mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<城壁からのドブロヴニク散策>

2018年04月09日 | 旅行記
 前回に引き続き3回目のドブロヴニク散策をお伝えします。

<Mugiko>
 さぁ、いよいよ「アドリア海の真珠」といわれるほど美しいドブロヴニクの旧市街を城壁から見るのよ!
<Mugio>
 そう興奮しなさんな!言葉はいらないと思うので、黙っていようや!

 <①進行方向右側の光景>


 <②左右の美しい光景>


 <③海に近いところで見学する人々>


 <④南側から港を望む>


 <⑤正面付近から港を望む>


 <⑥フランシスコ会修道院の塔>


 <⑦鐘楼と大聖堂、聖ヴラボが見える>


 <⑧⑦の光景の右方向に見える赤い屋根>


 <⑨遊歩道と赤い屋根、海と要塞>


 <⑩美しいヒレ門>


<Mugiko>
 最後の一枚⑩は、城壁からの光景ではないでしょう!
<Mugio>
 そうだけれど、最後にこの街の象徴的な門を掲載しておきたかったのさ。
<Mugiko>
 それにしても、ドブロヴニクの美しさが良く分かる写真でしたね。
 また、塔の頭がちょん切れているけれど、約束通りフランシスコ会修道院⑥の外観も撮影できたわね。
<Mugio>
 今夜のホテルは、ここからバスで10分ぐらいかかるのかな?
 17時20分頃にホテルネプチューンに到着しました。

 <ホテルから見えた海と夕日>


 <ホテルの外観>


 <夕食>


 <同じく>


<Mugiko>
 リゾート風のホテル!というのが第一印象ね。夕食は19時からだったけれど、夕食後の部屋から映した夕日がとても美しかったわ。
<Mugio>
 僕は、花より団子の方だけから夕食に大いに関心があるけれど、好きなものを十分堪能することができたよ。


 <これで、ドブロヴニクの散策が終了です。次回は、ドブロヴニクからモンテネグロのコトルに向かいます。それではまたお目にかかりましょう!>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ドブロヴニク散策の続き>

2018年04月07日 | 旅行記
 今日は、前回に引き続きドブロヴニク散策の散策についてお伝えします。

<Mugiko>
 次は、スポンザ宮殿の手前に(プラツァ通りから見ると隣)に見えるベル・タワー(鐘楼)と左手前に見える聖ヴラボ教会に近づいていくのね。
<Mugio>
 ヒレ門という西側にある正面のような門から入ると、この街のメインストリートであるプラツァ通りにでるが、その突き当たりにノッポのタワーが見え、その手前が広くなっていて、そこがルジャという広場になっている。
 ルジャ広場の正面にベル・タワーがあり、その右隣が市庁舎と総督邸、左隣にスポンザ宮殿、右側手前に聖ヴラボ教会という感じかな?

 <ベル・タワー(鐘楼)>


<Mugiko>
 今の説明は、私たちが入ったポロチェ門とは反対の方向から見た場合の話で、私たちはメインゲートである西門に向かって歩いたので、話が逆のようになっているということね。
<Mugio>
 さて、そのベル・タワーだけれど、1444年の完成で、現在でも市民と観光客に時を告げているということだが、真ん中に見える丸い部分が時計なんだろうか?
<Mugiko>
 どうやらそのようだけれど、どのように時刻を表示しているのか分からないわ。
<Mugio>
 写真の撮影時刻が14時52分となっているから文字盤の右斜め上に見える丸い黒い部分で時刻を表示しているのかも知れないね。
<Mugiko>
 次は、聖ヴラボ教会とその前にあるローランド像ね。
 聖ヴラボというのは、ドブロヴニクの守護聖人だそうで、その名前がついた教会がルジャ広場の正面という好立地の場所にある「聖ヴラボ教会」ということね。
 18世紀バロック様式の建物で、主祭壇には銀製の聖ヴラボの像があるそうよ。
<Mugio>
 丁寧な教会の説明をありがとう。だが、残念ながら、教会の全体を撮影した写真がないので、理解しがたいかも知れないね。
<Mugiko>
 何時ものことだから驚かないけれど・・・、でも、教会全体の写真がないことの言い訳をするなら、「教会の前に人だかりができていたので「何だろうか?」と思って、それが「ドブロヴニクの肘」といわれるローランド像だったので、そちらに気をとられて教会のことを忘れてしまった。」といえばいいのに。

