ほほゑみの かたちの月を 空低く 見しゆふぐれの おもひでの風
*月の形の細い時は、ほほ笑みの口元に似ていると、かのじょは言っていましたね。それを見ると、空に誰かがいて、自分に微笑みかけてくれているようだと。
かのじょは犬をつれて夕暮れ時に散歩するのが習慣でした。夕暮れの風に吹かれながら、愛するあのくすのきのもとに歩いて行った。そのとき、空を見ると白い細月がかかっているときがあった。微笑みの形の月。誰かが今わたしを見てくれている。あの人もまた、返すように微笑んだ。
美しいからという理由だけで、たくさんの人はかのじょを憎み、かげでさげすんでいた。かのじょには友達はほとんどいませんでした。自分の心を理解してくれる友達を、人間世界に求めるのはとうにあきらめていたが。さびしさを完全に払いのけることはできない。
そのさびしさを薄めるすべを、あのひとは夕暮れの空低くかかる細い月の形にももとめていたのでした。
田舎に住む一介の貧乏な主婦でありながら、国を憂い、人類の救済の夢を抱いていることなど、だれに言えよう。そんなことを言えば狂人扱いされるに決まっている。誰にも言うことはできない。
だが、あの月はきっと知っているに違いない。
夢に向かい、一筋のまことをつらぬくことしかできない魂は、この世に住んでいながら、心は半分天に住んでいたのです。
心無い人間はそういうかのじょを激しく憎んだ。美しいのに、決して自分たちには近寄って来ないからです。それだけで、自分たちには何もないからです。
馬鹿どもは何を求めていたのか。黒く未熟な欲望の渦巻く地獄の中で、くさりただれてゆく自分に苦しむ馬鹿どもは、風のようにすずしげに通り過ぎていく美しいあの人のようなものに、自分がなりたかったのです。