昨日は時間がなくて、ヴォロネツ修道院の記述を途中でやめてしまいました。
今日も、お墓参りで出かけますので時間がないのですが、なんとかヴォロネツ修道院の続きを、そしてできれば次に訪問した「モルドヴィツァ修道院」について記事にしたいと思います。
まず、ヴォロネツ修道院ですが、地球の歩き方という本に書かれていた「通常は西方に教会の入口があるが、この修道院には最後の審判を完全に描き切るため、入口がない。」という西方の様子をご覧ください。
<中央が審判の判定人?>

<「天国」の隣に描かれている聖人像>
<これが天国?>

<聖人像の隣に描かれている絵>

上の4枚は、西方に描かれていた絵を撮影したものですが、<>の説明文みたいなものは、小生が勝手にコメントしたものですから、正しい!とは言えないかもしれません。
などといいながら、勝手に想像して申し上げますと、「審判の判定人」は、イエスキリストでしょうか?
でも、西方の絵が最後の審判を描いたものであることは、間違いありませんが、そもそも「最後の審判」とは何なのでしょうか?
地球の歩き方よれば、「最後の審判」とは、生きている人々はもちろん、すべての死者も復活して生前の行いを神に裁かれる人類最後の日。神に選ばれたものは天国の門へ、罪業の深いものや異教徒は地獄へ、天使が奏でる楽器はルーマニアのプチューンで、地獄に落ちているのはここでもトルコ人である。
という説明ですが、「最後の審判」に対するキリスト教の一般的な考え方を説明しているのかな?と思ったのですが、後段の楽器のところからは、ルーマニアの修道院の説明になっているようです。
それにしても、こういうキリスト教の考え方は、一見、当然のように聞こえますが、小生は違和感を覚えます。
神などは所詮、人間が作り出したものであり、もっと人間としての苦悩をどう救うのかという視点が宗教にはあって良いと思うからです。
「罪業深き者こそ救われる!」という浄土真宗の「親鸞」の思想などと正反対のようで、日本の仏教の方が思想として優れていると思えてなりません。
さて、この修道院を1時間ほど見学して、次の訪問地「モルドヴィツァ修道院」に向かいました。
「モルドヴィツァ修道院」は、グラフモールルイから50㎞弱のところにありますが、ヴォロネツ修道院からはバスで約45分のところにありました。
この修道院は、標高1109mのチュムルナという峠の近くにある修道院と同じ名前の村にあります。
この村は、農家の伝統的な木材の家屋が並び、どこでも屋根付きの車輪巻型の井戸が見え、農家と井戸の彩が素晴らしく、修道院の見学がてら村も見学する価値があるそうです。
話を修道院に戻します。
この修道院は、シュテファン大公の息子、ペテウル・ラレシュ公が1542年に建てたものです。
四方から教会堂を囲う高さ6m、厚さ1、2mの城壁があって、数本の見張り塔が要所に配置されています。
また、壁画は16世紀に制作されており、、当時のモルドヴァ地方の日常生活を描写する場面が見られます。
教会内部の身廊にある「キリスト磔刑像」は、壮絶なテーマと優れた表現力で、ルネサンスのイタリアにおける「十字架降下」などに遜色のないものとなっているそうです。
外壁の絵画は、1537年に制作され、南側の絵は保存状態がよく626年のコンスタンティノープルがペルシャ人に包囲された戦闘場面が描かれています。(政府観光局HP)
<残念ながら、時間がなくなってきました。>
本日は、この辺で失礼します。
今日も、お墓参りで出かけますので時間がないのですが、なんとかヴォロネツ修道院の続きを、そしてできれば次に訪問した「モルドヴィツァ修道院」について記事にしたいと思います。
まず、ヴォロネツ修道院ですが、地球の歩き方という本に書かれていた「通常は西方に教会の入口があるが、この修道院には最後の審判を完全に描き切るため、入口がない。」という西方の様子をご覧ください。
<中央が審判の判定人?>

<「天国」の隣に描かれている聖人像>

<これが天国?>

<聖人像の隣に描かれている絵>

上の4枚は、西方に描かれていた絵を撮影したものですが、<>の説明文みたいなものは、小生が勝手にコメントしたものですから、正しい!とは言えないかもしれません。
などといいながら、勝手に想像して申し上げますと、「審判の判定人」は、イエスキリストでしょうか?
でも、西方の絵が最後の審判を描いたものであることは、間違いありませんが、そもそも「最後の審判」とは何なのでしょうか?
地球の歩き方よれば、「最後の審判」とは、生きている人々はもちろん、すべての死者も復活して生前の行いを神に裁かれる人類最後の日。神に選ばれたものは天国の門へ、罪業の深いものや異教徒は地獄へ、天使が奏でる楽器はルーマニアのプチューンで、地獄に落ちているのはここでもトルコ人である。
という説明ですが、「最後の審判」に対するキリスト教の一般的な考え方を説明しているのかな?と思ったのですが、後段の楽器のところからは、ルーマニアの修道院の説明になっているようです。
それにしても、こういうキリスト教の考え方は、一見、当然のように聞こえますが、小生は違和感を覚えます。
神などは所詮、人間が作り出したものであり、もっと人間としての苦悩をどう救うのかという視点が宗教にはあって良いと思うからです。
「罪業深き者こそ救われる!」という浄土真宗の「親鸞」の思想などと正反対のようで、日本の仏教の方が思想として優れていると思えてなりません。
さて、この修道院を1時間ほど見学して、次の訪問地「モルドヴィツァ修道院」に向かいました。
「モルドヴィツァ修道院」は、グラフモールルイから50㎞弱のところにありますが、ヴォロネツ修道院からはバスで約45分のところにありました。
この修道院は、標高1109mのチュムルナという峠の近くにある修道院と同じ名前の村にあります。
この村は、農家の伝統的な木材の家屋が並び、どこでも屋根付きの車輪巻型の井戸が見え、農家と井戸の彩が素晴らしく、修道院の見学がてら村も見学する価値があるそうです。
話を修道院に戻します。
この修道院は、シュテファン大公の息子、ペテウル・ラレシュ公が1542年に建てたものです。
四方から教会堂を囲う高さ6m、厚さ1、2mの城壁があって、数本の見張り塔が要所に配置されています。
また、壁画は16世紀に制作されており、、当時のモルドヴァ地方の日常生活を描写する場面が見られます。
教会内部の身廊にある「キリスト磔刑像」は、壮絶なテーマと優れた表現力で、ルネサンスのイタリアにおける「十字架降下」などに遜色のないものとなっているそうです。
外壁の絵画は、1537年に制作され、南側の絵は保存状態がよく626年のコンスタンティノープルがペルシャ人に包囲された戦闘場面が描かれています。(政府観光局HP)
<残念ながら、時間がなくなってきました。>
本日は、この辺で失礼します。