ますらをの 骨はすたれて ゆふぎりの とほとにもきく 空言となる
*これはかのじょのこの歌をとって詠われた歌ですね。繰り返すことが学びですからいちいちとりあげていきましょう。
ゆふぎりの とほとの笛と 消えゆくか やへがきつくる ますらをの骨
「とほと」は「遠音」で、遠くから聞えて来る音、または遠方のうわさのことです。かのじょがこの歌を発表した時には、わからなかったでしょう。こんな風にね、かのじょは細やかな説明などしません。自分は細やかに調べて勉強するたちですから、ほかの人もそれくらいするだろうと思う癖があるのです。
夕霧の向こうから遠く聞こえてくる笛の音のように、消えてゆくのだろうか、八重垣を作ってくれると言う、立派な男の骨は。
自分が一生懸命救済のためにがんばっているというのに、男の人は何もしようとしないという現実をずっと見ていたころの歌でした。実際この時代の男性は、女性を追いかけることばかりやって、痛いことはほとんど何もしなかった。
人類の罪業が限界に達し、大変なことになるというのに、偉そうに威張ってきた男性が何もしなかったのです。
人類の救済事業は、ほとんど、女性の天使がひとりでやっていました。
もうこのことは繰り返し言っていますが、いまだに世間の男性から思うような反応がないので、繰り返し言うのです。で、表題の歌ですが、説明しなくてもわかるでしょうが、一応やっていきましょう。勉強とは繰り返し細やかに教えていかねばなりません。押しつけがましいほどにやるのが、教師というものだ。
りっぱな男の骨というものはもうすたれて、夕霧の向こうから遠く聞こえる、うそになってしまいましたよ。
「空言(そらごと)」はもちろん「うそ」という意味です。昔のいい男は、色んな偉いことをしたというが、それもみんな嘘でしょう。女がひとりでがんばっているというのに、未だに何もしませんから。
夕霧、と詠ったのは、終わりの時代に、嘘をかくすかのように世間を包む霧のようなもの、と言った感じでしょう。確かにこの世界には、人間の嘘を隠そうとする、不思議なヴェールのようなものがある。痛いところをついても、人間は何も見えない、何も聞こえないかのように返事もしない。
だがその霧もいつまでももちはしない。霧を掃く風の音が聞こえ始める。いえ。
霧が世界を覆っていても、すべてを明らかに見通せる目の光を、人間が持ち始めている。