阪急交通社さんにお世話になった南イタリア・シチリア島8日間の旅行記を書き始めていますが、記憶が曖昧になってきて細かいところが思い出せなくなっています。
それでも、何とか書けるのは小生のメモが残っているからですが、昨日、ポンペイのことを勉強して旅行記の原稿を整理していたら、自分の不甲斐なさに呆れてしまいました。
といいますのも、ポンペイのことを何も知らないばかりではなく、現地で受けた説明を全く覚えていないからです。
そこで、今日はポンペイについて昨日、調べたことを書いてみたいと思います。
ポンペイ(イタリア語でPompei)は、皆さんご存じのように1世紀までナポリ近郊にあった都市で、イタリアの世界遺産になっています。
西暦の79年にベスビオス火山が噴火して、その火砕流で地中に埋もれてしまったことはあまりにも有名な話です。小生も名前と噴火のことは学校(中学校?)で勉強した記憶があります。
遺跡を最初に発見した方は、ドメニコ・フォンターナという建築家で、1599年発見といいますからもう400年以上も前になるのですが、1738年にヘラクラネウム(現在のエルコラーノ)が、1748年にポンペイが再発見されたそうです。
ということは、埋もれた都市はポンペイだけではなかったということですね。
でも、発見された意義は大変重要であるとされています。というのも静物、風景、風俗、神話など多岐に渡る題材の壁画が発見され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっているからですが、私たちは、豊かな色彩の壁画など見なかったのではないでしょうか?
その記憶よりも火山灰の中に遺体があり、それを石膏で再現したものがあたっり、碁盤の目にように整備された道路や現在の水準と同じくらいの上下水道が完備されていたということは、本当に驚きでした。
特に、でこぼこした道路を歩いたことと、その両側に整然と建っている柱や壁に堪らない魅力を感じたものです。
また、1世紀の古代ローマ人の生活をそのまま伝える光景、たとえば、焼いたままのパン、テーブルに並べられた当時の食事と食器(残念ながら見た記憶がありません!)などがあったはずなのですが、このような2000年近く前の高い生活水準を示す遺跡に驚きを禁じ得ないのです。
さらに、、クリーニング屋や貿易会社、ローマ人の別荘、食物市場、製粉所、レストラン、円形劇場などもあったというのですから、凄いものです。
まるで、現代の都市のような話ですよね。
「おまえは全部見てきたはずだ!?」と言われそうですが、道路や上下水道、別荘、円形劇場などは確かに記憶にあるのですが、「半分」しか見学していないと説明していましたので、是非、もう一度「ゆっくり、じっくり」見学したいものだと思います。
ということで、旅行記ではポンペイのことを詳しく説明できないと思います。
今日のレポートは「いいわけ」みたいなものになってしまいました。
お詫びに、ポンペイの写真を掲載します。
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