塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

もし自分の愛用品が廃盤になったなら

2018-03-14 01:26:04 | 日記
 サッカーに限らず、勝負事は勝たねばならないという文言があります。

 ガンバが開幕3連敗で苦しんでいるのは、彼らがJ1屈指のアカデミーを持ち、多くの優勝を味わってきたからこそ、敗北の味が他のクラブよりも重くのしかかるためです。

 一方、スパイクは売れなくては意味がないのでしょうか。

 どんなブランドでも新商品と廃盤品はあるわけですが、廃盤品の決定は

 1・単純に売れ行きが思わしくないからなのか
 2・製造過程では浮彫にならなかった、品質と機能の問題なのか
 3・シリーズ化に至らない可能性が高いためなのか

 作り手側から発表があればよいのに、とも思います。
 
 ヒュンメルが「ヴォラート」に何らかの不具合を見つけ、回収、改善し、再度発売にこぎつけたように、デザイナーや工場の生産者など、彼らの努力が実り履けるようになることは、やはり凄い事だと思います。

 一方で製品づくりの難しさもありますよね。

 僕たちは「PL法」という法律で護られていますが、一方で廃盤品をこよなく気に入っている方がいれば、昨今のサイクルの短さは気になるとことでしょうか。

 スパイクとジャージには

 1・メモラビリアという古楽商品
 2・自分で選手にサインを求めたもの

 もありますし、ファンにとってかけがえのない形もありますよね。

 そのファンは選手を見ながら、彼らが愛用するジャージとスパイクにも気持ちを馳せており

 「ああ、あの時こんなスパイクがあったねえ」

 と振り返る楽しみもあると思います。

 こうしたファンの気持ちが、復刻版の販売理由になるとすれば、作り手にも制作のヒントになるのではないでしょうか。
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惜しまれながら去るという気持ち

2018-03-14 01:04:48 | 日記
 人間社会とは不思議な物で、僕のように全く友人がいないのに差し出さねばならない金が存在する一方で、僕にお金を差し出す人間がいないのですが。

 弔問客として香典を準備する
 転勤の方へのお餞別

 それらがそのお金の中身なのですが、僕が退職しても誰も何とも思わないでしょうし、

 「あなたと働けて嬉しかった」
 「お元気で過ごしてくださいね」

 と声をかけられる方は、良い職場にいることができた証明と言えますよ。

 以前にも書いたことはありますが、もし僕が大リーガーならば、永久にオールスターゲームに選出されることはないでしょうし、不人気ナンバー1になる自信だけは滅法ありますから。

 2007年、チェルシーがモウリーニョを解任したときの衝撃はすさまじいものでした。

 この年、オーナーであるアブラモビッチは

 1・過去2年プレミア王者に輝いたクラブが、欧州王者に輝く時期が来たと考えた
 2・その補強策がドイツ代表のバラックとウクライナ代表のシェフチェンコ

 という形だったわけです。

 チェルシーの屋台骨をジョン・テリーにランパード、ドログバが担っていたいたことは、このシーズンも変わりませんでした。

 しかし、バランスがとれた4-3-3-(4-5-1)は、シェバとドログバを先発で起用するために4-3-1-2へと変更され、3トップとは異なり、攻撃の幅を狭める結果となりました。

 この年を最後にモウリーニョはプレミアを離れ、2013年に

 「今日の私はハッピー・ワン」

 と語るまで、ファンに郷愁を抱かせたものです。

 モウリーニョの息吹は2012年のチャンピオンズ・リーグ優勝まで残る形になりましたが、その指揮官が現在、オールド・トラッフォードにいることをチェルシー・ファンがどう思うのか、聞いてみたいものです。
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