いやさかる 里のあかりを とほくみて けふ去る人の 見るべき空は
*「いやさかる(弥離る)」は、いよいよ遠ざかる、という意味のことです。だんだん遠ざかっていくという意味ではなく、すごく遠くなってしまったという深い感慨があります。
ひどく遠くはなれてしまった、ふるさとのあかりを、遠く見て、今日去って行く人の、見るべき空とは。
助詞で終わるのは、それ以後の言葉が省略されているからです。この場合略されているのは、どこなのだろう、くらいの意味でしょう。
彼らのこれから見るべき空はどこなのだろう。
人を馬鹿にするにも、人間ではないということをやりつくしてしまった人たちが、どういうことになったかは、この項が発表される頃には、皆さんにもわかっていることでしょう。
愚かなどというものではない。馬鹿が大勢に隠れてやれば逃げられると思っていたが、そんなに甘いものではなかった。人間の技術が低かった時代では、雲を霞と逃げられたかもしれないが、今の人間はすばらしいことができる。ネットの網は個人を逃がしはしない。おまけに進化した感覚が、容易に何をした人間かということを見抜く。
もうわかっているでしょう。かのじょを影からいじめていた人間の目には、ある種の影がある。共通した闇がある。謀略でいい女を馬鹿げた地獄に落とそうとした、醜い心が見える。それはどんなに装ってもごまかすことはできない。
みながそれを見分けることができるのです。そしてそれはたとえ生まれ変わっても消えはしない。永遠に残るのです。
何千人という人がそのいじめに参加したが、この時代の人はそれをだれひとりとして逃さなかったようです。すべてをつかまえたようだ。何がどういうことになったかは、詳しくはここでは言いますまい。
そうなって当然のことをしたのだ。
あの人は清らかな愛で国のために祈っていた。忙しい子育ての合間を縫い、勉強の合間をぬい、地元の神社に通って国のために祈っていた。国は大いに助かっていた。それを影から馬鹿にして笑っていた人たちが何を言っていたのかを、みなが知っている。
彼らは、国を馬鹿にしたと同じことをしたのです。いえ、国を滅ぼしたのと同じことをしたのです。
そんな人たちには、もうこの国に居場所はないのです。