塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本が16強進出を果たせた理由(2)

2010-06-29 01:52:44 | 日記
 でも今述べた2つの理由以上に大きい事は

 1・本田が1トップのポジションで結果をだしていること
 2・日本がワールドカップ前と戦術を変えたこと。

 この2点が非常に大きいと言えます。

 まずたいした準備期間も無いのに、本職ではないポジションを受け入れた本田の心意気に、僕たちは感謝しないといけません。

 単純にポストプレイと決定力だけを捉えるならば、森本が先発で起用されても良いはずです。
 
 ただ本田の武器であるFK、そして岡崎にだしたようなパスの精度、つまり視野の広さと落ち着きを考慮したうえで、岡田監督は彼をFWで起用する判断を下したのだと思います。

 そして中盤の底に阿部を起用したことと
 両翼に松井と大久保を指名したことは、今回の日本にとって大きな転換となりました。

 即ち岡田監督が戦術の発想を見直したことで、代表が活性化された形になります。

 今までの日本は良くも悪くも、中盤から相手陣内でパスをつなぐことが攻撃の中心でした。
 しかしオシム前監督が
 「まるで各駅停車の電車のようだ」
 と揶揄したように、ポゼッションでは勝っていても、ゴールの直結した動きとは言えない面もありました。

 岡田監督がふたりの中村を外し、より直線的な動きとポジションチェンジができる、松井と大久保を先発させることで、日本は格段に縦への動きが増した上、シュートに結びつくシーンが多くなりました。

 また大久保を左で起用するため、ずっとこのポジションを任せられてきた松井を右に変更した事も、岡田監督の重要な決断だったと言えます。

 幾つかの方向転換を図りながら16強進出を果たした日本代表。
 29日から30日にかけて、日本中が再び歓喜の渦に巻き込まれる可能性は、非常に高いと僕は思います。
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日本が16強進出を果たせた理由

2010-06-29 01:38:39 | 日記
 日付変わって今日29日、日本は8強進出を賭けてパラグアイと対戦します。

 その前にどうして不安視されていた日本が、ワールドカップ突入後好調を維持しているのか、僕なりに理由を考えてみたので、お話したいと思います。

 日本が好調な理由その1
 「スイスでの高地合宿の結果が出ている」

 この合宿で選手達が、高地でのボールの軌道や心拍数など、試合に不可欠な要素をしっかり認識できたのだと思います。

 高地は低地と異なり酸素が薄い上、ボールのスピードが増しますから、事前に入念な準備が必要になりますから、日本代表の準備は成功したと言えるでしょう。

 日本が好調な理由その2
 「Jリーグはシーズンが始まったばかり
 でも欧州リーグは閉幕間もない為、欧州やアフリカの選手達は、疲労を引きずっている」

 僕は日本対オランダの試合を、後半残り10分程度しか見ていませんが、オランダの選手達は皆疲れているように見えました。確かに日本の動きは良かった。ただそれ以上にオランダの動きが鈍かったと捉えても良いと思います。

 やはりシーズン閉幕後の欧州リーグを主戦場にしている欧州とアフリカの選手達は、予想以上に疲労の蓄積が大きいのででしょう。

 ただ今の南アフリカは冬ですから、ドイツ大会のような厳しい陽射しが無い分だけ、だましだまし動いているのかもしれません。(初戦にも関わらず、オーストラリアと戦っている日本選手は、本当に厳しい表情でした。それだけ陽射しが強かったのでしょう。)

 今回は涼しい気候の上に、Jリーグ開幕したばかりで疲れが体に残っていない日本は、選手が溌剌と動いています。

 確かに欧州で激戦を繰り広げている選手達は、日本の選手では考えられないくらいの経験を積んでいます。しかし皮肉にもその経験を活かすだけの体力が伴っていないように感じられます。

 この事が日本が16強に進めた大きな理由だと僕は捉えています。
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助けてもらえる職業と助けてもらえない職業

2010-06-28 01:15:25 | 日記
 いかなる職業にも「貴賎」は無いと言われています。

 例えばドイツでは女性が売春で生計をたてる事が許されていますし、日本だって性風俗で働く女性はいますし、とび職や大工のように昔ながらの仕事に従事している方もいます。

 でもこういう見方は可能だと思います。
 
 「仕事には助けてもらえる職業と、そうでない職業がある。」

 サッカーの監督は一見アシスタント・コーチやチーム・ドクターに助けられているように見えますし、それは確かなのですが、チームにおける全責任は監督の掌中にあります。

 ですから全ての決断は監督が下すひつようがありますし、その決断を他の誰かに委ねることは出来ません。もし誰かに委ねたならば、「敵前逃亡」「責任逃れ」という批判が待っているだけです。

