ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記をなぞってこのブログに掲載してきましたが、前回に引き続き旅行14日目のルーマニアのブコビナ地方の5つの修道院群についてお伝えします。
先日のブログでは、ブコビナ地方の修道院群は、旅行記のとおり「9つ」だと申し上げました。
しかし、情報が錯綜して、「どの数字がブコビナ地方の修道院なのか」分からなくなってきました。
小生が旅行記を書いた当時のルーマニア政府観光局のホームページで掲載されていたのは「8つ」だったのですが、小生が勝手に「9つ」とした記述は誤りだっとようです。
しかし、現在、数は「8つ」で変わらないのですが、掲載されている修道院のうち最後に掲載した修道院が(世界遺産)未登録のドラゴミルナという修道院ではなく、パトラウツィ(Patrauti)修道院に変わっていました。
なお、ホームページよれば、世界遺産は「5つ」の修道院だそうです。
ところで、、念のために他の情報を調べたのですが、ドラゴミルナ修道院もパトラウツィ修道院も現存するそうです。そして、ドラゴミルナ修道院は世界遺産に登録されているという情報もありました。小生が持っている冊子、「世界遺産一度は行きたい100選ヨーロッパ」によれば、世界遺産に登録されている修道院は「7つ」となっていますが、こうなると何が正しいのか分からなくなってしまいます。
さて、話を修道の数から戻していただいて、世界遺産の登録名となっている「モルダヴィア地方の教会群」の概要を申し上げたいと思います。
と思ったのですが、政府観光局のホームページを引用しただけですので、そちらをご覧いただくか、小生のホームページをご覧いただきたいと思います。
これを読めば、なぜ教会群ができたのかが理解できるからですが…
私たちが最初に案内された修道院は、グラフモール・ルイから最も近いフモール(Humor)修道院(1993年世界遺産登録)でした。
この修道院には、8時25分に到着しましたが、駐車場には私たちを歓迎するように「ワンちゃん」が待っていました。
<駐車場のワンちゃん>

<修道院入口付近>

<修道院が見えてきた!>

<修道院の全体像>

この修道院は、1530年にモルドヴジャ公国のブブイオグ大臣夫妻(当時の領主ベトル・ラレッシュの最高議長オードレ・ブブヨグ)によって建てられたそうです。
壁画は宮廷画家トーマなどの手によって1535年に仕上げらえたものです。(地球の歩き方という本では、修道院の中で、画家の名前が分かっているのはここだけ!という説明をしていますが、政府観光局のホームページでは、「モルドヴィツァ修道院の画家と同じ」となっています。
<フモール修道院の外観が見えてきた>

<修道院の全景>

「壁面は南面を除いてはげ落ちていて保存状態が悪く、判別不能」となっていますが、私たちが見た壁には壁画が綺麗に描かれていましたので、南面になるということでしょうか。
修道院の見外観が見えてきた写真では、手前が入口方向、全景写真では、正面が南になると思います。
それにしても、敷地内の光景が美しく、「バイバチ」と33枚もシャッターを切ってしまいました。
肝心な壁画ですが、「南面のモチーフは、政教総本山だったコンスタンティノープルの司教セルゲイが、626年のペルシャ軍襲来から街を守護した聖母マリアに捧げた224誌の場面」だそうですから、ぜひ、撮影すべきなのですが、次の写真はその部分でしょうか?
<24誌の場面?>

<最後の審判>

この教会の壁画は、「最後の審判」、「エッサイの木」、それと「コンスタンティノープルの包囲と聖母への讃美歌」が有名だそうです。
また、626年の攻撃者がペルシャ人だったはずが、この壁画では、服装や武器などがトルコ人に置き換わっているのが面白い(他の教会も同じ)のです。
壁画が書かれた中世の時代には、ペルシャ軍の名前を借りてオスマントルコを悪者にしたかったということでしょうか?
そんなことより、修道院の中の様子や写真をもっと見たい?
残念ながら、撮影禁止で中の写真はありませんが、最後のいくつかの写真と簡単コメントを申しあげたいと思います。
<入口右側の建物(鐘楼?)>

