塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思う、アディダスの心中

2018-03-01 22:31:07 | 日記
 アディダス経営陣は年間100億円をユナイテッドに支払うことを、馬鹿らしいと思っているでしょうか。

 恐らく契約を結んだ際は、ナイキから契約を勝ち得た満足感もあったでしょうが、お隣のシティはナイキと共に躍進中とあれば、気乗りしない側面があるように見えます。

 ファーガソン政権最終年となった2012-13シーズンは見事プレミア優勝で幕を閉じましたが、実のところこの時点で彼は

 1・課題であるセンターバックと中盤センターの強化を先送りしていた
 2・アーセナル時代は故障が多く、シーズン通じて戦力にならないファン・ペルシが、この年だけは通年で健康だった

 という点を忘れてはいけないと感じます。

 モイーズ政権は発足当時から信任はありませんでしたが、ファン・ハール、モウリーニョ政権でも選手をとっかえひっかえしている印象が拭えません。

 最古参のルーニーがエバートンに復帰したことで、戦力ではなく

 これまでのクラブの歩みを語ることが出来る選手
 報酬や待遇で諍いが起きそうな際に、割って入ることができる選手

 がいなくなってしまったことも大きいのではないでしょうか。

 優勝を目指すあまり、忍耐に欠けてしまう、それはファンの重圧でもあるのでしょうが、アンソニー・マルシアルのように、輝きを放った選手が落ち着くことができる環境を、クラブは今準備できていないのかもしれません。

 メンフィス・デパイがリヨンに移籍することを決断したとき、自分から要求したとされる背番号7をどう感じていたでしょうか。

 ロナウドがスポルティングから移籍し、7を背負う際は間違いなく数多くのサポーティング・キャストに恵まれました。

 デパイは2004年当時とは異なる格好で戦ったわけですが、それも時代の趨勢と言わざるをえないのでしょうか。
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関心を抱くこと、改めて勉強を始めること

2018-03-01 17:48:09 | 日記
 家の箪笥や書棚を整頓していると、幾何かのお金になりそうなもの、衣類ならば洗濯してまだ着れそうなものが出てきます。

 僕はそれらを見極めながら、サッカーにおける2部や3部のクラブが、体裁を繕うためにユースから1軍で使えそうな若手を血眼で探す作業はこうではないか、と勝手に推測します。

 千曲市は小型の電子機器や使い切ったインクジェットの回収を省庁で受け付けていますし、国道沿いに無料のリサイクル倉庫もあるので、最近はお世話になることが多くなりました。

 物が多いことは、過去にそれだけ様々な分野に関心を抱いていたことを意味しますが、関心が続かなかったことも意味します。

 僕は自分でも

 どうして毎日、サッカーの事を考えられるのだろうか
 どうして他の分野とは異なり、飽きる、脚を洗おうとは思わないのだろうか

 と思うことがあります。

 一方で幾分焦った方が良いと思うこともあります。

 長野Uスタジアムは多目的スタジアムであるために、今年の6月2日、ラグビー・トップリーグのヤマハ対イタリア選抜の試合が行われます。

 僕はラグビー観戦の経験はなく、ルールもポジションも把握していませんが、観戦してみたいと思いますね。

 それは通常、サッカーが行われるスタジアムで別の競技が行われるという意味もありますが、お隣のお隣にある上田市が、ラグビーイタリア代表の合宿地として菅平高原を指定いるから実現する試合でもあるのです。

 つまり、上田市、菅平高原、千曲市のような隣接する地域は、もぅとラグビーに関する知識を学び、イタリア語話せる人材を生む必要があると思うのですが、そんな話と盛り上がりは聞いたことがないためです。

 英国ではラグビーを支持する階級とサッカー好きの階級が異なるわけですが、ラグビー・ワールドカップのホストである我々には想像がつきません。

 ただ東京五輪の声が聞かれても、来年のラグビー・ワールドカップの情報が聞こえてこず、関わりのない僕はもっと焦った方が良いと思うのですが、僕が小心者のためでしょうか。
 
