澄むみづに うつるかをりを つかまむと 水面の月に 手をのばしてき
*今日は添島の歌をとりあげましょう。彼のブログもかなり好評のようだ。
前にも言った通り彼は人霊です。この存在の機能の一部を借りて表現している。最近では自分のことを幽霊だなどと言って少しふざけているが、それは事実上そのとおりです。肉体を持った存在としてはこの世に生きてはいない。死者の世界からこの世界に出て表現しているわけだが。
その表現は、生きている人間より実に生き生きとしている。
人間は死んだらそれで終わりというわけではありません。死後の世界というが、要するに死ねば帰るべき霊魂の世界があり、そこで生前同様の活動をしています。絵描きは死んでも絵を描いているし、歌人は死んでも歌を詠んでいる。それは実に豊かな活動をしているのです。
澄んだみづに映った香りをつかもうと、みなもの月に手をのばしてしまった。
彼らしい隠喩でしょう。水面に映る月に手を伸ばすということは、遠すぎて近寄りもできぬ人への恋心のあまり、裏から影をさすようなことをしてしまったということだ。
添島揺之は、かのじょの守護霊団を構成している人霊の一人でした。幼いころからかのじょを見てくれていた。だからかのじょがどういう目にあっていたか、かのじょに恋していた馬鹿どもが何をしていたかも知っている。
馬鹿な人間のしていることを、かなり冷たく見ていた。夢のようにきれいな女性なのに、恋の歌ひとつさえ歌えない凡庸の群れが、激しく騒いでいる。その騒ぎようのみっともないことといったら、人間であるとさえ思えないのだ。
恋しているのなら、その苦しみを美しい歌にでも詠めばいいものを。そうすれば自分の心も浄化して進歩することができる。そんなことすらできない人間は、底辺に集まって大勢で馬鹿なことをして騒ぐことしかできないのか。
勉強をしてこなかった人間というものに、彼は絶望したらしい。
もう二度と帰らない月のように、彼もまた二度と、馬鹿者を愛しはすまいと、思ったようです。