比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州・上田・・・塩田平・・・無言館・・・戦没画学生の・・・記憶のパレット

2007-01-06 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
正月4日のテレビです。「無言館 レクイエムから明日へ 戦場に散った若者たちが残した絵が語るもの」。
ドキュメンタリーです。
無言館については昨年8月19日このブログ「無言館」でふれました。あらためて読んでいただければさいわいです。

画面は館主の窪島誠一郎さんの独白で進められます。
フトしたことから村山槐多の絵に魅せられた窪島さんが上田市の郊外の前山寺信濃デッサン館を開館することから始まります。
その後、戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり無言館を開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの絵を捜し歩きます。窪島さんと二人三脚です。

1997年上田市の塩田平を見下ろす小高い丘の上にこの美術館は開館します。
戦没画学生慰霊美術館 無言館」です。

 
丘の下の駐車場からアプローチの坂道を歩くと自然石に彫った無言館の碑
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合歓の木などの手を加えない植栽が続きます。前庭に「記憶のパレット」。
心ない人が紅いペンキで汚しました。
と窪島さんはこう語っています。
60年経った今、戦没画学生の絵を取り囲んでいる今の社会がこういうものなのか。
人間の心まで劣化してしまったのだろうか


ヒタスラに絵を描いた心が見えます。
絵描きには二つの命がある。一つは自分の命、二つめは自分の描いた絵に

命の叫びの絵。

300点余、今も蒐集の旅を続けているようです。絵は遺族からのお預かりものです。

これらの絵をどう見るのか。それは見た人の心の問題です。

記憶のパレット」は戦没画学生の遺族の方々や全国から寄せられた浄財で造られたものです。志半ばで戦場に消えた画学生のお名前が彫られています。
何も語っていません。プロパガンダの匂いもありません。

正月早々いい番組を見せていただきました。

信州を訪れた方に、ぜひ塩田平の前山寺、無言館を訪ねてください。

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1 コメント

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トラックバックありがとうございました (斜め下45度さんへ・・ヒキノ)
2007-09-28 21:19:18
全国に美術館はたくさんあります。ミレーやゴッホの絵を収蔵したところもあります。でもここが好きです。
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