歯は抜けて 痛き憎悪の 小ささよ 夢詩香
*これは2月の下旬に書いています。ほんのさっき、歯が抜けたので、こう詠んでみました。前々からぐらついていて、時々神経に触って痛い思いをさせられた歯なのですが、抜けてみると、実にそれが小さかったので、すこし驚いたのです。
口の中にあるときは、それは常に嫌な痛みをもたらして、いらだちの元だったので、半ば自分のものとはいえかなり憎らしく思っていたのだが、くらりときてすっと抜けてみると、なんと小さい。まるでビーズのようだ。
女性の骨格は小さいですし、特にかのじょはあまり顎が発達していませんから、よけいにかわいらしい。黄味をおびた真珠色をしている。欠けたところに銀色の金属が充填してあるのが、なお愛らしい。
かのじょの口の中にあって、小さくもいじらしい仕事をしてきたのだ。それがぐらついてきて、悲しい歯痛の原因ともなってみると、痛く憎悪を起こす種になって、想像の中ではオバケのように大きなものになっていたが。
手にとってみると、実に軽い。まるで木の葉のようだ。
こんなものを憎んでいたのかと思う。
憎悪というのは、たいていそういうものでしょう。自分の苦しみの元になる存在という者は、いつも異様に大きく感じるものだ。倒してしまわねば自分の安楽はない相手というのは、常に自分の恐怖によって大きく膨らんでくる。様々な想像を重ねて、馬鹿に汚く嫌なものになってくる。
口の中にあって見えない時は、この歯がこんなに小さく愛おしいものだとは思わなかった。
あなたがたにとってのあの人も、そうだったでしょう。あの人が生きていて激しく憎んでいた間は、あの人がとてつもなく大きなものに思えた。すごいものだと思っていた。だが死んでしまい、その正体がわかってみると、それはあまりにもかわいらしかった。
真実の姿というものは、なくしてしまって初めてわかるのだ。いつでも人間というものは、その最中には、自分のいる世界の実像がわからない。
抜けてしまった歯はもう痛まない。だが、その歯のなくなってしまった後の口の中というのは、痛く寂しい。
この肉体はもう彼のものだが、抜けてしまった歯には、かのじょの霊の匂いが深くしみついています。かのじょの歯だと言っていい。
恋しさをぬぐえない人は、形見とするといいでしょう。