月影を くらきひとやに からめては 憂き世の罪を 刷らむとしけり
*「ひとや」は牢獄のことだ。文字数の少ない古語はできるだけ押さえておきましょう。覚えておくととっさに歌が詠みやすい。
宝石のことは玉といい、黒くなることを黒むという。古語にすると文字数が少なくなる言葉はたくさんあります。みそさざいのことをさざきというのはもう知っていますね。
古語辞典は宝の山だ。暇があれば読み込んで、いろいろな言葉を発掘していきましょう。
表題の歌はこういう意味ですね。
月影にたとえられるあのひとを、暗い牢獄にからめとっては、憂き世の罪を、印刷するようになすりつけようとしたことだ。
憂き世に生きる馬鹿な人々は、ただかのじょが美しいというだけで、頭から馬鹿だと決めつけて、嫉妬からいろいろな悪口を言ったのだが、陰から観察していくうちに、かのじょがとてもまじめないい子だということがわかって、彼らはとても焦ったのです。
このままでは自分たちがいやなやつになる。まずい。まじめないい子を、きれいだというだけでひどい悪口をしていやなことをした、馬鹿みたいに汚い奴になってしまう。
まあこういうところでしょう。馬鹿なことをした自分をごまかして、彼らは一切をかのじょひとりのせいにして、自分たちは逃げようとしたのです。
かのじょが、浮気みたいなことのひとつでもしてくれれば、なんとかして無理にでも悪い子にして、全部あれのせいだにして、逃げるチャンスもつかめたかもしれないが、残念ながら甘くはなかった。彼らが目をつけていた美女の正体は、何にも悪いことができない、がちがちのまじめ男だったからです。
清廉潔白ということばが、女性レベルにまで清らかになってしまったような男だったのです。
金剛石より硬い。
だから影からかのじょをいじめていた馬鹿どもは、ことごとく敗れ去った。何も悪いことをしてくれなければ、何にもならないからです。
いやなことは全部人に押し付けて、自分は何もいいことをせずに、人を馬鹿にしてばかりきた馬鹿どもは、結局人に頼るしかない。自分では何もできない。だからすべてがおじゃんになるまで、馬鹿なことばかりやって、全員が奈落に落ちたのだ。
自分たちが開けた奈落の穴にです。
結局かのじょは最後まで何も悪いことをせず、それどころか人類の救済のための大きな手を打って、清らかなまま死んだからです。
かのじょを裏からいじめた馬鹿どもがどういうことになったかはもう知っていますね。ここではもうことさらに言いますまい。
今まで逃げ続けてきた、自分が本当にやらねばならないことが、いっぺんにおしよせてくると、そういうことになるのです。