「3歳までに英才教育を」という商売は盛んです。小学生からダブルスクール(正規の学校以外に塾にも通う)も盛んで子どもを少しでも英才にしようとする風潮です。日本人っていつからこんなに英才教育が好きになったんでしょう。
で、医者でも「スーパー外科医」とか「神の手」が人気です。
ところで、「英才教育」でどのくらいのすごい「英才」が輩出しています?
今の日本の医学教育で「神の手」がどのくらい作り出されると思います?
こういった特殊な英才とか天才とか傑物とかを志向するよりも、全体のレベルを無理なく上げる・個人の特性を伸ばす、方向ではだめなんでしょうか。
【ただいま読書中】
『崖の国物語10 ──滅びざる者たち』ポール・スチュワート 著、 クリス・リデル 絵、唐沢則幸 訳、 ポプラ社、2009年、3500円(税別)
そろそろ出るころだとネットで検索をかけ、次に図書館の蔵書検索をかけ、見つけたのですぐに予約をしました。便利な時代になったものです。行動が早かったせいか、予約をして2週間で図書館から電話がかかってきました。予約の順番は2番だったのですが、私の前の人もその前の人もちゃきちゃきと読んだのでしょう。私もさっと読んで次の人に……と思ったら、なんですかこの厚み。870ページです。うわあ。
自由の森の戦いから3世紀、大開地はとてつもなく発展していますが、本書はその地下、嵐晶石鉱山で始まります。人々は嵐晶石を様々な分野に利用するように文明を進歩させていました。浮遊石を使った飛空船は帆船、第2世代はグライダーか人力飛行機のようでしたが、第3世代の飛空船は蒸気船のようです。原理は違いますが。ただ、大きな進歩はそれくらいで、社会の技術レベルはそれほど前作と大きな差はなさそうです。(DWJの「デイルマーク王国史」が、200年で中世から産業革命を通過したのとは大違いです)
登場する人々も当然新顔ばかりです。しかし、どこかで見たような人が次々と。あるいは知っている名前が伝説としてあるいは意外なところにつけられていたり。さすがシリーズ最終巻、きっちり終わらせようという作者の意欲が感じられます。そして、なかなか出てこなかったオオハグレグマが、200ページも私を待たせてからやっと登場です(第二十六章)。「ウィーラム、ネイト。ト・オ・ダチ」……うわーい、このシリーズを貫く一つの柱がまたきらきらと登場です。
しかし、本書の主人公のネイトは、行く先々で悪意の対象となって命を狙われますが、それにもくじけずまっすぐに生きようとします。もちろんそれは彼の……おっとっと、これは読んでのお楽しみ。ただ、本書を読んだ子どもたちが、欲望とむき出しの悪意と憎悪で生きる人間の醜さと逆に高潔な人間の美しさを心に刻んでくれればいい、と思うだけです。本書にはそのどちらも(たっぷり)登場します。
オオハグレグマだけではありません。空賊、飛空、遭難、深森での旅、ウィグウィグの襲撃と本書では過去をなぞるようにストーリーが進行します。今までの9巻とは違う時代のはるかな未来の物語のはずなのに、本書はきっちりシリーズの中に収まっています。これだけの大きな物語をきちんと語る著者の力量には感じ入るだけです。これまでの話の中で、回収されていなかった伏線や途中で姿を消してしまった人々の運命についても少しずつ明らかにされます……が、私がずいぶん気に懸けていたストーン・パイロットのモーギンについては、知らない方が良かったなあ。
もちろん「過去のシリーズをまとめる」ことだけが本書の使命ではありません。舞台は過去の集積を更に越え、広がりと厚みを増していきます。300年分の過去を引きずっているから時間的な厚みがあるのは当然ですが、それを越えた人間ドラマとしての厚みです。どちらかと言えば大急ぎで描写されがちですが、この話の“すべて”を語り尽くすには、870ページでは短すぎるのでしょう。
……しかし、○○○○が生きて登場するとは(第七十章)……いくらなんでもそれは嬉しすぎます。で、七十八章では○○○も登場するのですよ。いやもうあれまあ。
そしてネイトは、自分のためではなくて、友のために、自分の命を懸ける冒険の出発します。読唇能力を持ったスパイや暗殺者がうようよしているところに忍び込んで“盗み”を働こうというのです。ネイトが持つ武器は「心を満たす光」。ネイトは知ります。「滅びざる者」とは「永遠に生き続けること」ではない、と。
そして、長い長い物語はようやく終り、“彼ら”は過去へ帰っていきます。しかし、ネイトは自分の物語をここから始めます。「崖の国」の「崖」に向かって。最後の挿絵、もう感激です。こちらの世界観が無理矢理ぎしぎしと拡張させられる感覚を味わえます。
で、医者でも「スーパー外科医」とか「神の手」が人気です。
ところで、「英才教育」でどのくらいのすごい「英才」が輩出しています?
