塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ケルメ、改めてスパイクを開発、販売へ

2018-03-22 01:55:37 | 日記
 インテル在籍時、チリ代表FWイヴァン・サモラノは当初ロットを愛用していましたが、そのごケルメと契約します。

 サモラノはインテルの前にはレアル・マドリードに在籍しており、その際レアルへ現在のアディダスではなく、ケルメがスポンサーでした。

 ケルメと接触したのは、サモラノがリーガでプレイしていたことと無関係ではないと思います。

 そのケルメ、フットサルシューズだけでなく、スパイクも改めて流通させるようですね。

 ケルメは過去、バルセロナ五輪のスペイン代表をサポートし、ルイス・エンリケも愛用していた時期があります。

 日本でもトレーニングトップをはじめ、衣類が数多く流通していますが、スパイクを提供することでより多くのファンを獲得したいと感じているのでしょう。

 同じスペインホマがスパイクに自社の頭文字「J」を刻んでいるように、ケルメもまた自社の頭文字「k」を、わざと反対に刻印している点が特徴でしょうか。

 ホマにしてもケルメにしても、ナイキやアディダスのような洗練さが無い点が、むしろ味のように思えます。

 フランスならばル・コックやパトリック
 イタリアならばディアドラやカッパ
 日本ならばアシックスとミズノ

 これらが手掛けるサッカースパイクやジャージは、機能とデザインが一体化し、同時に多くの専門店で購入できるメリットがあります。

 スペインはイタリアと同じ南欧でありながら、ファッションや芸術面ではどうも見劣りする印象が強いのですが、最近ではサンプドリアがホマと契約するなど、趣が変わってきています。

 ケルメのスパイクを履く選手は少ないでしょうが、今後注目したいと思います。
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日陰の存在と明るい道を歩く選手

2018-03-22 01:41:35 | 日記
 皆さんの勤務先でも配置転換や他の営業所に移籍する方の送別会があるでしょうね。

 僕の部署でも他の系列部署に移籍する人間へ、寄せ書きや贈り物を用意したのですが、僕はその光景を見ながら

 「もし僕が自主退社しても、こんな見送りや寄せ書きなどはないだろうな」

 と惜しまれながら見送られる人間と、僕のような日陰の人間のコントラストを冷ややかに見つめていました。

 サッカーでも、クロード・マケレレがレアル・マドリードから

 「ベッカムでの中盤センターは問題ない」
 「何より彼は商売になる。マケレレはそうではない」

 とボロ雑巾のように見捨てられる例はあります。

 ローマでいえばトッティ
 バルサでいえばシャビ
 リバプールではジェラード

 ファンにとって大切でかけがえのない選手が引退、移籍を決断した場合、クラブがセレモニーを用意するのは当然です。

 一方でクラブのためにひたすら汗を流してきても、そうはならない選手がいる。

 この対照的な光景はどこにあるのでしょうか。

 例えばバルサでいえばマスケラーノが中国リーグに移籍しましたが、長年の功績に敬意を払い、何かしらのセレモニーが開かれる、というわけでは無かったですね。

 これは彼がリベル、コリンチャンス、ウエストハム、そしてリバプールと純粋にバルセロナのみに在籍したわけではない事も影響していると思います。

 しかし良い攻撃のためには良い守備が必要な事は当たりまえで、ブスケッツと並びバルセロナの屋台骨を背負ってきたこのアルゼンチン代表も、もっとねぎらいの形があってもよかったように思うのです。

 僕は不人気ですから寄せ書きも餞別もいりません。

 それでも選手生活を終えた選手にありがとう、といえるファンではありたいと感じています。
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どんくせえ僕にも出来る事

2018-03-22 01:29:17 | 日記
 僕はフェアトレードやチャリティ、オーガニックなど社会的価値観を持つ商品に関心があります。

 サッカーにおいて、財を成した選手たちが自分の生まれた地域のために活動するように、選手だけでなく僕たちが行動することが大事だと重いからです。

 遊び人と批判されるロナウジーニョだってチャリティはしているはずですし、アントラーズの小笠原が「東北人魂」という形で、何とか震災の痛手を和らげたいと奮闘している点はよく知られています。

 でも、僕が社会貢献に関心があるのは、単純の僕自身が

 「どんくさい人間」

 だからでしょう。

 僕が結婚できない、女に限らず他人とうまく関われないのは、政治や経済状況という過去20年の日本社会にあるわけではありません。

 1・大学時代、高校時代に勉強を怠けていたから
 2・大学時代、将来の目的や自分と向き合う時間を作らなかったため

 というあくまで僕自身の問題だからです。

 でも、劣悪な労働環境や、シリアやウクライナのように

 内紛状態で飲料水や食料、医療が不足している
 他国の一方的な介入で未来が狂った

 方たちがいる以上、どんくさい僕にもやれることはあるでしょう、と勝手に考えているためです。

 サッカーでもチェルシーのカンテに代表される、玄人筋からの評判は絶大でも、給料が適切に評価と結びつかない、ファンはエースや派手な活躍をする選手の好む、というある種の理不尽に代表される選手がいます。

 同じフランス代表のクロード・マケレレがそうでしたね。

 でも彼らは他人の評判を無視し、自分がなすべき責任を黙々と追及していました。

 どんくせえ僕にも他人に息吹を与えることはできるのではなかろうか、これが冒頭の答になります。
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