の中で漫画を読む若者」
 「良い大人が何をしているのか」

 と訝しがるのは、辻褄、つまり

 「漫画だけではなく、日本と海外の文学作品を同時に学ぶことこそ価値がある」

 と捉えるためでしょう。

 古今集や万葉集から始まる日本の古典、そして近代、現代文学作品はそれこそ様々な出版社から発売されていて、買うことが難しいことも確かです。

 でも、海外の方が言うように

 「漫画が学校の成績に直接反映されないのは、今も昔も変わらない」
 「公の場で漫画やアイドルの話題が永久に成されない」

 事は今後も基準であり続ける。

 つまり、漫画やアイドルのことをしたり顔で話し続けることは、片手落ちにつながりかねない危険性がある。

 僕はそう感じています。

 サッカーも同様で、良い守備からは良い攻撃、良い攻撃からは良い守備が生まれます。

 戦術というものは、ある戦術を改善することで発展しますが、例えばゲゲン・プレッシングの根底にあるものはゾーン・プレスです。

 でも、どちらも戦術も攻撃と守備、片手落ちでは成立しませんよね。

 漫画を読むなら文学も読む
 文学を読んで漫画を買う

 ピースの又吉さんは漫画にも精通しているそうですが、彼もまた、片手落ちを危惧しているのかもしれません。
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文化とは言い換えれば気概ではなかろうか

2015-12-20 01:33:42 | 日記
 長野パルセイロが長野にサッカーという文化を生み出せるかの参考例は、足元にあると感じます。

 それはパルセイロのゴールド・スポンサーである「フジヤ・ゴホンジン」になります。

 フジヤ・ゴホンジンは善光寺門前を代表する建築物であり、いつかここで食事をしたい、結婚式を挙げたいと思うファンは、パルセイロ関係者以外にもたくさんいると思います。

 その向かい側に、僕は利用したことがないのですが、「ヘイゴロウ」と呼ばれるパティスリーがあります。

 池波正太郎先生の著作を愛読している方ならご存じでしょうが、この店舗、かつては

 「五明館」

 と呼ばれる旅館で、池波先生は真田太平記を始めとする長野取材の際、この五明館を軸に行動をしていたのです。

 五明館での日々がどれだけ快適で素晴らしいか、それは

 「良い匂いのする一夜」
 
 を軸に様々なエッセイの中で記されているものの、五明館は数年前にその旅館としての役割を終える形になりました。

 フジヤ・ゴホンジンの方々が

 「門前の代名詞を失う虚しさ」
 「善光寺を軸にした伝統、景観、美しさを守る事」
 
 その思いが実って、今のヘイゴロウになったんですね。

 文化、それは

 「俺たちがいる限り、この情熱が絶えることはない」
 「だからこそ、俺たちは考えて、行動する」

 という気概の現れを意味すると、僕は解釈しています。

 長野パルセイロも

 「長野がある限り、俺たちは存在する」
 「長野の皆さんが、紺とオレンジをまとうことが、我々の力強さ」

 と思ってもらえる、そんな運営になると良いですね。

 勝っても負けても、パルセイロのことが月曜日の話題になる日は来ると思いますが、そのためには歩みを止めてはいけませんし、気概も必要です。
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サッカーが文化を生み出すことは可能か

2015-12-20 01:18:39 | 日記
 日本経済新聞が月に一度の形で、松浦弥太郎氏によるJ・プレスのコラムを掲載しています。

 僕は氏の著作は所有していませんが、氏の文章からにじむ優しさは、みなさんにも伝わると思います。

 松浦さんの文章を読むと、J・プレスが単なる洋服屋ではなく、文化を創造してきたことがわかります。

 長野市ですと東急の中にJ・プレスがありまして、以前カバンとリボン・ベルトを購入したことがありました。

 僕は甲府に出かけた際、岡島百貨店に必ず立ち寄りますが、ここのJ・プレスの敷地は、長野東急の倍以上ありまして、そのたびに

 「大学時代、ここで服を買ってみたら良かったなあ」
 「洒落たディスプレイだね」

 と感嘆しています。

 ですから、ヴァンフォーレの試合を観戦、もしくは自クラブの応援のために甲府を訪れた方は、岡島で洋服を見ると良いですよ。

 中にはヒッキー・フリーマンのような大物の取り扱いもあり、驚くこと間違いなしです。

 J・プレスは米国にルーツがあり、日本ではオンワードが版権を所有しています。

 きっとJ・プレスはオンワードと提携する際に

 「彼らならば、Jプレスという文化を日本でも順守してくれうだろう」
 「そしてその目論見は、間違っていなかった」

 という形と言えそうです。

 松浦さんのコラムを読むたびに、100年続く彼らの歴史と長年購入した服を愛し、手入れを怠らない米国の人々の姿が見えてきます。

 長野パルセイロも

 「文化を増槽すること」

 を考えないといけません。

 Jリーグも誕生する際に「100年構想」という文化を理念にしましたが、では文化を生み出すとは、具体的にどのようなことを差すのでしょうか。

 衣類ならば、適正価格、品質、オーダーの存在などが挙げられますが、サッカーになりますとどこか抽象的になってしまいますから。
 
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