◆ アクアサライでの昼食、スルタン・ハヌのキャラバンサライ
<Mugiko>
アクアサライというところは、アンカラからカッパドキアに向かうときに立ち寄った塩の湖トゥズ湖の南東にあるみたいね。
地図を見ると、カッパドキアからコンヤには真っ直ぐな道路が延びていて、その途中にアクアサライとスルタン・ハヌの地名が確認できたわ。
<Mugio>
アクサライのレストランに着いたのが13時ジャストくらいだったから、カイマクル地下都市から1時間以上バスに揺られてことになるね。
<アクアサライのレストラン>

<スープ>

<サラダ>

<肉入りドルマ>

<デザート>

<Mugiko>
このレストランは、ガラスの引き戸のためか明るい雰囲気でとても良かったわ。
味の方は、あなたに代わって評価すると、スープは「美味」だけれど、肉入りドルマは「イマイチ」というところかしら?
<Mugio>
昼食が終わると、再びバスに揺られてレストランから45㎞ほどのスルタン・ハヌ(Sultan Hani)の「キャラバンサライ(隊商宿)」に向かいました。
<キャラバンサライの入口>

<キャラバンサライ前の駐車場>

<Mugiko>
キャラバンサライというのは、「隊商宿」と訳されているけれど、「隊を組んで旅する商人の一団が宿泊する宿」という意味だそうね。
それにしても、どうしてこんなに大きな壁で囲まれた施設を造ったのかしら?
<Mugio>
それは、1200年代、交易による利益が大きい隊商には、常に盗賊などによる略奪の危険がつきまとっていたので、このような堅固な宿泊施設(隊商宿)を交易路の各所に造って安全を講じたということのようだね。
このスルタンハヌのキャラバンサライも、同じ目的でアラアッディン・カイクルバード1世という方が1229年に築いたそうだよ。
<屋根がある部分>

<中にも門が!>

<Mugiko>
内部は二つの区画に分かれ、夏用と冬用になっているというけれど、その区画が良く分からなかったわ。
<Mugio>
「屋根がある部分」は、下の写真の門のような建物の右側に立っていたけれど、これが夏用に使っていた建物だろうか?
<Mugiko>
夏用に使っていた建物は、「周囲を壁に囲まれたオープンな区域」で、「一つ一つの窪みが商人たちの台所、浴室、リビング、寝室などに使われた部屋になっている。」ということだけれど、写真からもそんな感じが伝わってくるわね。
<Mugio>
自信はないけれど、そうだと思うね。
「中にも門が!」の写真は、4つのアーチを持つ中庭の中心にある建物で、2階が礼拝堂になっているようだが、私たちは上っていないので確認できなかったね。
<キャラバンサライの中>

<中には子猫が!>

<Mugiko>
「キャラバンサライの中」の写真の建物は、15mの高い天井と24本の太い列柱が並ぶホールで、いくつもの部屋に分かれていて、冬は、ここに宿泊していたみたいね。
<Mugio>
ここは、中庭の奥にある建物で、まるで倉庫のような感じだね。
ところで、隊商宿には3日間は無料で宿泊できたというから、時の権力者がいかに大切にしていたのか!ということだね。
<Mugiko>
キャラバンサライを15時過ぎに「さようなら」して、次は先ほどから親父ギャグで話題になっている「今夜」の宿泊地「コンヤ」に向かいました。
<Mugio>
砂漠の中を走っていたときに突然、近代的な建物が出現したので驚いちゃったよ!
<はげ山?>

<コンヤのノッポビル>

<Mugiko>
緑が見えないから砂漠かも知れないわネ。でも、「はげ山」だなんて表現が下品ね。
<Mugio>
まぁ、自分のことをいっているのだからご勘弁願いましょうか?それよりも、このノッポビルが今夜、宿泊する「リクソス・ホテル・コンヤ(Rixos Hotel Konya)」だそうだ。
<Mugiko>
16時50分頃ホテルに着いたから「流石はワールドさんだけあって時間に余裕があるな!」と感じたわ。
ところで、私たちの部屋から見えたコンヤの街並みとホテルの夕食をレポートして「本日はすべて終了」です。
<Mugio>
おい、おい、そう先回りされては僕の出番がなくなっちゃうよ!
<コンヤの街並み>

<ビュッフェスタイルの夕食>

<部屋の様子>

<Mugiko>
食べ物の写真を見ると、あなたが自分の好みのものばかり食べているのが良く分かるわ。あなたの評価が「今までで最も食べやすい。」となっているのは、そのためではないの?
ところで、コンヤという街の説明をしておくわね。
コンヤは、西アナトリア内陸の平原にあるトルコ最大の面積を持つコンヤ県の県都で、セルジェク時代の王朝として、また、交易の中枢として隆盛を誇り、秀麗な神学校やジャミィを今に残しているそうね。
<Mugio>
神秘教団の活動は、アタテュルクによって禁止されたが、コンヤ周辺の村から聖地を訪ねる保守的な人も多く、トルコの中でも、特に宗教色の強い街だから写真撮影などではそれなりの気配りが必要だそうだよ。
<Mugiko>
コンヤの街にあるメヴラーナ博物館などを見学するのは、明日の午前中になっているわね。
<以上で、本日の記事は終了です。次回は、コンヤのメヴラーナ博物館とアラアッデン・モスクの模様をお伝えします。>
<Mugiko>
アクアサライというところは、アンカラからカッパドキアに向かうときに立ち寄った塩の湖トゥズ湖の南東にあるみたいね。
地図を見ると、カッパドキアからコンヤには真っ直ぐな道路が延びていて、その途中にアクアサライとスルタン・ハヌの地名が確認できたわ。
<Mugio>
アクサライのレストランに着いたのが13時ジャストくらいだったから、カイマクル地下都市から1時間以上バスに揺られてことになるね。
<アクアサライのレストラン>

