あだし世を さへづりわたる 凡庸の 群れを憎みて われを憎まず
*ツイッターでは、大火のつぶやきがメインとなっていますが、朝の歌集も細々と続いています。有名な昔の歌をあげて、その本歌取りのあと10首ばかり仲間と交互に詠みあげるのですが。
けっこうながながと続いている。毎日続けるのはけっこうきついですよ。目立たぬことだががんばっている。こういう地味ながんばりがわたしは好きです。なにごとも、こういう積み重ねから生まれてくるものだ。
まことを積み重ねているものは、普段はあまりよけいなことは言わない。自分にできる本当のことをコツコツと積み重ねていくうちに、かなり痛いことができる自分になっている。その力で、時に痛いことをする。
先日はある短歌の団体に挑戦状をつきつけてみたりもしました。しかし返事は来なかった。短歌の世界の今の貧しさを憂うることもあほらしいと思っていたら、大火が新しい文芸活動を起こせなどという声をあげてくれた。たのもしい人だ。わたしのやりたいと思うことを言わないでもすぐに表現してくれる。
おわかりでしょうが、この原稿を書いているのは一月の中旬です。
表題の歌はこういう意味ですね。
この無情な世の中を、うるさい鳥のように盛んにさえずる、凡庸の人の群れを憎んで、自分のことは憎まない。
自分も凡庸の群れに飛び込んで痛いことを言ったくせに、みんなが悪いんだと言うことにして、自分は責めない。
そういう人はよくいます。全部を人のせいにする。自分では何もしない。何の責任もとろうとしない。
できることさえやらないから、いつまでも何もできない、何もない。
そういう人だから、集団の中に飛び込んで、集団の力で、自分の低級な思いをかなえようとするのです。
自分で、責任をとらねばならないことを背負って、やらなければ、いつまでも何もない人であり続けます。そういう人たちが、いつも集団の闇にはまって世間に難を振りまくのだ。
みんなに迷惑をかけているのだ。
毎日人のあらを探して文句をいう暇があったら、少しは何かを自分でやりなさい。いつまでも集団の闇に逃げて人を馬鹿にしてばかりいるのではない。
自分を背負う自分になり、自分というものをやりはじめない限り、人間というものは、何もせぬ迷惑なものの群れにしかなれないのです。