塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ベルギー代表にみる、指揮官と選手の距離

2018-03-23 15:14:58 | 日記
 ワールドカップロシア大会で、注目を集める国のひとつにベルギーがあります。

 かつてシーフォとプロドームという名手がいた時代からおよそ20年、1980年代の最盛期を凌ぐだけの選手層をベルギー代表は得ています。

 そこで感じたのが

 1・世界王者を目指すならば、指揮官に物足りないと意見するのがエゴだろうか
 2・それは批判であり、越権行為になるだろうか

 というものです。

 現在ベルギー代表はスペイン人のホベルト・マルチネスが指揮官であり、プレミア・リーグ、とりわけエバートンでの実績を評価されています。

 ベルギー代表は3-4-2-1と、最終ラインを3人で構成しながらアザルにブルイネ。そしてフェライニにヴィッテルと、前線から中盤に凄まじいまでの戦力を用意しています。

 守備陣にもアンデルワイデルトとクルトワがおり

 前線からのプレスで守備の負担を軽減
 クルトワという世界に誇るGKの存在がリスク・マネージメント

 という形なのでしょうね。

 一方で3-2-4-1が思うように機能せず、現在はむしろ5-4-1に近い形が2018年に入ってから続いているとの指摘もあります。

 マルチネスを招聘した背景には、2014年のワールドカップと2016年のワールドカップでマユク・ビルモッツ体制の限界が明らかになったためでしたが、ブルイネがはっきりと

 「物足りない」

 と指揮官に注文を付けたと聞きました。

 優勝を目指すならば越権行為に近い形でも指揮官の練習内容を指摘し、体制を整えるべきという意見が反映されるのでしょうか。

 現状、日本ではまず無理でしょうし、それ以上にメディアが騒ぎ立てることも間違いないはずです。

 大半がコンテやモウリーニョ、グアルディオラとチャンピオンズ・リーグ優勝を狙うクラブの指揮官から薫陶を得ており、その点マルチネスは独創的であっても、どこか物足りないのかもしれません。
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物事は多方面から見るべきではないか

2018-03-23 01:06:18 | 日記
 ゲイリー・オールドマン主演に限らず、これまで宰相ウインストン・チャーチルは数多くの映画の題材に用いられています。

 それだけ大英帝国の威信を護り、ドイツ軍に屈服しなかったことは、西洋という大陸だけに留まらず、世界的に見ても価値あることだったのでしょう。

 一方で英国はインドを統治下に置き、インド総督府に出向いたマフマト・ガンジーに対し、彼がぼろぼろの布切れを巻いて出向いた事を指し

 「乞食のような僧侶」

 と鼻で笑ったといいます。

 本国では英雄であり続けること
 支配下の国からすれば不倶戴天の敵

 インドはクリケットや紅茶が盛んである一方、サッカーもラグビーも普及してきませんでしたが、ある種英国の大衆が関心を持つことに対してボイコットすることで

 「サッカーという英国価値観の排除」

 でプライドを護った、のかもしれません。

 レオ・メッシはバルサとアルゼンチン代表にとって最高の選手であり続けている一方、レアル、アトレティコ、エスパニョール、そしてコパ・アメリカやワールドカップで戦う国からすれば、まさに不倶戴天と言えます。

 一番はやはりセレソンでしょうね。

 物事は常に表裏一体で観察することが大切であり、ある面からみれば素晴らしい人間でも、別の角度柄見れば厄介極まりないという側面があると言えます。

 例えばローマ法王ですら、カソリックからすれば大切な存在であっても

 1・ロシア正教やギリシア正教という、価値観が異なるキリスト教
 2・他にもキリスト教はプロテスタントや長老派、メソジストなど様々な教えがある

 というように、すべてのキリスト教を信仰する人々の頂点ではないわけです。

 別な言い方をすれば完璧な人間はいないという証拠でもあるのですが、もう支配者、被支配者という価値観は廃れるべき時代ではあると言えますが。
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今から振り返るバブルという時代背景

2018-03-23 00:48:54 | 日記
 平野ノラさんが人気者になったのは、若い世代が知る由もない「1980年代」「バブル」の特徴を、コミカルに表現したためです。

 僕はこの時代小学生でしたが、バブルというのは経済的価値観よりも

 「ごった煮」、言い換えれば洗練されているようで洗練されていない時代感と雰囲気が魅力であり、その影響が今再度見直されているように思います。

 例えば男性用のスーツだけ見ても、アルマーニだろうがフェレだろうが

 1・着る個人の体形にまるでフィットしない
 2・紺やグレイのような、基本色ではないド派手なスーツ
 3・仮にこれらがリバイバルしても、解釈するのが難しい

 という、ある種異様な着こなしでした。

 女性の髪形も「ワンレン」と呼ばれる、長い髪の毛を束ねたものが圧倒的で、お金があるのではなく

 「お金が余り過ぎている」
 「お金の使い道が見つからない」

 という2010年代の現在からすれば、考えられない時代でしたね。

 それはサッカーも同様です。

 日本はまだアマチュアであり、既にプロ化した韓国の背中は遠い物でした。

 その中でも特筆すべきが読売クラブで

 1・帰化する前のラモスが相手のラフプレイに怒り、負いまわしたことで1年の出場停止が下る
 2・戸塚哲也は、日本代表に選出されるも読売クラブの方がレベルが高く、楽しいと代表で戦うことを固辞する

 というように、今そんな発言をしたら間違いなく袋叩きに合うような出来事がいくつも存在しました。

 それは五輪もワールドカップもプロ化も現実的ではないためもあるでしょうが、逆に言えば他人の視線を気にせず、発言をすることができた闊達な時期だったのかもしれません。

 収益やボーナスだけを考えれば、バブルが戻ってほしいと思う方は今でも多いと思いますね。
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