血液型性格占いを深く信じている人がこの世にはけっこういます。何を信じるかは個人の自由ですから別にそれを止めようとは思いませんが、ちょっと不思議に思えることも。
たとえば「O型の人の性格は××」「A型の人の性格は□□」「B型の人の性格は○○」というのが確かな真実だとしましょう。では、そのO型の人の両親が「二人ともO」だった場合でも「片方がA・片方がB」だった場合でも、どちらにしてもその「O型の子ども」の性格は「××」になるわけですね?
一家全員が「××」で揃っている環境と、全員ばらばらの環境とで、同じ「××」の人が赤ん坊から成長してアウトプットされるのは、ちょっと無茶なんじゃないかと私には思えるのですが。それとも両親の性格(の組み合わせ)なんか無視して良いくらい血液型遺伝子(あるいは血液型物質?)が性格に与える影響は強い、と。つまり、「三つ子の魂百まで」どころか「生まれる前に人の性格は決定されている」。なんだか「人の成長と変化と他人との出会いによる影響」があっさり否定されてしまったようで、私はイヤンな気分になってしまいました。
【ただいま読書中】
『科学で読むイスラム文化』ハワード・R・ターナー 著、 久保儀明 訳、 土社、2001年、2400円(税別)
イスラム世界で最も重要なのはコーランですが、イスラム教徒の共同体で二番目に重要な絆はアラビア語だと著者は述べます。この言葉は面白い構造で、主語は動詞の語形変化の中に含まれていたりbe動詞に相当するものが存在しなかったり、ほとんどの単語は3文字で構成されている語根から派生していてその語根由来の一般的な意味と特殊な意味の両方を持っていたり。書き言葉は28の子音を並べてその上下に母音を記号として付することになっているのに、低学年の教科書やコーランを除いてその記号はすべて省略されてもいるそうです。外国人は泣いちゃいますよ。
「イスラムは、西洋世界が「哲学」として認識している背景をもたないところから生まれた」という文章に私は衝撃を受けました。たしかに西洋では「哲学→キリスト教→哲学(ルネサンス)→科学」の道筋ですが、イスラムは「コーラン」が“出発点”なんですね。
もちろんイスラムにも哲学はあります。コーランの教義と折り合いをつけるという制限はあるものの、彼らはエジプト・ギリシア・ヘレニズムなどの思想を各種取り入れ、宗教・政治・科学を包摂した思想体系を打ち立てました。
イスラムは次々と占領地域を広げ、そこで“忘れられていた”知的遺産(特に重要だったのがギリシアの写本)”を発見しました。それらは次々アラビア語に翻訳され、各地に大規模な図書館や大学が建設されました。10世紀にはコルドバとトレドに科学アカデミーが設立されます。そうした中で、宇宙論・数学・天文学・占星術・地理学・医学・自然科学・錬金術・光学などが発展していきます。
それぞれについては述べませんが、たとえば数学の章では、バビロニアの「桁」の概念・エジプトの方程式や面積を求める方程式・インドのゼロ・ギリシアの幾何学(特にユークリッド)などが流入しそこで豊かさを増します。特に代数の分野では、「アルジェブラ(代数)」と「アルゴリズム」という二つの用語をその概念を確立させたことが本書では強調されています。それによって「数学」は将来の「科学の言語」になることを約束されたのです。
本書を読んでいて「西欧中心主義」というものが、古代ギリシアと中世イスラムの美味しいところだけをかっさらってそれを「自分の手柄」として世界に逆に押しつけようとする主張のように思えました。古代ギリシアにしても中世イスラムにしても、その文化の豊かさの基盤は「グローバリズム」だったのですが。
近代になって文化的に停滞をし、軍事的にも敗北を続けていたイスラムですが、西欧からの“汚染”(国家や制度や教育や文化、プライバシーの概念・男女同権・信仰と理性の分離の概念)によって変容します。さらに石油の発見が話をややこしくします。ただ、かつて西洋の文化がルネサンスで変容したように、イスラムの価値観が行き詰まりつつある現代西洋文明をまた別の方向に変容させる可能性があるのではないか、と示して、本書(イスラム入門書)は終わります。なるほど、見るべきものは『未来』なんですね。
たとえば「O型の人の性格は××」「A型の人の性格は□□」「B型の人の性格は○○」というのが確かな真実だとしましょう。では、そのO型の人の両親が「二人ともO」だった場合でも「片方がA・片方がB」だった場合でも、どちらにしてもその「O型の子ども」の性格は「××」になるわけですね?
