「何、このうるさい歌。こんなの長続きするはずないわ。
麻疹みたいなもの。すぐに消えてしまうに決まっている。
私、こんなの嫌い」
レコードプレイヤーの上で、ビートルズが「抱きしめたい」と歌っていた。
ほどなく彼女は去り、ビートルズは傷心の僕を
「Let It Be~これも神の思し召し。なすがままさ」と慰めてくれたものだ。
学生時代の淡い、そして苦い思い出話の一つである。
あれから50年余経った。
今、ライブハウスのステージに立ち、そして、ビートルズを歌っている。
側でギターを気持ちよさそうに弾いているのは大学生の孫である。
孫との共演で「Something」を歌うなんて
50余年前には想像すらつかないことであった。
マイクを持つ手が、小さく震えている。
それと、やっぱり照れ臭い。そりゃそうだ。77という年齢。
加えて、もともとのかすれ声だ。
ひいき目に見てくれる人は「魅惑のハスキーボイス」などと
持ち上げてくれるのだが、それさえも相当にすり減ってきた。
それでビートルズを歌うというのだから、我ながら厚かましい奴だと思う。
まあいい。声まで真似て歌うわけではない。
音程をはずしながらもそれらしくシャウト出来ればОK、本望なのだ。

なぜ、それほどにビートルズを……なんて野暮は言わないでほしい。
「ビートルズの音楽性はここが素晴らしいんだ」なんていうのもなしだ。
そういったことは音楽評論家にでも任せておく。
歌も、それに女性も好きになるのに理屈はない。
たとえば、女性を好きになるのはほとんどが「見る」「聞く」
「嗅ぐ」「味わう」「触れる」、つまり5感の為せるワザだと思う。
そこから先は互いの感性が大いにものをいい
それを昇華できれば真の恋愛として成立するのだろう。
いくつかの若き日の〝あのときめき〟を思い起こせば
そのようなことではなかったか。
随分昔のことだから少々心もとない話ではあるが……。
ビートルズ嫌いの彼女は去った。
でも、ビートルズは50余年もずっと僕の側にいて
時に心を弾ませ、あるいは励まし、慰めてくれた。
ジョンもジョージもすでに亡く、ポールとリンゴの2人だけに
なったビートルズは、今もなお生き続けている。