【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

カウンターにへばりつく人/『呪われた首環の物語』

2009-06-15 18:46:18 | Weblog
 またまた図書館で見かけた人、です。
 今回は若く見える女性(といっても、私から見たら40以下の人はみな「若い女性」になってしまうようですが)。要するに、制限冊数を超えて本を貸せ、と貸し出しカウンターで駄々をこねています。「全部いっぺんに読みたいんです」「はみ出たこの一冊のためにまた来いと言うんですか」はただのワガママですが、「ちょっと機械を通してくれれば良いんですよ」に至っては図書館員に不正をしろと言っています。というか、コンピュータは制限冊数以上のものははじきますから「ちょっと通す」は最初から無理です。「家族の方のカードは使えませんか? カードが無くても名前がわかれば手続きができますけれど」とカウンターの職員が言うと「夫は一杯に借りているに決まっているでしょう!」……決まってましたっけ? 「お子さんは?」「……あ、子どものカードを作れば良いんだ。じゃあすぐ作ってください」「後ろのデスクに申込書がありますからそちらで」「じゃあ、そのボールペンを貸して(職員の胸のポケットを指さしながら)」「ボールペンもデスクにありますから」
 いつまでカウンターにねちょりとへばりついているんだ、と後ろから蹴ってやろうかと思いましたが、そこで別の職員が「お待ちの方、どうぞ」と声をかけてくれたので私は犯罪者にならずにすみましたとさ。

【ただいま読書中】
呪われた首環の物語』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 野口絵美 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、2004年、1700円(税別)

 湿原には、人間と巨人たち、そして変身能力を持つドリグが住んでいました。人間の長の息子オーバンはドリグの王の息子を、金の首環欲しさに殺します。ドリグは死に際に首環に呪いをかけます。呪いは不運の形でじわじわと湿原全体を犯します。
 オーバンの妹アダーラは長じて湿原に知れ渡る美しい賢女となり、卑劣なオーバンとはまったく性質の異なる男、ガー塚の長、英雄のゲストと結婚し三人の子をなしました。本書はその三人(エイナ、ゲイア、セリの一女二男)の物語として始まります。
 エイナには「先見(さきみ)の能(予言の力)」が発現しました。セリには「遠見の能」。しかし真ん中のゲイアには「能」が出現しません。ゲイアは、自分にはとりえがないと思い、内気になり、勉強に励みます。たとえ無能でも長にはならなければならないのですから。彼は〈言葉〉を操れるようになり、〈知恵〉も知ります。塚の人々はゲイアの優秀さを認めますが、ゲイアは自分が無能だと思い続けています。父のゲストはそんな息子が理解できません。
 しかし……途中で登場する巨人の名前はジェラルド・マスターフィールド、もう一人の巨人ブレンダが持っているラジオからは天気予報……あれ、あれれ? ここはケルト神話の世界ではなかったの? 私は一瞬自分がどこにいるのかわからなくなります。
 1人でいることが多くて寂しい思いをしているゲイアは、自分が他人からは他人を寄せ付けず威張っているように見られていることを知り、二重にショックを受けます。なぜか巨人のことを深く知りたいと思いますが、行動に移せません。塚山の人々がみなで狩りに出かけるのを見ながらとても悪い予感を感じますが、皆を止めることができません。塚はドリグたちに占領され、ゲイアたちは巨人に助けを求めることにします。ラジオを通じて。
 湿原は、ロンドンに住む巨人たちによって貯水池にされることになっていました。それは、ゲイアたちもも巨人も、そしてドリグたちにも大問題です。お互いにいがみ合い傷つけ合っていた三者は、協力への道を探り始めます。ただし、全員子どもです。子どもたちの会談で、世界の平和について決めようとするのです。もちろん子どもの力だけでは世界は変わりません。大人たちを巻き込まなければならないのです。武器を持った大人たちの間で、ゲイアたちは動き続けます。自分の命を賭けて。
 普通のファンタジーだったら、最終決戦があって「正義」が勝利、なのでしょう。本書でも最後に「最終の決戦」はあります。ただずいぶん風変わりな形で、ですが。
 DWJの初期の作品はけっこうストレートなものが多いそうです(実際この作品もそうです)が、そのストレートさが本書では生きています。特に最後、武器を持たない者が死を覚悟してことにあたるところ、平和ボケしている自分にはけっこう強烈です。