 <聖ヴラボ教会とローランド像>


 <プラツァ通りとフランシスコ会修道院>


<Mugio>
 「ドブロヴニクの肘」という言葉は、どういう意味なのかな?
<Mugiko>
 ローランド像は、あどけない顔をした剣を持つ騎士で、15世紀の制作だという話を聞いたわ。
 当時のドブロヴニクは、ベネチアと張り合うほど栄えていた海洋都市国家だったから商取引が盛んだったようね。その時の商取引の長さの基準値がローランド像の右腕の肘から手首までの長さ51.2㎝だったので、これを称して「ドブロヴニクの肘」といわれていたそうよ。
<Mugio>
 そうなのか、驚いたな!
 ところで、ルジャ広場での見学が終わると、プラツァ通りを西門、遠くにフランシスコ会修道院が見える方向に向かったみたいだね。
<Mugiko>
 フランシスコ会修道院の近くから全体を写した写真がないけれど、城壁から美しい光景が撮影できると思うので、楽しみにしてくださいネ。

 <フランシスコ会修道院>


<Mugio>
 私たちは、病める人々を癒やす修道僧の姿を描いたロマネスク様式の回廊や壁、14世紀の中庭の柱などの修道院の中も見学して、さらに、修道院内のヨーロッパで3番目に古いという薬局にも行っているはずですが・・・
<Mugiko>
 それなのに、修道院の写真は上の1枚しか撮影していないの!?
 現在の建物は、1667年の大地震の後に再建されたものだというけれど、中庭と柱は14世紀のものが残っており、この写真は、できは良くないけれどこれを撮影したものようね。
<Mugio>
 フランシスコ会修道院は、ヒレ門の近くの左側にそびえ立っているが、この付近には、教会以外にオノフリオの大噴水や城壁の遊歩道入り口などあり多くの環境客で賑わっていたね。
 ここで、フリータイムとなったので、私たちは、記念撮影をしてから城壁の遊歩道に登って美しい街並みを見学することにしたんだよね。
 遊歩道に登る前にトイレに行くことにしたけれど、「女性のトイレのドアが開かなくなる。」というトラブルが発生したんだよね。
 旅をしていると、思わぬハプニングが起こるものだね。
 でも、そのお陰で美しい要塞が撮影できたのだから、旅はおもしろいものだよね。

 <ヒレ門の通路から見えたボカール要塞>


<Mugiko>
 何を暢気なことを言っているの!?
 中からドアが開かない!というのは冷や汗ものものなのよ。
<Mugio>
 トイレ事件も無事、解決したので、城壁の遊歩道から見える美しいドブロヴニクの街並みを存分にご覧いただきましょう。
<Mugiko>
 スタート地点からは、反時計回り(左方向)の見学になりますので、右方向(南西)に海と島などが織りなす景色が見えます。
 そして、左方向(南東)には、赤い屋根が連なる市街地が見えます。

 <遊歩道の右方向>


 <左方向の市街地>


 <遊歩道の前方の光景>


 <右方向を振り返ると>
 



 <以上で、本日の記事は終了です。次回もドブロヴニクの街並をお伝えします。それではこれにて失礼します。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ドブロヴニク散策>

2018年04月04日 | 旅行記
 春を通り越して一気に夏が来たような陽気ですが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか?
 などといってますが、小生は、昨日は半日かけて畑の枯れ草を焼いてきました。
 そして、その際、秋植えの野菜たちの様子をスマホのカメラで撮影してきましたので、まず、それをご覧ください。

 <ニンニク>


 <小松菜>


 これでは「花より団子」のようですから、我が家の鉢で咲いている草花もご覧いただきましょうか。

 <桜草?>


 <チューリップ>



 さて、旧ユーゴスラビア4カ国の旅も最も楽しみにしていた「ドブロヴニク散策」です。
<Mugiko>
 プレチェ門からは「ドミニコ会修道院」に向かって歩くのね。反対の左側(海側)には「聖ルカ要塞」が見えるはずよ。
<Mugio>
 それが、歩いている周囲に大きな壁のような建物があり、よく分からないんだ。

