恨みの川である。御笠川。平成15年7月19日早朝、豪雨により氾濫し、近くに建つマンション一階の我が家も床上浸水の惨事となった。命を脅かされるほどではなかったが、床はもちろん壁まですべてアウト、大掛かりな修復工事を迫られたのだった。工事に入る前に泥水をかき出し、床下から湿気を取り除くため、もう初夏の候なのにストーブを焚くなど、大わらわの日々を送ったものだ。そうこうしながら工事が完了したのはほぼ1カ月後だった。
同じ場所に、いつもと同じ3人の釣り人の姿がある。早春のやわらかな陽を背に、水面から片時も目を離さない。御笠川は、水彩画のように穏やかな表情であった。今は両岸とも遊歩道のようにきれいに整備され、健康のためのウォーキングには格好な所となっている。そうとあって、同年配と思しき人たちと行き交うことが多い。言葉を交わさなくとも、互いに軽く頭を下げれば、何か気持ちが通い合うような気がする。
秋口から春先にかけ鳥たちがやって来る。カモ(残念ながら種類までは分からない)、それにオシドリ、シロサギ、アオサギ、たまに鵜、時にカモメが混じっている。これくらいは見分けられる。オシドリはオスとメスが仲良さそうにいつも一緒にいる。なるほど、オシドリ夫婦とはよく言ったものである。獲物を狙っているサギが、首をすっと伸ばしたまま、じっと動かない。1羽だけそんな姿でいると孤高の、そんな美しさである。
春や秋の暖かい日には、水面に少しだけ頭をのぞかせるテトラポットの上に亀がちょこんと乗って、ずらり並んで甲羅干ししている。その恰好がまた面白い。左足だけをすっと伸ばし、曲芸みたいに3本の足で乗っているし、狭いテトラポットの上でのせめぎ合いもある。隣を見れば、こちらは今にも滑り落ちそうで懸命にしがみついている。それぞれの恰好での甲羅干し。それを見て思わず笑いが漏れる。
堰を流れ落ちる水音に、近くのゲートボール場からカツーン、カツーンという打球音が紛れ込んでくる。のどかさが心をいたわってくれる。ジムのウォーキングマシンの上を歩いていたのでは決して味わえぬものであろう。今は癒される川となった。
川べりの小さな砂場に目をやると、リードを外した薄茶色の犬が駆け回っている。名前をマナという。3歳の娘盛りですごく元気が良い。少し離れた所に飼い主の老婦人が、まぶしい陽ざしに左手をかざして眺めている。マナがいきなり、ざぶんと飛び込んだ。すっくと首を伸ばし端正な姿で立っている白サギを狙ってのようだ。だが、白サギは『とっくにお見通し』と言わんばかりに、軽くかわして飛び去る。舞い戻ると、また追い回すが今度も同じで、そんなことを何度か繰り返した。何だか、白サギが弄んでいるふうに見える。
こんなに元気よく駆け回るマナではあるが、人の身勝手さに傷つき、翻弄された過去があった。生まれて間もなく飼い主から捨てられ、動物愛護管理センターで、あるいは殺処分されかねない身の上だったのだ。幸い新しい飼い主に引き取られ、今はその〝母〟の慈しみの中で安穏に暮らしているが、それでもどんな辛い思いをしたのか、「いまだに人への警戒心が強く、こうやって外に出るのも、この砂場遊びの時くらい」なのだという。
今日もマナは、川べりの砂地を元気よく走り回っているだろうか。そう思いながら歩いていたら、ちょうどカーブになったところでマナと鉢合わせとなった。遊び場となっている砂地へ急ぎ足である。だが、老婦人の姿がない。「どうしたのだろう」と思いながら進むと、少し先の道にうずくまるようにしている老婦人の姿が見えた。
そこはまさに修羅場であった。春の夜の〝狂宴〟だったに違いなく、道幅いっぱいにゴミが散乱している。ビールやジュースの空き缶・ペットボトルは好きがままに転がり、何かの食べ物のプラスチック容器は踏みつぶされていた。これほどおびただしい数のたばこの吸い殻は、見たことがない。いったい何人で喫ったのだ。それが、ポリ袋やティッシュペーパーと一緒にそこら中にばら撒かれていた。おまけにカラスなどの鳥が、それらを漁ったに違いなく、余計に無残な姿となって、春風が穏やかに通り過ぎる川べりの風景を台無しにしている。
それらを老婦人が一人、黙々と片付けているのだ。知らぬ振りができるはずはなく、「おはようございます」と言った以外、格別言葉を交わしもせず、顔を見合わせただけで老婦人に並んだ。飼い主の老婦人が来ないので不安になったのだろう、マナが戻って来て、ゴミを拾い集める飼い主と、どこぞの爺さんを不思議そうに眺めていた。
「帰るよ」老婦人が呼ぶ。マナは『えっ、もう。まだ遊びたいな』といった様子でそちらを見る。老婦人は構わず歩き出す。仕方なさそうにマナも従った。だが、二、三㍍行くと立ち止まり、砂場への未練を隠し切れぬふうに振り返る。「ほれ、早く」と急かしても、同じことの繰り返し。とうとう老婦人の言うことも聞かず、砂場の方にとことこと後戻りし始めた。だが、やはり不安なのだろう、振り返って老婦人がついて来てくれているかどうか確かめている。その仕草が何とも可愛くて、微笑ましくもある。最後は老婦人が折れ、「しようのない子だね」と諦めの表情でマナの後を追い始めた。
さらに、そのあとを早春の柔らかい風が続いていく。