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改めて思うメモラビリアの価値

2018-03-01 14:43:07 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェストに広告掲載をおこなっている、サッカーメモラビリアの専門店「ザ・ダグアウト」

 彼らがトッティのメモラビリアを紹介している広告の中で、気になったのがディアドラのスパイクにオートグラフ(サイン)を求めていた点です。

 トッティが現役時代、ナイキからディアドラ、ディアドラから再度ナイキという形でスパイクを履き替えました。

 仮に現役を退いた今でも、何かしらナイキとかかわりがあるのであれば、自分が愛用したスパイクとはいえ、ディアドラ製品に名前を書き込むことは、何か問題にならないのだろうかと余計はお世話をしてみただけですが。

 トッティに限らずザ・ダグアウトは、過去にメッシやロナウド、バッジョなど多くの名手からメモラビリアを入手してきました。

 僕が以前、サッカーやバスケットカードを集めていた際は

 「サインカードよりもジャージカードの方を多く引き当てた」
 「サインカードは購入したこともある」

 というもので、さすがに高額品を買い求めたことはありません。

 サインカードを買い求めた、というのが中古ショップでバラカードがセット販売されている中、目玉としてサインカードも封入されたいたわけで、途方もない金額を費やしたわけではありません。

 でもファンとすればたとえ選手が引退したとしても

 購入したメモラビリアと共に、選手の過去を振り返る
 そして退いた現在の生活を、見守りながら出会えたことに感謝する

 ことは、凄い事だと思います。

 それだけの時間と保管場所、お金を費やしても良いと思える選手と出会えたわけですからね。

 過去、バッシュでは選手サインが偽物という事例もあり、ザ・ダグアウトのような証明書を発行する専門店は、今後も多くのファンが集うでのではないでしょうか。
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諸外国の冷たい視線は的外れだろうか

2018-03-01 00:54:10 | 日記
 日本代表がワールドカップ出場はおろか、プロリーグもないころサッカーを志す選手は、キングのように海外に出向くほかありませんでした。

 「日本人にサッカーができるのか」

 というのは、日本以外の至る地域で聞かれた言葉のようですが、では韓国や中国の方が同じ志を抱いてやってきた際も、同じように侮蔑的な言葉をぶつけられたのでしょうか。

 ブンデスリーガでは20世紀における最高のアジア人として表彰された、ボンクン・チャがフランクフルトでプレイしていたため様相は異なったかもしれません。

 でも、サッカーが盛んな今でも諸外国の人間にこう言いたいものですね。

 「おいイタリア、鉄道ひとつダイヤ通りに動かせないのに、よくワールドカップ90の開催に立候補したもんだな」
 「おいブラジル、サッカー観戦で人が死ぬような国によく住んでいられるな。治安という言葉、お前ら知ってんのか?」
 「おいフランス、他人の存在を顧みずに自分の自己主張だけがとりえのお前ら、航空会社の度重なるストライキがあるのに、よくワールドカップ98を開催したな」
 「おいアルゼンチン、貧困層の問題が解決できないのに、ワールドカップの優勝を目指すと宣言するのは、順序が違うだろ」

 これは推測にすぎませんが、戦後、日本企業が世界を席巻するような技術で何かしらの貢献を果たしたことは確かです。

 自動車会社にとってマツダのエンジン開発とトヨタ・プリウスはすさまじい衝撃だったでしょうし、チキンラーメンが保存食というが癒えんを生み、東芝は2002年ワールドカップでパスコンを提供した。

 識字率に問題が無く、水道水が安全なうえに治安も頗る良い。

 もし日本がサッカーで上昇気流を描くようになれば、自分たちが太刀打ちできる材料が減っていく。

 とでも感じたのでしょうか、と感じることはあります。

 Jリーグだって改善すべき点はありますが、少なくともイタリアのようにスタジアムの横にある売店で海賊品が売られることも、ブラジルようにいきなり便器が投げ込まれて死者が出るようなことはありませんよね。

 そう考えてみると諸外国の批判、真正面から受け入れなくても良いのではないかと思うのです。
 
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