Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

雲海が誘う

2020年03月06日 16時36分49秒 | 日記
  阿蘇方面は、昨夕から夜にかけパラパラと降り、明ければ晴天との予報だ。雲海が誘いかける。写真撮影を趣味にする妻はその雲海が目当てで、こちらはもっぱら〝アッシー君〟を務める。それで道の駅で車中泊をして、待ち構えていたのである。
 大観峰に着いたのは日の出少し前だったが、阿蘇中岳を目の前に阿蘇谷はすでに薄明るい。予想通り、阿蘇谷をすっぽり包み込むような雲海だった。たくさんの写真愛好家が三脚を構え、これを狙っている。それでも妻はここには満足できないらしい。「場所を変えたい」と言い出す。「今度はどちらへ」タクシーの運転手のように慇懃に、それでいて少々くだけた口調で尋ねる。「押戸石の丘へ。急いで。陽が昇ってしまう」との指示である。212号線を小国方面へ急ぐ。途中、左へ折れ細い山道を4㌔ほど、対向車が来ないことを願いながら進む。
 『押戸石の丘』は小高い丘に巨石が人工的に配置され、それらの石には太陽神、豊穣の神、大地の男神・女神などがシュメール文字で刻み込まれた古代宗教色の強い環状列石遺構である。360度ぐるりと見渡せば、北に九重連山、南に阿蘇五岳、東は高千穂、西に菊池方面を遠望する。自然の雄大さに言葉はない。
 


 雲海は九住方面から阿蘇方面へ漂うように覆っている。やがて、久住山と阿蘇山のちょうど真ん中、遠く高千穂辺りの空が色づき始める。じっと待つ。だが、朝陽は薄雲に阻まれ、淡いオレンジにピンクをすーっと刷いたような色合いで、あの燃え立つような光を放てないでいる。「薄雲よ、少しの間でよいから、そこをどいてくれたまえ、どうか」――朝陽の輝きに映えぬ雲海が恨めし気に言う。巨石の神々は時に意地悪だ。
 妻はどうやら撮影を終えた。さあさあ朝食としよう。車にはガスコンロ、湯沸用の鍋、それに水……一通り揃っている。コーヒーを沸かす。ベンチはあるが座らない。立ったまま、この悠然たる大自然を眺めながらコーヒーを飲み、パンをかじる。「生きている!」――神々はこの贅沢を許す。