玉かとも 見えて砂礫と 散りゆきし あほうの群れの かなしかるべき
*これは、ツイッターで、短歌関係の人のところを見ていて詠んだ歌ですね。歌集を出版している出版社とか、短歌同人誌とかをいくつか見ていたのです。それがあまりにも馬鹿らしかったので、ため息とも怒りともつかぬ歌を詠んだところ、仲間が答えて詠んでくれた。そういう歌です。
「べし」は推量の助動詞です。「きっと~にちがいない」と訳される。連体形になるのはもちろん係り結びの省略形ですね。基本的なことですが、何度もいちいち抑えるのがここでのやりかたです。
それによって、読む人の実力も固まってくる。勉強とはこういう風にするものだ。
こつこつと積み重ねる練習をはぶいて、わけのわからぬことばをそれらしく繰って並べても、よいものはできなしない。
玉のように見えて、砂礫のように散っていった、馬鹿どもの群れは、きっとさみしいことだろう。
出版社のツイッターなど見ると、それは装丁のきれいな歌集などあるのだが、表紙を見るだけで内容がくだらないとわかる。読む気にもならない。
何もない。歌人の心が砂のように動いていない。麻痺しているのではなく。まだ何もできていないのだ。それなのに、高いことをしている高い人間になろうとして、おそろしくいやなことをしている。そういうことが、もう本を見るだけでわかるのです。
感性の伸びた人間も、そういうことは見破るようになっていく。馬鹿な偽物はこうして、淘汰されてゆく。何も残りはしない。
文芸界は短歌界も含めて、もう死に体ですね。よいものは何もない。少し古いものにいくらか本物が見えるだけだ。
ほんものをしらみつぶしにつぶして、偽物ばかりをひいきしてよいことにしてきた、馬鹿がしたことです。今はいいものがほとんどない。
しかし、どこかに本当のいいものが生き残っていないとは限らない。探してみましょう。そして本当にいいものを、この世に育てていきたい。
あなたがたも、よく勉強して、ほんもののいい歌人になってください。