 <レヴェリン要塞>


 <修道院と要塞の間の通路>


<Mugiko>
 下の写真を図面で確認すると、左側が「聖ルカ要塞」、右側が「ドミニコ会修道院付近」ということになるが、よく分かりません。
<Mugiko>
 よく分からない!ということがよく分かったわ。などという冗談はともかく、ドブロヴニクは、訪れる人を魅了してやまない街だけれど、過去には幾度も大きな被害を受けてきたと聞いたわ。特に、1667年の大地震による被害と1991年のユーゴスラビア連邦軍による攻撃がもたらした被害が大きかったそうね。
<Mugio>
 そんな素晴らしい街に来ているのに、入り口で「もたもたするな!」と言いたそうだね。
 私たちが入ったのは、「プラツァ通り」という街の中心通路に出る「ヒレ門」ではなく、その反対側の旧港に近いところから入ってしまったから、余計に分かりにくくなってしまったかも知れないね。

 <旧港から見える聖イヴァン要塞>


 <同じく北方向の景色>


<Mugiko>
 ドミニコ会修道院の南側にスポンザ宮殿の裏側があるけれど、そこを海側に抜けると、「旧港」の桟橋があったわ。この2枚の写真は、その時に撮影したもので、上の写真には、旧港を挟むように建っている聖イヴァン要塞が見えるわ。
<Mugio>
 そして、下の写真には、遠方にドミニコ会修道院の尖塔が、また、手前の人に先に3つのアーチがある建物「アルセナル造船所」が見えるね。
<Mugiko>
 桟橋か見える美しい旧港の景色をもっと見たいものね。

 <桟橋の南側の景色>


 <桟橋の北側の景色>


<Mugio>
 この後は、ポンテ門から市街地に入り、イタリアの画家ティツィアーノの祭壇画があるという聖母被昇天大聖堂に向かったのかな?

 <聖母被昇天大聖堂>


 <大聖堂の北の光景>


<Mugiko>
 ルジャ広場の南に建っている聖母被昇天大聖堂は、もともとは1192年に英国のリチャード王が創建したと伝えられているそうね。現在の建物は、17世紀にバロック様式で再建されたというけれど、元の建物は1667年の大地震で崩壊してしまったということかしら?
<Mugio>
 そうだと思うよ。ところで、下の写真には、右側手前が総督邸が写っていて、また、左側に白いテントのようなものの先を左折すると「青空市場」に出るそうだ。そして、突き当たりに小さく写っている建物がスポンザ宮殿、その手前の尖塔の建物がベルタワー(鐘楼)みたいだね。
<Mugiko>
 これから北側に向かって歩くそうよ。

 <総督邸>


 <スポンザ宮殿>


<Mugiko>
 先ほど、あなたから説明があったけれど、足りないところがあったので補足しておくわ。大聖堂から北側に向かって歩くと、港方向の右側には、総督邸やベルタワーのほかに市庁舎が、スポンザ宮殿の左手前には、聖ヴラボ教会(工事中)が見えたわ。
<Mugio>
 ところで、「総督邸」というのは、この国の総督なんだろうね。
<Mugiko>
 地球の歩き方に書いてある「ドブロヴニクの歴史」を読むと、ラグーサ共和国という国の総督みたいね。ドブロヴニクとは、スラブ語の名称で、ラテン語ではラグーサというらしいわ。だから、ラグーサ共和国とは、614年に誕生したこの地の国名ということね。
<Mugio>
 総督邸は、15世紀初め、当時の著名な建築家オノフリオ・デッラ・ツァッヴによって建てられたゴシック様式の邸だったが、完成から30年後、火薬の爆発により被害を受け、ルネッサンス様式により補修作業がなされ、その結果、ゴシックとルネッサンスが融合する魅力ある建物になったということのようだね。さらに、1667年の大地震の修復では、バロックの装飾まで加えることになったとしているよ。
<Mugiko>
 何とか様式といわれても、私たちには、さっぱり分からないわね。
 スポンザ宮殿も1516年建築という古い建物で、当時はドブロヴニクの貿易を管理していたけれど、税関としての役割が減ると、学者や知識人が集まる文化サロンに変わっていったということね。
 この建物は、1667年の大地震でも被害を受けなかったので、歴史文書や裁判記録が残り、現在は、それらの貴重な古文書を保管する古文書館になっているそうね。


 <これにて、本日の記事は終了です。次回もドブロヴニクの散策をお伝えします。それではまたお目にかかりましょう。>