信州上田の・・・六文銭の写真帳
冬の散策に・・・旧海野宿・・・長野県東御市本海野。
忽然と現れる不思議な街です。
タイムカプセルから出てきた町でも復元してできた町興しの町でもテーマパークでもドラマのセットでも・・・ありません。
人が普通に生活している街村です。
富の蓄積の証明・・・卯建が上がっています・・・
屋根の上に小屋根(気抜き)が見えます・・・
幕末のころ上州島村の田島弥平という人が考案した養蚕の室内温度調節のための工夫です。
この町は明治維新の廃宿後、日本を支えた養蚕に転換して栄えてきました。
養蚕のための小屋根、大壁は改造したものですが海野格子と呼ばれる格子窓は宿の雰囲気そのままです。
※撮影日は2月7日。
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こうしてまた教えて頂くと、改めて人々の生活の知恵も歴史も知ることが出来ます。
それにしても知識をもたないことは何と勿体ないことかと思います。
これが「北國街道・街道筋」素晴らしい出来栄え、街、その表情がよく分かります。
が・・・・・しかし、宿場から養蚕業への転換、これは並大抵ではなかったことでしょう。
▲ 給桑す 現金収入 蚕様 (縄)
旧海野宿とあります地名そそのものが海野・・・、長野は山中と思っていましたが海が・・・ハハハハは。
昭和恐慌で下火になっていましたが農家の貴重な現金収入でした。
家内の実家も昭和60年代ごろまで養蚕をしていました。
大壁造り、小屋根の家は養蚕の為の工夫だったようです。家内の実家への行き帰りに何気なく見ていましたが、だんだんわかってきました。
訪れる人に少しでも理解してもらいたくて、説明文を書いています。
コメントありがとうございました。
「お蚕様様・・・」でした。
廃宿のとき町の長老は考えたであろう。富岡に製糸工場ができた。これからは絹の時代であろう。
旅籠は2階が広い。これを産室にしよう。千曲川の荒れ地を桑畑にしよう.夏蚕、秋蚕の二回しかできないのを工夫して春蚕、晩秋蚕の4回できるようにしよう。
かくして卯建ガ上がった。
世界恐慌で絹の時代は終わり大戦が。
電子立国の時代、信州は精密工業の国であった。
幾星霜、いまはどうであろうか。
海の無いのに海の地名が・・・NHKの「あなたのお名前は」地名の話しでやってました。海ノ口、小海、海尻、海瀬、海野、塩尻・・・太古、火山活動の堰止湖が多く海のようであった。
コメント感謝。