 その意味では首相、大統領、元首などと呼ばれる政の責任者も同じですが、彼らの場合仮に不手際があっても、その批判はその国、もしくは友好国だけの間から起こるもので、関心の無い人間からは何の意見もありません。

 しかしサッカー、特に代表監督の場合は、ワールドカップのようなビッグイベントの場合、功績も不手際もその全てが世界中に打電されてしまし、ありとあらゆることが論議の対象となります。

 今日本でもデンマークのオルセン、イタリアのリッピに対する批判の内容が、続々と報道されていますし、そのうちフランスのドメネクに対する記事も多くなってゆくでしょう。

 逆に岡田監督に関する記事は、内外問わず好意的な物が多く、勝負は勝つ事が大前提ということが改めてわかります。

 誰かに意見を聞く事はできる。しかし決断するのは自分である。

 この相反する状況の中で、監督は常に
 「ベストを導くためのベターな選択」
 を選手に提示しなくてはいけません。

 ヨハン・クライフはかつて重度のヘビー・スモーカーでしたが、名監督と呼ばれる彼も煙草無しには、自分の決断に迷ってしまうと思ったのかもしれませんね。
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母国と対戦国の間で揺れる心

2010-06-27 01:04:24 | 日記
 今回のワールドカップで、日本と対戦国との板ばさみのジレンマを感じている方達は、僕の住む長野県にもいます。

 例えば松本市の有賀正前市町の胸中は、非常に複雑のようです。

 6月26日のスポーツニッポンの長野県版の32ページには
 「パラグアイも頑張れ」
 という見出しで、2002年のワールドカップの合宿を松本で行った同国代表への思いを、有賀前市町が語っているんです。

 パラグアイ代表の合宿はアルゥインで行われ、新聞にはジュビロ磐田との練習試合の際に撮られた写真も掲載されています。

 ですからワールドカップというものは、選手だけでなく応援する側にも様々な問いかけをしているわけです。

 また日本はブラジルから幾人もの選手が日本に気化してきました。

 ですからドイツ大会でブラジルと対戦した三都主アレサンドロの胸中は、本人でも説明できないくらい難しい心理だったかもしれませんし、闘り王のご両親は、もしブラジルと日本が(例えワールドカップでなくとも)対戦したなら、どちらを応援すべきか本当に困ってしまうでしょうね。

 僕の周囲には海外の方がいませんし、僕が国際結婚する予定もありません。

 よく世界のグローバル化が叫ばれますが、そんな簡単に地球はひとつの文化にまとまらないということが、サッカーやワールドカップを見ていると非常によくわかります。

 確かに昔と比べると、特に欧州では国境の存在がだいぶ緩やかになりましたが、それでもサッカーの世界では国境は存在し続けています。
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応援には節度が必要だ

2010-06-26 22:27:38 | 日記
 今日本中が代表の熱気に包まれていますが、ちょっと落ち着いた方が良いと思います。

 それはサッカー絡みではなく、外的な要因になります。

 日本在住のカメルーンとデンマークの皆さんの心情を考えたならば、余り浮かれすぎるのもどうかと思ったんです。

 確かに今まで日本はワールドカップで実績を残していませんから、日本と同組みになったチームは、「日本は良いチームだ」とか「ワールドカップで簡単に勝てる相手はいない。」と言われても、その言葉を鵜呑みにはしてきませんでした。

 彼らの言葉が表面を取り繕ったリップ・サービスであることは一目瞭然でしたし、事実今までの日本は、対戦相手に勝ち点3を献上できる存在でしかありませんでした。

 ですから今初めてワールドカップで勝つ歓びを、思う存分味わっているわけですが、中には両親のどちらかがカメルーン、もしくはデンマークであるお子さんや、恋人がこれから対戦するパラグアイの人間だという方もいると思います。

 ですから浮かれている中にも、何かしらの配慮が必要なのかなという気がします。

 南米や欧州は陸続きですから、国際結婚や混血は目新しくありませんし、言語や風習が似ている地域も多いですから、大きなスポーツイベントの際の応援にも慣れているのではないでしょうか。

 でも日本は四方を海に囲まれていますし、国際結婚や混血の例はそれほど多くはありません。
 僕が気を使いすぎているだけかもしれませんが、応援にはやはり「節度」が必要な気がします。

 多分欧州や南米にはこの「節度」の意識が欠けているため、暴力沙汰が絶えないのではないかと思うのです。
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