ひとえだを たれにささげむ 梅の花 冬をこらへて 咲くくれなゐを
*この項が発表される頃はもう二月の中旬だ。きっと梅の花も咲いていることでしょう。
ことしはことのほか春が楽しみです。
これを書いている今は、まだ一月の中頃で、空き地の陽だまりにようやくなずなが顔を見せ始めたころです。オランダミミナグサの白いつぼみが見えているが、まだ思うようには咲いてくれない。日は確かにだんだん強くなってきているが、まだ風は冷たい。
毎日花の写真をあげてブログを更新しているが、その花を探すのにも苦労している日々です。
梅は花の魁とも言われる花だ。冬をこらえて、まず一番の咲く花だということです。かのじょの書いた短詩にもありましたね、春の字の最初の一画を書くのだと。かのじょらしい表現だ。かわいい。
年月が去り、深まってくると、ことあるごとにあの人を思い出す。そしてもう会えないことがたまらなくさびしくなる。
人の暗い迷いの時代を冬にたとえれば、その冬を耐え忍んで、最初に咲いてくれたのが、かのじょの仕事だと言えましょう。逆風という逆風を耐え忍んで、あの一冊の日記を書いてくれた。
あれで、たしかに、人類は自分に気づいたのだ。あれが始まりだった。
その仕事をだれにささげよう。
かのじょは迷うことなく、それを神にさしあげました。苦労してやっと書いた日記を、何もいらぬというようにあっさりと捨てましたね。
あなたがたは、信じられなかったでしょう。どういうことになったかは、かのじょも知っていましたよ。自分にとりついている男たちが、どんなことをするかということを、推測できない人ではない。
かのじょは、あれでいいのです。ここで自分がそれを捨てれば、神がそれを使ってすべてをやることができる。ほかには何もいらない。
男というのはいつも、女をあなどりすぎて失敗するのです。男の理屈がみな、女に通用すると思うから馬鹿になる。
男が欲しいと思っているものを、女が欲しがるとは限らないのです。
自分を維持するために、あるいは必要以上に自分をよく見せるために、男が欲しがっているものを、時に女は、冷めた目で見ているのです。