<スープ>

<サラダ>

<肉入りドルマ>

<デザート>

<Mugiko>
このレストランは、ガラスの引き戸のためか明るい雰囲気でとても良かったわ。
味の方は、あなたに代わって評価すると、スープは「美味」だけれど、肉入りドルマは「イマイチ」というところかしら?
<Mugio>
昼食が終わると、再びバスに揺られてレストランから45㎞ほどのスルタン・ハヌ(Sultan Hani)の「キャラバンサライ(隊商宿)」に向かいました。
<キャラバンサライの入口>

<キャラバンサライ前の駐車場>

<Mugiko>
キャラバンサライというのは、「隊商宿」と訳されているけれど、「隊を組んで旅する商人の一団が宿泊する宿」という意味だそうね。
それにしても、どうしてこんなに大きな壁で囲まれた施設を造ったのかしら?
<Mugio>
それは、1200年代、交易による利益が大きい隊商には、常に盗賊などによる略奪の危険がつきまとっていたので、このような堅固な宿泊施設(隊商宿)を交易路の各所に造って安全を講じたということのようだね。
このスルタンハヌのキャラバンサライも、同じ目的でアラアッディン・カイクルバード1世という方が1229年に築いたそうだよ。
<屋根がある部分>

<中にも門が!>

<Mugiko>
内部は二つの区画に分かれ、夏用と冬用になっているというけれど、その区画が良く分からなかったわ。
<Mugio>
「屋根がある部分」は、下の写真の門のような建物の右側に立っていたけれど、これが夏用に使っていた建物だろうか?
<Mugiko>
夏用に使っていた建物は、「周囲を壁に囲まれたオープンな区域」で、「一つ一つの窪みが商人たちの台所、浴室、リビング、寝室などに使われた部屋になっている。」ということだけれど、写真からもそんな感じが伝わってくるわね。
<Mugio>
自信はないけれど、そうだと思うね。
「中にも門が!」の写真は、4つのアーチを持つ中庭の中心にある建物で、2階が礼拝堂になっているようだが、私たちは上っていないので確認できなかったね。
<キャラバンサライの中>

<中には子猫が!>

<Mugiko>
「キャラバンサライの中」の写真の建物は、15mの高い天井と24本の太い列柱が並ぶホールで、いくつもの部屋に分かれていて、冬は、ここに宿泊していたみたいね。
<Mugio>
ここは、中庭の奥にある建物で、まるで倉庫のような感じだね。
ところで、隊商宿には3日間は無料で宿泊できたというから、時の権力者がいかに大切にしていたのか!ということだね。
<Mugiko>
キャラバンサライを15時過ぎに「さようなら」して、次は先ほどから親父ギャグで話題になっている「今夜」の宿泊地「コンヤ」に向かいました。
<Mugio>
砂漠の中を走っていたときに突然、近代的な建物が出現したので驚いちゃったよ!
<はげ山?>

<コンヤのノッポビル>

<Mugiko>
緑が見えないから砂漠かも知れないわネ。でも、「はげ山」だなんて表現が下品ね。
<Mugio>
まぁ、自分のことをいっているのだからご勘弁願いましょうか?それよりも、このノッポビルが今夜、宿泊する「リクソス・ホテル・コンヤ(Rixos Hotel Konya)」だそうだ。
<Mugiko>
16時50分頃ホテルに着いたから「流石はワールドさんだけあって時間に余裕があるな!」と感じたわ。
ところで、私たちの部屋から見えたコンヤの街並みとホテルの夕食をレポートして「本日はすべて終了」です。
<Mugio>
おい、おい、そう先回りされては僕の出番がなくなっちゃうよ!
<コンヤの街並み>

<ビュッフェスタイルの夕食>

<部屋の様子>

<Mugiko>
食べ物の写真を見ると、あなたが自分の好みのものばかり食べているのが良く分かるわ。あなたの評価が「今までで最も食べやすい。」となっているのは、そのためではないの?
ところで、コンヤという街の説明をしておくわね。
コンヤは、西アナトリア内陸の平原にあるトルコ最大の面積を持つコンヤ県の県都で、セルジェク時代の王朝として、また、交易の中枢として隆盛を誇り、秀麗な神学校やジャミィを今に残しているそうね。
<Mugio>
神秘教団の活動は、アタテュルクによって禁止されたが、コンヤ周辺の村から聖地を訪ねる保守的な人も多く、トルコの中でも、特に宗教色の強い街だから写真撮影などではそれなりの気配りが必要だそうだよ。
<Mugiko>
コンヤの街にあるメヴラーナ博物館などを見学するのは、明日の午前中になっているわね。
<以上で、本日の記事は終了です。次回は、コンヤのメヴラーナ博物館とアラアッデン・モスクの模様をお伝えします。>