さざなみの 夜のしじまに 鳴くかひの 痛きこころを とほく聞く月
*「ささなみの(細波の)」は「寄る」や「夜」、「あや」「あやし」などにかかる枕詞です。特定の地名などにもかかるが、そういうのは使いにくいので、現代でも使える部分を採用しましょう。
本当は「ささなみの」なのだが、後世「さざなみの」になった。どちらでもかまいません。自分の感覚にここちよい方を採用すればよい。
ここでは「夜」を読んでいるが、「かひ(貝)」があるから意味が生きますね。
さざ波の寄せる浜辺で、夜のしじまに鳴いている貝の、聞こえずとも聞こえる痛い心を、遠くから月は聞いている。
わたしたちが今住んでいるところは、海が近くにあります。夜にふと目を覚ますと、遠く潮騒の音が聞こえる時がある。
かのじょはよくその音を聞いていました。聞いているうちに、誰かが自分を呼んでいるとさえ感じることもあった。
潮騒の声に紛れて、誰かが自分を呼んでいるような。
かなしいことばかりが多い人生でしたから、不確かな望郷の念をいつも感じていたかのじょには、潮騒の音がそう聞こえたのでしょう。
「貝」というのは、白玉のような大事なものを秘めて、いつも閉じて黙っている。それに、かのじょは美しい夢を秘めつつ、何も言わずに生きている自分の心に似たものを感じていました。
貝の中に魂を隠し、貝の琴を弾く。誰にも言わない夢をかなえるために、小さなパソコンを引いて嬉しい歌を歌う。それだけでかのじょは永遠の救いをなしたのでした。
美しい心こそが、全世界を救うのです。
そしてあらゆることを試みて、疲れ果てた人は、遠い潮騒の音に溶けていった。神の胎の中に帰っていくかのように。
真珠が波に溶けていくかのように。