一家全員が「××」で揃っている環境と、全員ばらばらの環境とで、同じ「××」の人が赤ん坊から成長してアウトプットされるのは、ちょっと無茶なんじゃないかと私には思えるのですが。それとも両親の性格(の組み合わせ)なんか無視して良いくらい血液型遺伝子(あるいは血液型物質?)が性格に与える影響は強い、と。つまり、「三つ子の魂百まで」どころか「生まれる前に人の性格は決定されている」。なんだか「人の成長と変化と他人との出会いによる影響」があっさり否定されてしまったようで、私はイヤンな気分になってしまいました。
【ただいま読書中】
『科学で読むイスラム文化』ハワード・R・ターナー 著、 久保儀明 訳、 土社、2001年、2400円(税別)
イスラム世界で最も重要なのはコーランですが、イスラム教徒の共同体で二番目に重要な絆はアラビア語だと著者は述べます。この言葉は面白い構造で、主語は動詞の語形変化の中に含まれていたりbe動詞に相当するものが存在しなかったり、ほとんどの単語は3文字で構成されている語根から派生していてその語根由来の一般的な意味と特殊な意味の両方を持っていたり。書き言葉は28の子音を並べてその上下に母音を記号として付することになっているのに、低学年の教科書やコーランを除いてその記号はすべて省略されてもいるそうです。外国人は泣いちゃいますよ。
「イスラムは、西洋世界が「哲学」として認識している背景をもたないところから生まれた」という文章に私は衝撃を受けました。たしかに西洋では「哲学→キリスト教→哲学(ルネサンス)→科学」の道筋ですが、イスラムは「コーラン」が“出発点”なんですね。
もちろんイスラムにも哲学はあります。コーランの教義と折り合いをつけるという制限はあるものの、彼らはエジプト・ギリシア・ヘレニズムなどの思想を各種取り入れ、宗教・政治・科学を包摂した思想体系を打ち立てました。
イスラムは次々と占領地域を広げ、そこで“忘れられていた”知的遺産(特に重要だったのがギリシアの写本)”を発見しました。それらは次々アラビア語に翻訳され、各地に大規模な図書館や大学が建設されました。10世紀にはコルドバとトレドに科学アカデミーが設立されます。そうした中で、宇宙論・数学・天文学・占星術・地理学・医学・自然科学・錬金術・光学などが発展していきます。
それぞれについては述べませんが、たとえば数学の章では、バビロニアの「桁」の概念・エジプトの方程式や面積を求める方程式・インドのゼロ・ギリシアの幾何学(特にユークリッド)などが流入しそこで豊かさを増します。特に代数の分野では、「アルジェブラ(代数)」と「アルゴリズム」という二つの用語をその概念を確立させたことが本書では強調されています。それによって「数学」は将来の「科学の言語」になることを約束されたのです。
本書を読んでいて「西欧中心主義」というものが、古代ギリシアと中世イスラムの美味しいところだけをかっさらってそれを「自分の手柄」として世界に逆に押しつけようとする主張のように思えました。古代ギリシアにしても中世イスラムにしても、その文化の豊かさの基盤は「グローバリズム」だったのですが。
近代になって文化的に停滞をし、軍事的にも敗北を続けていたイスラムですが、西欧からの“汚染”(国家や制度や教育や文化、プライバシーの概念・男女同権・信仰と理性の分離の概念)によって変容します。さらに石油の発見が話をややこしくします。ただ、かつて西洋の文化がルネサンスで変容したように、イスラムの価値観が行き詰まりつつある現代西洋文明をまた別の方向に変容させる可能性があるのではないか、と示して、本書(イスラム入門書)は終わります。なるほど、見るべきものは『未来』なんですね。