<建物の丸い部分>

<美しい壁画>

<修道院入口>

修道院の建物には、見る人の目を和ませるように丸い曲線の部分がありました。
この屋根の部分のことを政府観光局のホームページでは「張り出し屋根は、上から紐で吊るされているかのように優美な曲線を見せる……現代の建築家からもビザンチン芸術の傑作と絶賛されている」と説明しています。
なお、小生のメモには「最初に訪問したところで、敷地内の美しさとフレスコ画の数々の美しさにびっくり!」とありました。
ここを9時20分に出発して、次は「ヴォロネツ修道院(Voroner村 1993年世界遺産登録)」に向かいました。
先日のブログでは、ブコビナ地方の修道院群は、旅行記のとおり「9つ」だと申し上げました。
しかし、情報が錯綜して、「どの数字がブコビナ地方の修道院なのか」分からなくなってきました。
小生が旅行記を書いた当時のルーマニア政府観光局のホームページで掲載されていたのは「8つ」だったのですが、小生が勝手に「9つ」とした記述は誤りだっとようです。
しかし、現在、数は「8つ」で変わらないのですが、掲載されている修道院のうち最後に掲載した修道院が(世界遺産)未登録のドラゴミルナという修道院ではなく、パトラウツィ(Patrauti)修道院に変わっていました。
なお、ホームページよれば、世界遺産は「5つ」の修道院だそうです。
ところで、、念のために他の情報を調べたのですが、ドラゴミルナ修道院もパトラウツィ修道院も現存するそうです。そして、ドラゴミルナ修道院は世界遺産に登録されているという情報もありました。小生が持っている冊子、「世界遺産一度は行きたい100選ヨーロッパ」によれば、世界遺産に登録されている修道院は「7つ」となっていますが、こうなると何が正しいのか分からなくなってしまいます。
さて、話を修道の数から戻していただいて、世界遺産の登録名となっている「モルダヴィア地方の教会群」の概要を申し上げたいと思います。
と思ったのですが、政府観光局のホームページを引用しただけですので、そちらをご覧いただくか、小生のホームページをご覧いただきたいと思います。
これを読めば、なぜ教会群ができたのかが理解できるからですが…
私たちが最初に案内された修道院は、グラフモール・ルイから最も近いフモール(Humor)修道院(1993年世界遺産登録)でした。
この修道院には、8時25分に到着しましたが、駐車場には私たちを歓迎するように「ワンちゃん」が待っていました。
<駐車場のワンちゃん>

<修道院入口付近>

<修道院が見えてきた!>

<修道院の全体像>

この修道院は、1530年にモルドヴジャ公国のブブイオグ大臣夫妻(当時の領主ベトル・ラレッシュの最高議長オードレ・ブブヨグ)によって建てられたそうです。
壁画は宮廷画家トーマなどの手によって1535年に仕上げらえたものです。(地球の歩き方という本では、修道院の中で、画家の名前が分かっているのはここだけ!という説明をしていますが、政府観光局のホームページでは、「モルドヴィツァ修道院の画家と同じ」となっています。
<フモール修道院の外観が見えてきた>

<修道院の全景>

「壁面は南面を除いてはげ落ちていて保存状態が悪く、判別不能」となっていますが、私たちが見た壁には壁画が綺麗に描かれていましたので、南面になるということでしょうか。
修道院の見外観が見えてきた写真では、手前が入口方向、全景写真では、正面が南になると思います。
それにしても、敷地内の光景が美しく、「バイバチ」と33枚もシャッターを切ってしまいました。
肝心な壁画ですが、「南面のモチーフは、政教総本山だったコンスタンティノープルの司教セルゲイが、626年のペルシャ軍襲来から街を守護した聖母マリアに捧げた224誌の場面」だそうですから、ぜひ、撮影すべきなのですが、次の写真はその部分でしょうか?
<24誌の場面?>

<最後の審判>

この教会の壁画は、「最後の審判」、「エッサイの木」、それと「コンスタンティノープルの包囲と聖母への讃美歌」が有名だそうです。
また、626年の攻撃者がペルシャ人だったはずが、この壁画では、服装や武器などがトルコ人に置き換わっているのが面白い(他の教会も同じ)のです。
壁画が書かれた中世の時代には、ペルシャ軍の名前を借りてオスマントルコを悪者にしたかったということでしょうか?
そんなことより、修道院の中の様子や写真をもっと見たい?
残念ながら、撮影禁止で中の写真はありませんが、最後のいくつかの写真と簡単コメントを申しあげたいと思います。
<入口右側の建物(鐘楼?)>

<建物の丸い部分>

<美しい壁画>

<修道院入口>

修道院の建物には、見る人の目を和ませるように丸い曲線の部分がありました。
この屋根の部分のことを政府観光局のホームページでは「張り出し屋根は、上から紐で吊るされているかのように優美な曲線を見せる……現代の建築家からもビザンチン芸術の傑作と絶賛されている」と説明しています。
なお、小生のメモには「最初に訪問したところで、敷地内の美しさとフレスコ画の数々の美しさにびっくり!」とありました。
ここを9時20分に出発して、次は「ヴォロネツ修道院(Voroner村 1993年世界遺産登録)」に向かいました。