今の日本の医学教育で「神の手」がどのくらい作り出されると思います?
こういった特殊な英才とか天才とか傑物とかを志向するよりも、全体のレベルを無理なく上げる・個人の特性を伸ばす、方向ではだめなんでしょうか。
【ただいま読書中】
『崖の国物語10 ──滅びざる者たち』ポール・スチュワート 著、 クリス・リデル 絵、唐沢則幸 訳、 ポプラ社、2009年、3500円(税別)
そろそろ出るころだとネットで検索をかけ、次に図書館の蔵書検索をかけ、見つけたのですぐに予約をしました。便利な時代になったものです。行動が早かったせいか、予約をして2週間で図書館から電話がかかってきました。予約の順番は2番だったのですが、私の前の人もその前の人もちゃきちゃきと読んだのでしょう。私もさっと読んで次の人に……と思ったら、なんですかこの厚み。870ページです。うわあ。
自由の森の戦いから3世紀、大開地はとてつもなく発展していますが、本書はその地下、嵐晶石鉱山で始まります。人々は嵐晶石を様々な分野に利用するように文明を進歩させていました。浮遊石を使った飛空船は帆船、第2世代はグライダーか人力飛行機のようでしたが、第3世代の飛空船は蒸気船のようです。原理は違いますが。ただ、大きな進歩はそれくらいで、社会の技術レベルはそれほど前作と大きな差はなさそうです。(DWJの「デイルマーク王国史」が、200年で中世から産業革命を通過したのとは大違いです)
登場する人々も当然新顔ばかりです。しかし、どこかで見たような人が次々と。あるいは知っている名前が伝説としてあるいは意外なところにつけられていたり。さすがシリーズ最終巻、きっちり終わらせようという作者の意欲が感じられます。そして、なかなか出てこなかったオオハグレグマが、200ページも私を待たせてからやっと登場です(第二十六章)。「ウィーラム、ネイト。ト・オ・ダチ」……うわーい、このシリーズを貫く一つの柱がまたきらきらと登場です。
しかし、本書の主人公のネイトは、行く先々で悪意の対象となって命を狙われますが、それにもくじけずまっすぐに生きようとします。もちろんそれは彼の……おっとっと、これは読んでのお楽しみ。ただ、本書を読んだ子どもたちが、欲望とむき出しの悪意と憎悪で生きる人間の醜さと逆に高潔な人間の美しさを心に刻んでくれればいい、と思うだけです。本書にはそのどちらも(たっぷり)登場します。
オオハグレグマだけではありません。空賊、飛空、遭難、深森での旅、ウィグウィグの襲撃と本書では過去をなぞるようにストーリーが進行します。今までの9巻とは違う時代のはるかな未来の物語のはずなのに、本書はきっちりシリーズの中に収まっています。これだけの大きな物語をきちんと語る著者の力量には感じ入るだけです。これまでの話の中で、回収されていなかった伏線や途中で姿を消してしまった人々の運命についても少しずつ明らかにされます……が、私がずいぶん気に懸けていたストーン・パイロットのモーギンについては、知らない方が良かったなあ。
もちろん「過去のシリーズをまとめる」ことだけが本書の使命ではありません。舞台は過去の集積を更に越え、広がりと厚みを増していきます。300年分の過去を引きずっているから時間的な厚みがあるのは当然ですが、それを越えた人間ドラマとしての厚みです。どちらかと言えば大急ぎで描写されがちですが、この話の“すべて”を語り尽くすには、870ページでは短すぎるのでしょう。
……しかし、○○○○が生きて登場するとは(第七十章)……いくらなんでもそれは嬉しすぎます。で、七十八章では○○○も登場するのですよ。いやもうあれまあ。
そしてネイトは、自分のためではなくて、友のために、自分の命を懸ける冒険の出発します。読唇能力を持ったスパイや暗殺者がうようよしているところに忍び込んで“盗み”を働こうというのです。ネイトが持つ武器は「心を満たす光」。ネイトは知ります。「滅びざる者」とは「永遠に生き続けること」ではない、と。
そして、長い長い物語はようやく終り、“彼ら”は過去へ帰っていきます。しかし、ネイトは自分の物語をここから始めます。「崖の国」の「崖」に向かって。最後の挿絵、もう感激です。こちらの世界観が無理矢理ぎしぎしと拡張させられる感覚を味わえます。